quattro





「……やっぱり寒いですね」


「そうだな。名前……もっとこっちに来い」


「え? ……きゃっ」



灰色に染まる空の下、すでに銀縁メガネをかけているリゾットと、あっという間に彼に引き寄せられた名前は、同じペースで歩みを進めていた。


ぬくもりの感じる右側。

こちらをおずおずと見上げては、視線を落とす少女。


そんな可愛らしい反応をする彼女に、男は尋ねなければならないことがあった。



「……ところで名前。一ついいだろうか」


「? はい」


「君は……何か≪言葉≫が、欲しいのか?」


「……え?」




一度言い出したら聞かない――1年半の付き合いで理解したつもりなので、リゾットは名前がメガネを購入する姿を黙々と見つめていた。

そのとき。



「お客様、お客様」


「……なんだろうか」


隣に並んだのは、先程彼女と話していた店員。

あのとき、どんな話をしていたのだろうか。

自分の中に湧き上がる嫉妬心を抑えつつ、静かに口を開く。



「いや、自分が言うことじゃあないと思うんですけど……彼女、不安がっていましたよ?」


「(ピクリ)……不安?」


「(怖ぇええ……)は、はい! その……言葉を、ね?」




まるで、自分が知らない彼女を知っているかのような口ぶり。

その場では真顔を貫き通したものの、どうも腑に落ちなかったのである。


名前が何を聞きたいのか――わからなかった。

そしてリゾットにとって≪言葉≫の価値は、≪行動≫よりはるかに低いものだった。



「……」


「名前、何か――」



答えてほしい。

立て続けに連ねようとした声。

それは、小さく首を横に振った名前の表情によって、喉の奥で止まってしまう。



「いい、んです。言葉は、要りません」


「……」


「もし、そう見える態度を取っていたなら……気にしないでください」



≪信じてほしい≫。

彼の目が、自分とよく似た瞳が、そう叫んでいる気がした。


――信じている。貴方を信じているのに……言葉で聞かせて欲しいなんて、言えないよ。



「……だが――」


「あ、もうこんな時間。リゾットさん、帰りましょう! きっと、皆さん待っていますよ!」



立ち止まっていたリゾットの腕を引き、にこりと微笑む。

上手く、笑えているだろうか。



「今日は誰がお料理当番でしょうか……そうだ、いつも以上にお水も節約しないと……」





聞きたいことが、本当はある。



――リゾットさん。一つだけ、教えてほしいんです。私たちって……どういう関係なんですか?


だが同時にそれは、どうしても聞けないこと。

喉にまで迫る言葉を必死で飲み込みながら、少女はただただ前を歩き続けた。











底冷えする深夜。


「……ん、っさむ、い……」


静かに上体を起こした名前は、素肌が捉える寒さにそっと布団を引き寄せる。

隣には瞳を閉じるリゾット。




小さく開かれた唇。

青白い光が照らす肌。

触れれば柔らかい銀の髪。

時折震えては止まる長い睫毛。

先程まで自分を熱く、強く抱いていた逞しい腕に身体。



すべてが、目覚めたときに映るいつもの光景。


ただ、一つ違うのは――



「……リゾットさん」



彼の目尻から伝い落ちる、一滴。

辛い夢を、悲しい夢を、見ているのだろうか。


ふと思い出すのは、今日叫ばれたあの名前。



――きっと、≪あの子≫の名前なんだろうな。





わかっている。

本当はわかっている。


頭はちゃんと、理解しているのに――




「どうして……っ胸が、苦しいんだろう」



自然と噛んでしまう下唇。


「ッ」

押し寄せる感情を無視して、彼女は再び布団へと潜る。



今度はリゾットの顔を、胸元に抱き寄せて。



「……せめて、貴方にとって優しい夢が見られますように」


ぽつりぽつりと当たる髪に擽ったさと切なさを覚えながら、名前はゆっくりと瞼を閉じた。



to be continued...



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