季節が春から夏へ、変わり始めた頃。
「名前! 前に言ってた通り、これから外食行こうぜ」
変わらないように見えるリゾットと名前。
だが、時折――本当に一瞬だけ少女は寂しさを滲ませるのだ。
理由はわからない。
かといって、そんな彼女を放っておくつもりも、プロシュートにはなかった。
「え? い、今からですか?」
「ああ。安心しろ、晩飯担当のペッシには言ってある。……それとも、何か用でもあるのか?」
いぶかしげに眉をひそめて、顔を覗き込む男。
近付いてくる蒼の瞳に驚きながら、名前は慌てて首を横に振る。
「そ、そうじゃなくて……!」
用は何もない。
ただ、突然のことに動揺していただけなのだ。
身振り手振りで必死に伝える姿に、彼女との距離を定位置に戻した彼がにっと笑う。
「ハン、なら文句はねえだろ? 車の前で待ち合わせだ……ゆっくりでいいからな」
「はい!」
大きく頷くと、すぐさま名前は部屋へと走って行ってしまった。
そのどんどん遠退いていく背を見て、呆れ気味に笑みを浮かべるプロシュート。
「ったく、ゆっくりでいいって言ってんのによ……ま、そんなとこも可愛いんだけどな」
外食、というよりデートのプランは決まっている。
さて――と車のカギをチリンと鳴らした彼は、修道服ではない少女の姿を思い浮かべてでもいるのか、いつもより軽い足取りでアジトを後にした。
その頃。
「失礼します……あれ、リゾットさん?」
部屋の扉をそろりと開けた名前は、机の前ではなくベッドへ横になる男を目にして、思わず首をかしげてしまう。
さらに意外なことに、小さな物音でも起きる彼が今は深く眠りこんでいるらしい。
「……お仕事、お疲れ様です」
できるだけ音を立てないようリゾットに近付き、布団をそっとかける。
そのとき、ふっと鼻を擽った酒の香りにきょとんとしつつも、彼の寝顔を見つめていた少女。
しかし、人を待たせているのだと思い至った彼女は、すぐさまベッドから離れ、クローゼットへ歩み寄った。
「ワンピースにカーディガンで……いいかなあ」
ぽつり。小声で呟く。
眉尻を下げた名前の手には、以前プロシュートが贈ってくれた白いワンピースと寒色系のカーディガン。
これしか持っていないのか――と笑われてしまうだろうか。
だが、修道服というわけにもさすがにいかない。
「……よし」
二つのハンガーと小さなカバン、そしてなぜかブラシを持った彼女は、静かにリゾットが眠る部屋から出て行った。
「ぷ……プロシュートさん!」
「お、来たか……って」
「ごめんなさい! お待たせしてしまって……!」
小走りで自分の元に駆け寄ってきた名前。
街灯が照らす彼女は、艶やかな黒髪を纏め上げていた。
「……」
「髪に意外に時間がかかってしまって……プロシュートさん?」
「……あ、ああ。すげえ似合ってる」
――チッ。オレとしたことが……口説き文句の一つも出せやしねえ。
いつも首元まで隠しているせいだろうか。
白い首筋、黒い首輪に際立つうなじがプロシュートを珍しく動揺させていた。
「? あの……どうかしましたか?」
「いや、気にすんな。……お手をどうぞ、シニョリーナ」
心配そうに見上げてくる名前に小さく首を横へ振り、右手で車の扉を開けながら左手を彼女へ差し伸べる。
「! はい……」
ちょこん、と彼の手に乗っける自分のもの。
その小ささを改めて感じつつ、プロシュートは優雅にエスコートを始めるのだった。
「美味しい……!」
彼との外食はとても楽しいものだった。
ドルチェに舌鼓を打ち、にこにこと微笑む名前。
最初は慣れない雰囲気に萎縮していたものの、料理でそれは一気に解されていた。
「こんなに美味しいなんて……連れてきてくださってありが……」
美しく飾られた白いプレートから、ふと顔を上げる。
すると――
「ん?」
「あ、あの……どうして、こちらを見ているんですか?」
いつの間にか食事を終えていたらしい。
頬杖をつき、楽しそうに自分を見るプロシュートと目が合った。
そこで、ようやく自分がはしゃぎ過ぎていることに気付いた彼女は、赤面しながら申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ご、ごめんなさい……私、はしゃいじゃって」
「いや、構いやしねえよ。むしろオレは、お前に見惚れていただけだからな」
「! もう……すぐそういうこと言うんですから」
「言っとくが、本音だぜ?」
いまだ感じる視線から逃れるように、そそくさと口元を布で拭う。
「ごちそうさまでしたっ」
「おう」
「……っ出ます、か?」
「そうだな」
余裕な彼と緊張気味の自分。
さらりと代金を払ってしまったプロシュートを見上げながら、名前は慣れないヒールで歩き始めた。
「……悪い、名前。少し、移動するぜ」
「え? きゃっ」
しかし店を出た途端、おもむろに周りを見回したプロシュートはなぜか名前を路地裏へと引き寄せてしまった。
「? あの、いったい……」
「誰かにつけられてるみてえだからな」
「!」
「安心しろ。お前に危害は加えさせねえ」
頭に感じるぬくもり。
少女の髪を優しくなでた彼は、自分たちが乗るはずの車付近にいる男数人を見とめて舌打ちする。
「チッ……仕方ねえな。別の車に乗んぞ」
「え!?」
「元々、あの車も窃盗車だったからな」
――そ、そうだったんだ……。
想像はしていたが、実際に聞かされれば驚くのが性というもので。
ちらりとその車を一瞥してから、名前は腕を引かれるまま走り出していた。
「……これに、するんですか?」
「おう。キーを忘れてくようなバカには、正直もったいねえしな」
「な、なるほど」
明らかに高級車。
運転席に座り、プロシュートがさっとハンドルに手を置く。
それが似合ってしまうから、恐ろしい。
「ん? どうした、こっち見て」
「! いえ、追手の人たちももう来ていないかな、って考えてただけです……!」
「ククッ……ほーう」
すべてを見透かしているような、彼の笑声。
動き出す車体。
穏やかな振動に揺られながら、居心地が悪そうに両手を握る。
「名前。今日……どうだった?」
「え? あ、楽しかったです! お料理も美味しかったし」
「確かに、目を輝かせてるお前は可愛かったな」
「! そういうのはいいんですってば!」
左側を睨みつけてから、窓越しの街へ目を向けた。
ずいぶん長居してしまったらしい。
店の光が、少しずつ消えていくのがわかる。
――リゾットさんに、怒られちゃうかな。
徐々に落ちる車のスピード。
それにハッとして前を見れば、どうやらアジトへ辿り着いていたらしい。
「……着いたな」
「はい。今日は、ありがとうございました!」
隣から聞こえたシートベルトを外す音に釣られて、名前も左手を下へ伸ばす。
そのときだった。
>
next
1/2