「特定の縄張りがない……このことが役に立つとは、皮肉なものだ」
埃の被った、新しいアジト。
というより――もう一つのアジトと言うべきなのかもしれない。
場所を突き止められたときの≪危険性≫から、もともと何かあればここへ移動する、とチーム内で決めていたようだ。
「だが、同時に感じさせられる。オレたちに対する組織の待遇の悪さを」
「……リゾットさん……」
自嘲するように言葉を紡いだリゾットの顔を、名前はただ見上げることしかできない。
しかし、その視線に気づいたのか、少女へ目を向けた彼は安心させるように口元を緩めた。
「名前、そんな顔をする必要はない。この場所なら……ソルベとジェラートも知っている」
「!」
彼の仲間への想い。
その深さに、自然と彼女も顔に笑みを取り戻していた。
「そう、ですね」
「ああ」
「……」
「……」
「っ……ソファ、座ってみようかな」
なぜか漂う気まずい空気。
そこから抜け出したくて――鮮やかな色をしたソファへと歩み寄ろうとした名前だった、が。
「ッ、あれ?」
「……」
しっかりと掴まれてしまった右腕。
力強いそれに、慌ててリゾットを振り返る。
「――」
「……名前」
こちらを見つめる瞳。
ドクン
自然と高鳴り始める心臓。
それを享受しながら、彼の視線からそらせないままでいると――
「リーダー……って、あ」
「ッ!」
リビングへと顔を出した瞬間、イルーゾォは後悔した。
――この雰囲気……明らかに入っちゃダメだったよな。
「い、イルーゾォさん! どうされたんですか?」
「あ……いや、えーっと」
微笑みを向けてくれる名前。
ほんわかとした彼女の笑みを見て、大掃除に疲弊していた顔も綻ぶ。
でも、その前に。
「……」
――リーダーの視線を、どうにかしてくれェェエッ!
どうして今来た――と言いたげなリゾットの目に、彼は生きた心地がしなかったとか。
もちろん、ここへ赴いた理由――部屋が余っているから名前もリーダーと別にしたらいいのではという提案――なんて、制裁を受けたイルーゾォが言えるはずもなかった。
その夜。
誰もが寝静まったアジトの中で、名前は一人思い悩んでいた。
ちなみに、ベッドから抜け出そうとした彼女を、リゾットがなかなか離さなかったのは言うまでもない。
「もう少し……もう少しで、思い出せそうなのに」
とても大事なことを忘れている。
小さく呟きながら、静かに玄関の扉を開け、空を見上げた。
あちらのアジトより少し星は減ってしまったが、美しいことに変わりはない。
「……どうして、忘れてしまったの?」
雲から顔を出した月に、すっと目を細めたそのときだった。
ドクンッ
「ッ、!?」
今までにない≪衝動≫。
それに堪えかねて、思わず名前は外にもかかわらず座り込んでしまう。
「は、っ……なん、で」
血が欲しい。
そのことしか考えられなくなるなんて――なかったはずなのに。
全身から血の気が引いていく。
そうなればなるほど、喉は潤いを求め――息も乱れる。
「や、ぁ……はぁっ、はっ」
――体内の鉄バランスを負に傾けさせる薬だ。
「……?」
刹那、どこかで聞いた男の声が脳内を過った。
――今の、は。
「……あの、大丈夫ですか?」
「!」
次の瞬間、名前は地面に倒れ込む男を見下ろしていた。
「…………ぇ?」
衝動の姿はもうない。
しかし――それは≪吸血≫を意味していた。
「ぁ、ぁあっ……そん、な……!」
勢いよくしゃがみ込み、必死の思いで男の脈を測る。
微かに感じた生命。
だが、目を覚ますにはかなりの時間を要するだろう。
多くの血を飲んでしまった事実――首筋に見えた二つの穴が、少女の心をより責め立てた。
――鉄分が欲しくなる。吸血鬼のお前が摂取すればどうなるのか、気になってたまらないぞ!
今度こそはっきりと聞こえてくる声。
「どう、しよう……どうしよう……っ!」
続く≪幸せ≫を求めてしまったから、なのか。
自分の身体を抱きしめながら、名前はある可能性――大切な人を殺してしまうこと――にただ怯えていた。
to be continued...
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