「そういや、最近なんかすげェ噂広まってるよな」
「!」
新聞の朝刊を片手に話し始めたホルマジオ。
その≪噂≫という言葉に、名前はびくりと肩を震わせていた。
L'inverno di 2000
出逢いから、一年が経とうとしていた――
「噂? なんだよ、それ」
パンをちぎりながら、イルーゾォが首をかしげる。
食卓には、リゾット以外の全員が集まっていた。
「あっあ〜、アレね。真夜中の路地裏でかなり血を失った男が倒れてるってやつだろ? 傷跡も血痕も何もないから、かなり注目されてるよな」
「チッ、くだらねエ。どうせ、スタンド使いか何かだろ」
ぺらぺらと詳細を話し始めるメローネに、舌打ちするギアッチョ。
「まっ、そうだな。俺らには関係ねェか」
「男ってのが気になるけど、オレたちもスタンドあるし」
そう呟き、新聞を折りたたんだホルマジオが、食事にとりかかる。
彼の言葉に同意したイルーゾォも、それにつられるように止めていた手を動かし始めた。
「……」
しかし、ただ一人――俯き目を見開く少女にとっては、≪他人事≫ではなかったのである。
「おい、オメーら。いくら自分がスタンド使いだからって、油断すんじゃねえぞ! 名前、お前も外へ出るときは気を付け……名前?」
「……え? あ、はいっ」
「どうした。ボーっとして」
「体調でも悪いんですかい?」
こちらを見つめるプロシュートとペッシ。
そこでようやく話が自分に振られていると気が付いた名前は、慌てて笑みを作った。
「い、いえっ! ちょっと、考え事していて……」
「はっはーん。名前、もしかしなくてもリーダーのことでしょ?」
「!」
にやにやと笑うメローネの問いは、当たらずも遠からず、という感じだった。
最近、リゾットはアジトへ戻ってこられていない。
もちろん、それは時折あることで――今回も彼が出かけるときは、プロシュートに怒声を上げられるまで名前を抱きしめていたのだ、が。
――言えない。今はリゾットさんに会えなくて、ホッとしてるなんて。
彼女の心はいつもこみ上げる寂しさよりも、安堵に支配されていた。
「クソがッ! こんなクソ眠い朝っぱらから惚気てんじゃねエエエエ!!」
黙り込む名前にそれが肯定と受け取ったのか、ギアッチョがぶち切れ、皿の割れる音が響く。
宥める声。悲鳴に近い声。さらにはリゾットへの恨み言までもが聞こえる中、少女は静かに瞳を閉じた。
自分で作り出した、抑制の薬が効かない。
二人目の血を吸う直前にそれを悟り、名前の瞳にはまさに≪絶望≫の二文字が浮かんでいた。
「……どうして」
今日も、彼女は静まり返った夜の街へと足を踏み入れる。
殺してしまうほどには飲んでいない――それだけが、少女の心をなんとか保たせていた。
――そうでなければ、私は……っ。
リゾットと、いくつもの約束をした。
≪彼以外の血を吸わない≫。
自分は今、それを自ら破っているのだ。
――でも。
もし、リゾットの血を≪この衝動で≫吸ってしまうなんてことがあれば――
「リゾットさんの傍に、いられない」
最初は、本当に≪救済≫のためだけだった。
しかし、今は違う感情が彼女の中にある――それを名前はぽつりぽつりと自覚し始めていた。
だからこそ、彼がしばらく仕事で帰ってこられないと聞かされたとき、安心してしまったのだ。
――彼に知られずに済む、と。
「やあ、お嬢さん。こんな夜中に一人でどうしたんだい?」
「……、ごめんなさい」
慣れないままに、男の首筋へと鋭い歯を立てる。
口内へ広がっていく、相変わらず嫌いな味。
あっという間に血の気を失い、地面へ倒れ込む見知らぬ男性。
「ぁ、はあ……はぁ、はぁっ」
だが、どれほどの血を飲んでも――満たされない。
それは、自分が本当に欲しているものとは、違うから。
「っ、はぁ……は、ッ」
彼を想えば、締め付けられそうになる心。
それをなんとか抑えながら、名前は己のスタンドで男の傷を静かに治療し始めた。
これから自分に何が起こるのかも知らずに――
「……ねえ、名前」
「はい?」
「最近、夜アジトを抜け出してるみたいだけど、どうかした?」
「――」
メローネが紡ぎ出した質問に、その場の空気が凍り付く。
見られていた、のか。
いや――そもそも、気付かれないことの方がおかしいのかもしれない。
彼らだって、夜を生きる人たちなのだから――
「それ、は……っ」
「あ……別に無理に言う必要はないんだぜ?」
「え?」
責められる――そう信じ疑わなかった少女は、彼の言葉にただ驚くことしかできない。
一方、予想通りの反応を見せる彼女に男はにへらと笑う。
「いや……オレたちだって、名前のそういう特性を知ったうえで生活してるんだしさ」
「メローネさん……」
「まあ、強いて言うなら? どこの誰かも知らない男より、オレの血を飲んでほし――」
ガシャンッ
「!」
突如、耳を劈く何かの落ちる音。
それが聞こえた方――後ろを勢いよく振り返れば――
「っ……リゾット、さん」
感情の読めない瞳で、こちらを見据えるリゾットが立っていた。
赤の滲む服。
おそらく、≪仕事≫を終えたところなのだろう。
しかし、その背に纏う雰囲気は、今にも人を殺めていきそうで――
「……ぁ、っ!」
気が付けば、彼に腕を強く引かれ、無理矢理ソファから立たされていた。
骨が軋むほど、掴まれたところが痛い。
だが、それに眉をひそめる名前を心配するリゾットは、ここにはいない。
「行くぞ」
「え? あ……ッ!」
誰もが男に口出しできないまま、二人はリビングを出て行ってしまった。
「……メローネ、お前わざとだろ」
怒り。
その感情を隠そうともしていない大きな背を見送りながら、プロシュートが煙草に火をつけ呟く。
「あはっ、バレた?」
「バレねえとでも思ったのか。玄関の開く音――暗殺者のオレたちが、気付かないはずがねえ」
わかっていたのだ。
最近、名前の様子がおかしいことも、その理由を知ればリゾットがどのような行動に出るのかも。
しかし、それでも。
彼らは――特にメローネは口を開くことをやめなかった。
それは――
「ほんと、じれったすぎるんだよ、二人とも」
なるべくしてなる≪変化≫を望んでいたから。
「……変な結果にならねえといいがな」
≪きっかけ≫は、作った。
しかし、言葉を交わさなければ意味のないときもある。
「あはっ、それはそれでいいじゃあないか! 思い悩む名前の表情も、ディモールト・ベネ……!」
「ケッ、悪趣味が」
紫煙を燻らせつつ、本音を吐き出した男は、どう転ぶかわからない≪明日の朝≫をゆっくりと待つことにした。
>
next
1/4