※ヒロイン、アルバイト先にて(?)
街中に明かりが灯り始める黄昏時。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
名前は満面の笑みで、喫茶店を訪れる客を迎えていた。
その服装は、彼女がいつも身に纏う修道服と似てはいるものの、やけにスカートの丈が短い黒いドレスと白いエプロン。
いわゆるメイド服である。
「名前ちゃん、あちらのお客様に注文を聞いてきてもらっていいかい?」
「はい!」
もし、こんな姿をリゾットに目撃されれば、心配性な彼のことだ。
何時間もの説教を始めるに決まっている。
しかし、それ以前に≪鼻からメタリカ≫という問題が発生する可能性もあるが――彼らに気付かれないよう必死になっていた少女には、そんな大惨事を予想する余裕すらなかった。
――怒られる、だろうなあ……でも、お金は貯めないといけないし……うーん。
「ねえー、そこのお姉さんー」
「! あ、ごめんなさい!」
いつの間にか、考え込んでしまっていたらしい。
ハッと我に返った名前は、慌てた様子でレジの前に立つ男の前へ駆け寄る。
「お会計ですね……えっと」
「ねえ」
「……はい?」
「お姉さんの連絡先、教えてほしいな」
きょとん。
見つめていた伝票から顔を上げて、思わず首をかしげてしまう。
どうしてそんな話になったのだろうか。
「あの……お客様、そういう話は……」
「そう固いこと言わないでさ……ほら、電話番号かメルアドでいいから」
「は、はあ……」
申し訳ないが、教えられない。
そもそも、携帯すら持っていないのだ。
だが、戸惑いを隠せない名前を気に留めることなく、男は自分の携帯を手に催促する。
「早く早く」
「ごめんなさい。私、携帯を持っていなくて」
「はは、そんな嘘つかなくてイイって」
「う、嘘じゃ――」
ないです。できれば会計を済ませて、帰ってほしい――そう思いながら口を開いた、が。
「ッ!」
突然、掴まれた左手首に驚いて、思わず閉口してしまう。
「いいから、さっさと出せって」
豹変した男。
ちらりと周りを見るが、店長はどうやらキッチンへ行っているらしい。
そして、この時間は客自体も少ない。
どうしよう――ぎらついた視線に名前がそっと俯いたそのとき。
ゴンッ
「いでッ!?」
「!」
「あ、わりー。へたくそなナンパにイラついて、つい当てちまった」
何かのビンが転がってくると同時に映ったのは、丸い帽子から覗く黒髪。
「ッ、テメー今なんつった!?」
「へたくそって言ったんだよ、へたくそッ! 嫌がる女に手ェ出して何が楽しいんだ、オメー」
「この……!」
刹那、動こうとした男の胸ぐらを、彼が勢いよく掴み上げる。
「おいおい。何が楽しいってこっちは聞いてんだよ……」
「ぐ……ッ」
ギリギリ。
顔を歪めていくナンパ男。
その早すぎる展開に、名前が一人おろおろしていると――
「ちょっと! ケンカなら余所でやってくれッ」
怒声を上げながら、現れたのは店長。
「……チッ」
次の瞬間、胸ぐらを解放された男は必死の形相で店を出て行ってしまった。
もちろん、お金は払われていない。
だが、そんなことはどうでもいいと言うかのように、店長は娘を心配するかのような表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「大丈夫かい!?」
「は、はい……ごめんなさい。断りきれなくて……」
「いや、謝るのはおじさんの方だ。ごめんね」
「おい。オレを忘れてねーか、オッサン」
「!」
「なんだ、ミスタ。お前まだこんなとこで油売ってたのか」
ミスタ――自分の前にいるのは、やはりグイード・ミスタだ。
思わずじっと見上げていると、それに気付いた彼と視線が重なる。
「ん?」
「あ……助けていただいて、ありがとうございました……!」
「! い、いや! オレは、当然のことをしたっつーかなんつーか。手首、痛んでねーか?」
「はい!」
少しはヒリヒリするが、痕が残るほどでもない。
そう思い首を縦に振れば、なぜかそっぽを向いてしまうミスタ。
「?」
「(今までにないタイプ……これが巷で知られるヤマトナデシコか? イイ……)な、なあ!」
「どうかされましたか?」
「オレ……グイード・ミスタって名前なんだけどよ……お前の名前――」
「名前ちゃーん、ちょっと来てくれ!」
「あ、はーい!」
教えてくれ――その言葉は、少し離れたところから聞こえた声によって掻き消されてしまった。
――お……オッサンんんんッ!
名前は聞けたものの、望んでいたのはこんな形ではない。
そんな、彼の胸の内も露知らず、仕事を思い出した少女はぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、店長が呼んでいるので……失礼させていただきます」
「お、おう」
「あ……そうでした」
たったっと小走りでレジの前から離れようとした名前。
しかし、何かを思い出したのか、くるりとミスタの方を振り向いた。
「また、ぜひお店へいらしてくださいね、ミスタさん」
「!」
店に入れば、どこででも耳にする常套句。
だが彼女――名前が口にした途端、輝いたように感じてしまう。
――ぜってー、また来よう。
ふわりと揺れる少女のスカートを見つめながら、心の中で固く誓う。
しかし、その直後≪逮捕≫されてしまったうえに、パッショーネへ入団したことで、ミスタの小さな恋は芽吹くことなくしぼんでしまうのだった。
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