数分後、その場には名前だけが残っていた。
「二人とも……どうか、無事でいてください」
祈るため両手を胸の前で組んでいた彼女は、おもむろに顔を上げる。
――私も、戻らなきゃ。
今日は、月を雲が隠しているから、街灯さえなければ誰にも見つからずに帰れるだろう。
ホッと小さく息を吐き、踵を返そうとした、が。
「……わわっ」
「え?」
刹那、少年の声とともに、何かが散らばる音が路地裏に響いた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
感じもしなかった人の気配に驚きつつも、彼の元へ近づく。
だが、俯き気味だったその顔を覗き込んで、名前は相手に悟られぬよう息をのんだ。
「いたたた……あ、だ、だだ大丈夫です!」
慌てて落としてしまったらしい紙を拾い始める少年は、原作でよく見た――ドッピオだった。
「……手伝いますよ」
しかし、すぐさまここを離れれば、逆に怪しまれてしまうだろう。
心の中で焦燥と闘いながら、名前はそっとしゃがむ。
「えっ、でも」
「こんなにたくさんの書類、一人じゃ大変ですし、ね?」
「……ありがとうございます」
必死に止められないあたり、大事なものというわけではないのかもしれない。
黒で埋め尽くされたいくつもの紙を手にしていると――ふと、写真のような何かが見えた。
どうやら、人が映っているらしい。
顔は見えないものの、黒髪が印象的だ。
――これは……。
「……あーッ!! これは、ダメです!」
「きゃっ」
ところが、右手が触れようとしたそれは、ドッピオによって奪われてしまった。
一方、驚いて声を上げる彼女に、少年もまずいと感じたのか先程より慌てている。
「ご……ごめんなさいッ! これは、とても大事なもので、つい!!」
――……いい子に見えちゃうんだけど、なあ。
「……ふふ、大丈夫ですよ、気にしないでください」
「! は、はい!」
小さく笑ってみせれば、なぜか彼の顔がみるみるうちに赤くなってしまった。
不思議に思い凝視していると――視線から逃げるように立ち上がるドッピオ。
「そうだ! ぼ、ぼく……人を探しているんですけど……」
「……人を?」
ソルベとジェラートのことだろうか。
知らない――そう一言、告げればいい。
質問への答えを用意した名前は、固唾をのんで少年の言葉を待っていた、が。
「はい。≪女性≫を探しているんです」
「……へ?」
予想もしなかった返答。
それに驚きを隠せないまま彼女も立ち上がると、身長の近いドッピオとすぐに目が合う。
「そうなんです。まさに――あなたみたいな、黒髪の女性を」
「――」
そんなはずが、ない。
だが、この胸を支配する不安はなんだろう。
「そう、なんですか……あ、私そろそろ、戻らないと」
「どこへですか?」
「……教会へ」
修道服を身に纏っていて、これほど助かったと思ったことはない。
「それでは、ここで失礼しますね」
挨拶もそこそこに、名前が駆け出そうとした――そのときだった。
「とうるるるるるるるん……あっ!」
「!?」
「とうるるるるるる、るるるるるるるッ」
突如響いた着信音――正しく言えば、少年の口から紡がれる音。
嬉々と目を輝かせたドッピオは、きょろきょろと≪電話≫を探し始める。
そして――
「えっ」
少女の胸元へ耳を近づけた。
そこで悟る――≪今回の≫電話は自分の十字架、スタンドだと。
「とうるるるるる……すみません、ちょっと貸してもらっても?」
「あ……っどう、ぞ」
「ありがとうございます! もしもし? ボスですか?」
「……」
クロスを手に話し続ける少年。
己のスタンドが、まるで人質のようだ。
――大丈夫。黒髪の女性、は偶然……偶然に決まっている。
ふと、地面に映った影を目にして、彼女は顔を上げた。
夜空には、雲が通り過ぎたばかりの満月。
その慣れない眩しさに、思わず眉をひそめた瞬間――
「『お前の隣にいるだろう? 吸血鬼の女が』」
「!」
右腕に走った、鋭い痛み。
恐る恐る視線を戻せば――少年とは違う≪瞳≫がこちらを見ていた。
――……そんな……まさ、か……。
カシャン。鋭い音を立てて落ちる、何かの入っていた注射器。
霞み始める視界。
痺れが広がっていく脳。
そんな中、彼女の心に浮かび上がるのは、大切な彼の顔。
――…………リゾ、ト……さ……――――
ドサリ
「……」
眠り込んでしまった名前を抱き上げるのは、ドッピオではなく≪もう一人の男≫。
しばらく少女を見下ろしていた彼は、再び月を隠した雲のように忽然と闇へと消えていった。
to be continued...
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