uno




「ん……っ」



カーテン越しに射す光と素肌が感じる寒さに、名前は目を覚ました。





La mattina di una donna santa
ひどく寂しい、聖女の朝。







「……?」


ベッドに一人。


そろりと上体を起こして、少女は違和感の正体を悟る。



「……はだ、か……っ!」



少し枯れた自分の声が耳に届くと同時に、思い出した。


昨夜は、リゾットと――




「っ……いッ」


恥ずかしさと嬉しさと切なさで、ぐちゃぐちゃになりそうな心。


とにかく、毛布を手にベッドから降りようとして――腰を襲う痛みに名前は眉をひそめた。



「ぅ、っ……」



自然と目尻に滲むナミダ。


身体が、心が――痛い、寒い。



だが、何より――




――リゾットさんと、話したい。



昨日の行為の≪理由≫は、聞かない。


それでも、ひどく優しい彼と話がしたかった。




「ッ……あ、れ?」


よろよろと立ち上がり、替えの修道服を探す。



しかし――どこにもない。


クローゼットにもないのだ。



「?」


どうしよう、これでは部屋から出られない――彼女が悩み始めたとき、ふと視界に映った白シャツ。



「……」









「っ、ん……」


壁を伝い、廊下をよたよたと進む。


小さく息を切らす名前は、ぶかぶかなシャツ一枚で歩いていた。



ふわりと鼻を擽るリゾットの香りに、心臓が音を立てるのを自覚しながら、余りに余る裾を強く握る。



「は、ぁ……っ」


いつもは数十秒で辿り着くはずのリビング。


それがとても遠く感じ、気まで遠くなってしまいそうだ。



一歩、また一歩。震える下半身に鞭を打ち、なんとか歩みを進めていると――


「……ひゃっ!?」



ガクンッ



突如、座り込んでしまった。


「……」



内腿がひやりと冷たい。


慌てて起き上がろうとしても――いかんせん壁だと手が滑る。



「っ」


どうしようもなくて、視界が霞んでいく。


心の整理がつかず――もう、おかしくなってしまいそうだ。



せめて、雫は落とさないように。


少女がそっと下唇を噛み、視線を落としたそのとき。




「なんだ? 今、すげえ音が……名前!?」


「あ……プロシュート、さん」



リビングから不思議そうに顔を出した男と、目が合う。


思わず、ホッとしてしまう名前。


一方、プロシュートは彼女のその≪格好≫に一瞬考えることをやめたが、それどころではないとすぐさま足を動かした。



「……名前、お前」


「ご、ごめんなさい。ちょっと動けなくて……手を貸してもらえませんか?」



おずおず。

申し訳なさそうに告げ、こちらを見上げる少女。


だが、その瞳に映る≪戸惑い≫を、彼が見逃すはずがなかった。



「捕まっとけ」


「え……きゃっ!?」



有無を言わさず、名前を横抱きにする。



「あ、あのっ……大丈夫ですからっ」


「大丈夫じゃねえから、座り込んでたんだろうが。黙って首に手を回しとけ」


「っ、……は、い」



白い腕が回されるのを肌で捉えながら、プロシュートは奇妙なほどいつも通りに朝を迎えていたリゾットを思い出し、心の中で舌打ちをした。



――よう、リゾット。こんな朝っぱらから出かけるのか?


――……プロシュートか。ああ、少し用事でな。昼前には戻る。




「チッ……ゆっくり座れよ」


「ありがとう、ございます……」



――お前の用事って……名前に一人の朝を迎えさせるほど、大切な用事だって言うのか?


