uno



季節が春から夏へ、変わり始めた頃。


「名前! 前に言ってた通り、これから外食行こうぜ」



変わらないように見えるリゾットと名前。

だが、時折――本当に一瞬だけ少女は寂しさを滲ませるのだ。


理由はわからない。

かといって、そんな彼女を放っておくつもりも、プロシュートにはなかった。


「え? い、今からですか?」


「ああ。安心しろ、晩飯担当のペッシには言ってある。……それとも、何か用でもあるのか?」


いぶかしげに眉をひそめて、顔を覗き込む男。

近付いてくる蒼の瞳に驚きながら、名前は慌てて首を横に振る。



「そ、そうじゃなくて……!」


用は何もない。

ただ、突然のことに動揺していただけなのだ。


身振り手振りで必死に伝える姿に、彼女との距離を定位置に戻した彼がにっと笑う。


「ハン、なら文句はねえだろ? 車の前で待ち合わせだ……ゆっくりでいいからな」


「はい!」



大きく頷くと、すぐさま名前は部屋へと走って行ってしまった。

そのどんどん遠退いていく背を見て、呆れ気味に笑みを浮かべるプロシュート。



「ったく、ゆっくりでいいって言ってんのによ……ま、そんなとこも可愛いんだけどな」


外食、というよりデートのプランは決まっている。

さて――と車のカギをチリンと鳴らした彼は、修道服ではない少女の姿を思い浮かべてでもいるのか、いつもより軽い足取りでアジトを後にした。








その頃。


「失礼します……あれ、リゾットさん?」


部屋の扉をそろりと開けた名前は、机の前ではなくベッドへ横になる男を目にして、思わず首をかしげてしまう。

さらに意外なことに、小さな物音でも起きる彼が今は深く眠りこんでいるらしい。



「……お仕事、お疲れ様です」


できるだけ音を立てないようリゾットに近付き、布団をそっとかける。

そのとき、ふっと鼻を擽った酒の香りにきょとんとしつつも、彼の寝顔を見つめていた少女。


しかし、人を待たせているのだと思い至った彼女は、すぐさまベッドから離れ、クローゼットへ歩み寄った。



「ワンピースにカーディガンで……いいかなあ」


ぽつり。小声で呟く。

眉尻を下げた名前の手には、以前プロシュートが贈ってくれた白いワンピースと寒色系のカーディガン。


これしか持っていないのか――と笑われてしまうだろうか。

だが、修道服というわけにもさすがにいかない。


「……よし」


二つのハンガーと小さなカバン、そしてなぜかブラシを持った彼女は、静かにリゾットが眠る部屋から出て行った。




「ぷ……プロシュートさん!」


「お、来たか……って」


「ごめんなさい! お待たせしてしまって……!」



小走りで自分の元に駆け寄ってきた名前。

街灯が照らす彼女は、艶やかな黒髪を纏め上げていた。


「……」


「髪に意外に時間がかかってしまって……プロシュートさん?」


「……あ、ああ。すげえ似合ってる」



――チッ。オレとしたことが……口説き文句の一つも出せやしねえ。

いつも首元まで隠しているせいだろうか。

白い首筋、黒い首輪に際立つうなじがプロシュートを珍しく動揺させていた。



「? あの……どうかしましたか?」


「いや、気にすんな。……お手をどうぞ、シニョリーナ」



心配そうに見上げてくる名前に小さく首を横へ振り、右手で車の扉を開けながら左手を彼女へ差し伸べる。


「! はい……」


ちょこん、と彼の手に乗っける自分のもの。

その小ささを改めて感じつつ、プロシュートは優雅にエスコートを始めるのだった。







「美味しい……!」


彼との外食はとても楽しいものだった。

ドルチェに舌鼓を打ち、にこにこと微笑む名前。


最初は慣れない雰囲気に萎縮していたものの、料理でそれは一気に解されていた。


「こんなに美味しいなんて……連れてきてくださってありが……」


美しく飾られた白いプレートから、ふと顔を上げる。

すると――



「ん?」


「あ、あの……どうして、こちらを見ているんですか?」


いつの間にか食事を終えていたらしい。

頬杖をつき、楽しそうに自分を見るプロシュートと目が合った。


そこで、ようやく自分がはしゃぎ過ぎていることに気付いた彼女は、赤面しながら申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「ご、ごめんなさい……私、はしゃいじゃって」


「いや、構いやしねえよ。むしろオレは、お前に見惚れていただけだからな」


「! もう……すぐそういうこと言うんですから」


「言っとくが、本音だぜ?」



いまだ感じる視線から逃れるように、そそくさと口元を布で拭う。


「ごちそうさまでしたっ」


「おう」


「……っ出ます、か?」


「そうだな」



余裕な彼と緊張気味の自分。

さらりと代金を払ってしまったプロシュートを見上げながら、名前は慣れないヒールで歩き始めた。







「……悪い、名前。少し、移動するぜ」


「え? きゃっ」



しかし店を出た途端、おもむろに周りを見回したプロシュートはなぜか名前を路地裏へと引き寄せてしまった。


「? あの、いったい……」


「誰かにつけられてるみてえだからな」


「!」


「安心しろ。お前に危害は加えさせねえ」



頭に感じるぬくもり。

少女の髪を優しくなでた彼は、自分たちが乗るはずの車付近にいる男数人を見とめて舌打ちする。



「チッ……仕方ねえな。別の車に乗んぞ」


「え!?」


「元々、あの車も窃盗車だったからな」



――そ、そうだったんだ……。


想像はしていたが、実際に聞かされれば驚くのが性というもので。

ちらりとその車を一瞥してから、名前は腕を引かれるまま走り出していた。



「……これに、するんですか?」


「おう。キーを忘れてくようなバカには、正直もったいねえしな」


「な、なるほど」



明らかに高級車。

運転席に座り、プロシュートがさっとハンドルに手を置く。

それが似合ってしまうから、恐ろしい。



「ん? どうした、こっち見て」


「! いえ、追手の人たちももう来ていないかな、って考えてただけです……!」


「ククッ……ほーう」


すべてを見透かしているような、彼の笑声。


動き出す車体。

穏やかな振動に揺られながら、居心地が悪そうに両手を握る。



「名前。今日……どうだった?」


「え? あ、楽しかったです! お料理も美味しかったし」


「確かに、目を輝かせてるお前は可愛かったな」


「! そういうのはいいんですってば!」



左側を睨みつけてから、窓越しの街へ目を向けた。

ずいぶん長居してしまったらしい。

店の光が、少しずつ消えていくのがわかる。



――リゾットさんに、怒られちゃうかな。



徐々に落ちる車のスピード。

それにハッとして前を見れば、どうやらアジトへ辿り着いていたらしい。



「……着いたな」


「はい。今日は、ありがとうございました!」



隣から聞こえたシートベルトを外す音に釣られて、名前も左手を下へ伸ばす。


そのときだった。



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