「……やっぱり寒いですね」
「そうだな。名前……もっとこっちに来い」
「え? ……きゃっ」
灰色に染まる空の下、すでに銀縁メガネをかけているリゾットと、あっという間に彼に引き寄せられた名前は、同じペースで歩みを進めていた。
ぬくもりの感じる右側。
こちらをおずおずと見上げては、視線を落とす少女。
そんな可愛らしい反応をする彼女に、男は尋ねなければならないことがあった。
「……ところで名前。一ついいだろうか」
「? はい」
「君は……何か≪言葉≫が、欲しいのか?」
「……え?」
一度言い出したら聞かない――1年半の付き合いで理解したつもりなので、リゾットは名前がメガネを購入する姿を黙々と見つめていた。
そのとき。
「お客様、お客様」
「……なんだろうか」
隣に並んだのは、先程彼女と話していた店員。
あのとき、どんな話をしていたのだろうか。
自分の中に湧き上がる嫉妬心を抑えつつ、静かに口を開く。
「いや、自分が言うことじゃあないと思うんですけど……彼女、不安がっていましたよ?」
「(ピクリ)……不安?」
「(怖ぇええ……)は、はい! その……言葉を、ね?」
まるで、自分が知らない彼女を知っているかのような口ぶり。
その場では真顔を貫き通したものの、どうも腑に落ちなかったのである。
名前が何を聞きたいのか――わからなかった。
そしてリゾットにとって≪言葉≫の価値は、≪行動≫よりはるかに低いものだった。
「……」
「名前、何か――」
答えてほしい。
立て続けに連ねようとした声。
それは、小さく首を横に振った名前の表情によって、喉の奥で止まってしまう。
「いい、んです。言葉は、要りません」
「……」
「もし、そう見える態度を取っていたなら……気にしないでください」
≪信じてほしい≫。
彼の目が、自分とよく似た瞳が、そう叫んでいる気がした。
――信じている。貴方を信じているのに……言葉で聞かせて欲しいなんて、言えないよ。
「……だが――」
「あ、もうこんな時間。リゾットさん、帰りましょう! きっと、皆さん待っていますよ!」
立ち止まっていたリゾットの腕を引き、にこりと微笑む。
上手く、笑えているだろうか。
「今日は誰がお料理当番でしょうか……そうだ、いつも以上にお水も節約しないと……」
聞きたいことが、本当はある。
――リゾットさん。一つだけ、教えてほしいんです。私たちって……どういう関係なんですか?
だが同時にそれは、どうしても聞けないこと。
喉にまで迫る言葉を必死で飲み込みながら、少女はただただ前を歩き続けた。
底冷えする深夜。
「……ん、っさむ、い……」
静かに上体を起こした名前は、素肌が捉える寒さにそっと布団を引き寄せる。
隣には瞳を閉じるリゾット。
小さく開かれた唇。
青白い光が照らす肌。
触れれば柔らかい銀の髪。
時折震えては止まる長い睫毛。
先程まで自分を熱く、強く抱いていた逞しい腕に身体。
すべてが、目覚めたときに映るいつもの光景。
ただ、一つ違うのは――
「……リゾットさん」
彼の目尻から伝い落ちる、一滴。
辛い夢を、悲しい夢を、見ているのだろうか。
ふと思い出すのは、今日叫ばれたあの名前。
――きっと、≪あの子≫の名前なんだろうな。
わかっている。
本当はわかっている。
頭はちゃんと、理解しているのに――
「どうして……っ胸が、苦しいんだろう」
自然と噛んでしまう下唇。
「ッ」
押し寄せる感情を無視して、彼女は再び布団へと潜る。
今度はリゾットの顔を、胸元に抱き寄せて。
「……せめて、貴方にとって優しい夢が見られますように」
ぽつりぽつりと当たる髪に擽ったさと切なさを覚えながら、名前はゆっくりと瞼を閉じた。
to be continued...
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