本当ならば、この役目は自分がすべきものではないはずだ。



鮮やかな色をしたソファに際立つ、名前の素足。


扇情的なそれを隠すように、プロシュートは偶然持っていた仕事用のジャケットを彼女の頭へ被せた。



「っわ……?」


「寒いんだろ。持っとけ」


「……はい」



微笑に潜む疲労。


無理をして笑う名前に、男の心はさらに苛立った。



――なんでだよ。


なんで、オレじゃないんだ――なんて、フラれた男が口にするようなセリフは言わない。



けれども。






――リゾット、今のお前は中途半端だ。



仲間に嫉妬するほど、衝動で抱いてしまうほど、彼女を愛しているのに――自分の中で確実な存在になることを恐れてもいる。


あの男が不器用なのは、長年同じチームにいた仲ということもあり、把握しているつもりだ。


そして今、こうして目の前で自分を見上げている名前も、男が優しいと知っているからこそその気持ちを聞き出すようなことはしない。





――けど、よお。それじゃあ……それじゃ、あまりにも――



「プロシュートさん……?」


「……リゾットと、何かあったな?」


「!」



≪不幸≫じゃないか?




「あ、う……その」


「はっきりと、口にした方がいいか?」


「〜〜っい、いいです……!」



幸せかどうかなんて、他人が決めることではないと理解してはいる。


しかし、たとえそうだとしても、この二人は明らかに遠回りしすぎていた。


互いの≪幸せ≫ばかりを願って――自分のことを忘れているのだ。






「名前」


「! は、はい」


「……」



隣で肩を震わせ、姿勢を整えた名前を一瞥して、おもむろに煙草を咥える。


リビングを支配する沈黙。


それを破るように紫煙を吐き出したプロシュートは、そっと口を開き――





「お前はこれから、どうしたい?」


「……え?」


もっとも尋ねたかったことを、紡ぎ出した。


一方、予想だにしない――突拍子とも言える問いに、驚き目を見開く少女。



「あ、あの……プロシュートさん、いったい――」


「名前。自分がしたいことは、言わなきゃ始まらねえ」


「!」


「その付けられちまった首輪も、オレたちと一緒にいることも……抱かれたことも、もしかしたらリゾットへの想いすら、今のお前にとっては≪鎖≫かもしれねえ」



違う。


そう示すように、首を静かに横へ振った名前に対し、彼は淡々と喋り続ける。




「もし、鎖じゃねえなら……言葉にしろ」



そっと右頬に感じる、プロシュートの手。


ひどく温かいそれに戸惑いながらも男を見つめれば、彼の瞳の中に≪覚悟≫が見えた。




「……もう一度聞くぜ」



――名前。お前はこれから、どうしたい?




「私、は……」


「ああ」



ずっと前から、決まっていた。


でも、始まっていなかった。





「私は……っ皆さんの……リゾットさんの、傍に≪居たい≫……!」




≪傍に居てくれ≫――そう言ってくれた彼に甘えていたのかもしれない。




――私は、私の意思で皆さんの傍に居る。



「ハン、上出来だ」


「……きゃっ」


刹那、にやりと笑ったプロシュートに抱き寄せられる。



圧迫される感覚に目をぱちくりさせていると、響き始めたリップ音に少女の心は衝撃を受ける。



「え、え?」


「お前の気持ちも汲んで、唇は奪わねえんだ。これぐらい受け入れろよ」


「っ、そ、そうは言われても……ん!」



艶やかな髪、こめかみ、額へ口づけを贈りながら、男は誓う。


自分たちと居たい。そう言ってくれた名前を守ると。




そして同時に――



――リゾット……オレは気が短い方だからな。もし、お前があまりにもマンモーニを続けんなら……オレが名前をもらうぜ。


静かな闘志を燃やすのだった。






ガチャ


「!」


「……チッ。我らがリーダーが帰ってきたみてえだな」



舌打ちとともに渋々離される身体。


扉を睨みつけるプロシュートを、ただただ見上げていると――




「さっきの想い。あいつにも伝えて来いよ」


「! はい……!」


「……あー、待った。その前に」


「?」



――オレのジャケット着てたら、会話どこじゃねえわな。




淡泊そうに見えて、この少女限定でずいぶん嫉妬深いものだ。


振り回されている分、ぜひ奢ってほしい――なんてことを考えつつ、覚束ないながらも歩き出した名前を引き留めるプロシュートだった。




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