「……ん……?」
後頭部を支配する新しい感覚。
その居心地のよさに違和感を覚えつつ、リゾットが目を開く。
すると――
「!」
自分の目の前にあったのは、天上でも壁でもなく、
「シスター……か?」
いや、その修道服からして間違いはないのだが――
問題は、なぜ彼女に膝枕されているのか、ということだった。
「……」
蝋燭が灯す、気持ちよさそうな寝顔。
すかさず飛び起き、シスターと距離を取った。
しかし、≪少女≫が目を覚ますことはない。
――何者だ? 連れ込んだようにも見えないが……。
ところが、リゾットは彼女の正体以上に気になったことがあった。
――オレは、確かに怪我を負ったはずだ。
そう、身体に自由が利くのだ。
もはや黒へと変わり果てた服の返り血を触るが、痛む場所がまったく存在しない。
――どういうことだ。この少女……何をした?
眉をひそめた男は、ちょうど自分の後ろにあったドアノブを回す。
どうやら、監禁というわけでもないらしい。
おもむろにそれを引いた彼が見たのは――
「ここは、昨夜の……」
「……ん」
「!」
ふと聞こえた声。
それがベッドに座るシスターの口から出たと悟る。
このまま立ち去ることもできたが、仕方ない。
リゾットには、どうしても聞きたいことがあったのだ。
「ん、ん……」
「……」
再び扉を閉め、今度は鍵を掛ける。
これは、≪逃げようとしたとき≫のためだ。
別に、他意はない。
――だが、妙な気分だ。
きっと、自分の仲間(のうち二名ほど)は、喜んでこの≪チャンス≫を逃しはしないのだろう。
彼らはリゾットを朴念仁と呼び、よくからかうが、撤回させるのもいいかもしれない。
ところが、思わぬ方向へ向かっていた男の思考は、消し去られることになる。
「ん…………あ、おはよう、ございます」
自分と似た、深紅の瞳と目が合う。
「……おはよう」
「お加減は、いかがですか?」
呆気にとられた、という表現が正しいのだろうか。
何事もなく話しかけてくる少女に、リゾットは一瞬固まってしまった。
一方、シスターこと名前はそんな彼にコテンと首をかしげる。
「あの……?」
「……いや、大丈夫だ」
「! そうですか……よかった」
やはり似合わないことはすべきではない。
彼女へ伸ばしかけていた手を下したリゾットは、心の中で苦笑した。
「ところで」
「? はい」
「……君か? オレの怪我を治したのは」
ヒュッ
刹那、息をのむ少女。
次の瞬間、背中全体に痛みを感じた名前の視界には、オレンジに照らされた天井と――
「あ、あの、その……ッ!」
「静かにしろ。余計なことを話せば、お前の白い喉をハサミが引き裂くことになる」
「!」
淡々とした口調。一度決めれば、彼は本当にやってのけるだろう。
名前は≪十二年前のあの日≫を思い出し、静かに唇を噛んだ。
一方、リゾットは涙目でこちらを見上げる少女を、できる限り冷静に見下ろしていた。
――この少女、ジャポネーゼか。
外れかけた帽子から覗く、漆黒の髪に妙な納得をしてしまう。
――しかし、大したものだ。悲鳴の一つも上げないとは。
いや、正しく言えば上げられないのかもしれない。
どこかで聞いたことがあった。
≪スタンド使い≫はひかれ合う、と――
「単刀直入に聞こう……お前は、何かしらの能力を持っているな?」
肯定を示す首。
そうとなれば、次に訪ねることは一つだ。
「その能力――スタンドはどこにいる? ここにはいないようだが」
「えっと……い、いつもは……む、胸元に隠して、ます」
「隠す? ……そうか」
ぽつりと呟いたリゾットの、それからの行動は早かった。
「ひゃ……ッ!? あ、あああの!」
「大人しくしていろ」
修道服の中に手を入れた彼は、ごそごそと≪スタンド≫を探す。
名前は想像もしていなかった羞恥心に耐えねばならなかった。
そして、男はふと思う。
――異様に身体が冷えているな。
「まさか……これか?」
「は、はい……ジェントル・クロスという名です」
「……こっちを見ろ」
尋ねられることを把握していたのだろう。
背けようとする真っ赤な顔を強引にこちらへ向かせる。
断じて、加虐心が刺激されたからではない。
「え? ええ?」
「これは、本当に≪治癒≫だけか?」
「はい……」
「そうか」
本当に泣き出してしまいそうな表情。
実際、名前は恥ずかしさで泣きたかったので、よかったのかもしれない。
――何かに似ていると思えば。
その目に嘘はないと、リゾットは理解したらしい。
少女を解放したのはいいものの、いまだに顔から目を離さないでいた。
「あの……どうか、しましたか?」
「いや。君がウサギに似ていると思ってな」
「ウサギ……?」
きょとん。
まさにそんな音が付きそうな反応に、ひそかに口元を緩める。
「そうだ。その紅い瞳が特にな」
「……それを言うなら、貴方もじゃないですか?」
「オレも、か?」
思いもしなかった反撃に、よほど服の中に手を入れられたことが恥ずかしかったのだと悟る。
「そうです! ウサギさんです!」
いそいそと十字架を元へ戻す少女を横目で見ながら、リゾットはおもむろに立ち上がった。
「さっきはすまなかった」
「あ、いいえ! 慣れていますから、気になさらないでください!」
「……」
――≪慣れて≫?
少女の取り繕ったかのような言葉に、頭巾を被せていた手が止まる。
一方、名前は気づいてすらいないのか、彼へと近づき、そっと顔を覗き込んだ。
「あの、もしかして……まだ痛むところがあるんですか?」
「……問題ない」
聞くべきだろうか。
いや、違う。本当は聞きたくて仕方がないのだ。
しかし。
「オレは、リゾットという。リゾット・ネエロだ」
「? あ、私は名前と申します」
聞けなかった。
純粋無垢の一言に尽きる笑顔を、曇らすようなことはなぜか尋ねたくなかったのだ。
「……」
だがそれ以上に。
「あの、リゾットさん」
「またぜひ、いらしてくださいね」
「!」
彼女の口から出た、歓迎の言葉。
それを聞いて、不覚にも≪嬉しい≫と思ってしまったのだ。
こぼれる自嘲の笑み。
向けられる期待の込められた瞳。
それに答えるのも、たまにはいいのかもしれない。
「そう、だな。休暇のときには、また来る」
「はいッ!」
血みどろで倒れていた理由すら聞かない少女と、生業に囚われることなく話すのもいいかもしれない。
L'inverno di 1998
それは、1998年冬の出来事。
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