「――ッ!」
誰のことだろう――後ろから力強く引き寄せられながら、名前は今リゾットの口から放たれた≪名前≫のことを考えていた。
甲高く響いた傘の落ちる音。
自分の目の前で止まる、大きなトラック。
これまでにない、彼の必死な声。
――本当は、わかっているのだ。
「怪我はないか!?」
「……」
「……名前?」
「! あ、ごめんなさい……大丈夫、です」
いつになく動揺を含んだ声。
少女がここに、自分の元にいることを両腕で確かめながら、リゾットが俯く顔を覗き込もうとすれば――
「リゾットさん、行きましょうか」
「だが」
「……私は、大丈夫ですから」
変わらない優しげな笑み。
自分に向けられたそれにホッと安堵しながら、はっきりと口にはできない妙な違和感を、男は拭えずにいた。
「お客様、こちらはいかがですか? 黒縁も似合いますよ〜!」
「いや、オレは……」
「そうですね。じゃあ、黒色と赤色……あとは銀縁をお願いします」
その後、彼らが訪れたのは――メガネ店。
書類を見るたびに、眉間に何本ものしわを寄せているリゾットに、メガネをプレゼントしたい。
これが、名前がアルバイトへ行ったもう一つの理由なのである。
「リゾットさん! しましまがありますよ……どうですか?」
「……銀縁にしよう」
ズボンとおそろい。
さすがにそれは気が引けるらしい。
可愛いのになあ――と悪気もないことを考えながら、少女は視力検査へ向かう男の大きな背を見送っていた。
すると――
「素敵な旦那様ですねえ」
「? ……え!?」
隣に現れたのは、先程まで甲斐甲斐しくメガネを差し出してくれた男性店員。
自分たちのことだと数秒して気が付いた名前は、慌てて首を横に振った。
「ち、違うんです……っそういう関係じゃ」
「そうなんですか? では、恋人?」
「! 恋人……」
何の気なしに紡がれた彼の言葉が、なぜか鋭く心に刺さった。
≪恋人≫――考えもしなかったのである。
「……恋人って、何が基準でそうなるんでしょうか……」
「え?」
目を伏せ、ぽつりと呟く彼女に、今度は店員が驚く番だった。
「恋人の基準ですか? それは……人によると思いますけど、告白ありき……なのかなあ」
「……」
毎日のように抱き寄せられる。
吸血の意味も含めて、キスはする。
それ以上のことも――ほぼ毎晩している気がする。
――でも。
「名前」
「あ、リゾットさん。検査、どうでしたか?」
「……任務に差し支えはないが、予想以上に下がっていた」
≪告白≫は、どうなんだろう。
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