quattro


シャワーの音が、やけにうるさい。


「……」


名前は、叩きつける水を感じながら、先程までのことを思い出す。



あの後、皆が慌てた様子で駆け寄ってきてくれた。


帰路の途中でも、誰かが必ずその場を盛り上げていた。



しかし、リゾットだけは一切喋らなかったのである。


――皆さん、優しすぎるよ。



アジトから追い出そうともせず、一番にシャワーを貸してくれる。



「……っく、ぐす……」


――私が泣くなんてお門違い……そんなのわかってるのに。





もう、何も考えたくない。



「ひくっ……ふ、え」


「ッ、わぁぁぁああああああ……!!!」



声を出して泣くなんて、いつぶりだろうか。


シャワーの音にまぎれるように、名前はただ泣き続けた。




「……」


それを、ドアの前を通りかかったメローネが聞いているとも知らずに。










これからどうすべきだろう。


パジャマには着替えたものの、リゾットの部屋に行くわけにもいかない。


――今日は涼しめだけど、寒くはないし……ベランダにでも行って、寝ようかな。




「で? どうするつもりだ? オレらのリーダーさんよ」


「!」


リビングで聞こえたプロシュートの声と言葉に、ドクリと心臓が跳ねる。


ちらりと覗けば、メンバー九人全員が集まっているらしい。


その深刻な表情と不穏な空気に、ただ耳を澄ますことしかできない。



「……上の行いは、目に余る。当然、オレたちへの待遇もだ」


次に届いたリゾットの声。



――よかった、私のことじゃない……って、何考えてるんだろ。


自意識過剰にもほどがあるが、自分に対しどういった処遇がなされるのか、気になっていたのである。


「まあ、そうだよな……」


「せめて、せめてボスの正体さえ把握できたら」


ホルマジオとイルーゾォの苦渋交じりの言葉。



それが聞き流せたら、どれほど楽だろう。


――今は原作から二年前……いつ、ソルベさんとジェラートさんが動き出すか……。




「ま、今日で決められることじゃないしさ……みんなそろそろ寝ない?」


ジェラートの声。


それに同意する音が聞こえたかと思えば――


「ジェラート、行こう」


扉へ近づいてくるカップル。


――あ、ダメ……今鉢合わせしたら……。


「そうだね! ……あ」


行動があまりにも遅すぎた。


二人の視線に、申し訳なさそうな顔でいると――



ポン


「?」


「心配しないで! ね、ソルベ!」


「ああ、なんとかなる」


頭から重さが消える。

通り過ぎて行った二人の背を、名前は見つめ、心の中で呟く。



――なんとか≪なる≫んじゃなくて……≪しよう≫とするんですよね? 二人は……。


今日は、ナミダが枯れない日らしい。


俯いた彼女は、そそくさと星の見えるベランダへ駆けていった。










「じゃ、先に寝させてもらうぜ。ペッシ!」


「はい! みんな、おやすみなさい!」


「さァて、俺も寝るかな〜」


「ふああ、ねむ……おやすみ」


「さてと……ゲーム、じゃねえ、寝るか」


プロシュート、ペッシ、ホルマジオ、イルーゾォ、ギアッチョの五人がリビングを後にする中、リゾットとメローネは動こうとすらしなかった。



「メローネ、お前は確か明日仕事だろう……早く寝たらどうだ」


「そういうリーダーこそ。それとも……≪寝に行けない≫理由でもあるわけ?」


漂う沈黙。


ネクタイは外しているものの、スーツ姿の男を見ながら、メローネは笑う。



「……何がおかしい」


「ああ、すべておかしいね! あんたみたいな奴でも、名前のことになると≪後悔≫なんて、似合わないことするんだって思うとな」


「……お前には、関係ないはずだが」


苛立っているのだろうか。


表情は無そのものだが、心の中に渦巻くものが丸見えだ。


「ふーん、そうやって彼女も突っぱねたんだ?」


「突っぱねたわけでは、ない」


「……まあ、そう思うのは自由だけどさあ……名前、浴室で泣いてたぜ?」


「!」


ようやくわかりやすい反応だ。

それに重ねるように、メローネは予想できる範囲の≪真実≫を告げた。



「それにさ……オレたち、話してただろ? 体裁がどうの、幹部がどうのって……たぶん、脅されたんだろうな」


ま、想像だけど。


そう呟き、リゾットがいたはずのソファへ視線を向ければ、姿がない。



「はは、リーダーってば……パーティー行ったときから不機嫌だったけど……名前に見とれる男どもに嫉妬してたなんて。わかりやすすぎだろ……な、イルーゾォ」


笑みを浮かべながら横にある鏡を見ると、苦笑した男がそこから出てきた。



「ほんとわかりやすい……リーダーって意外に独占欲が強いよな」


「あんたにだけは言われたくないと思うけどな。それと……ねえ、ギアッチョ―」


「……」


「ギアッチョォォォ! そこにいるのはわかって――」


「だアアアアア! うっせェんだよ!」


激昂しながらも現れた男に、にやにやと笑みを深めるメローネ。



「ね、ね! あんたも、気まずそうな二人が気になったんだよな? んー、ディモールト・ベネ!」


「ちッげェェェェエエエエ! 俺はただ、水飲みに来ただけだッ! 名前が心配だったとかじゃねえよ!!!」


「あいつ、自爆してるのに気付いてねえな」


「はははは、それがいいとこでもあるんじゃあないか!」


「テメーそれより! なんでアイツが泣いてたの、知ってんだよ!」


話を変えたギアッチョに、わかりやすいと思いつつ、そのときのことを思い返す。



「ああ、あれ? あれは名前の下着をちょっと拝借しようと思って……まあ、あわよくばシャワーシーンにもあやかれるかなって! きっとベネに違いない!」



・・・・・・。



「……コイツにまともさを期待した俺が、バカだったってことかよ」


「まあ……まともな答えだったら、明日は槍が降ってただろうぜ」


がくりと項垂れる彼の肩に、イルーゾォは静かに手を置いて慰めのような言葉を吐いた。










「……これから、どうしよう」


紺の空に散りばめられた星を見上げながら、名前はぽつりと悩みを口ずさむ。


――幸せに、この日常に、慣れちゃったんだ。


やはり少し肌寒い。


今は真夏だ。


自分の生まれ故郷ではありえない環境に、そっと両腕を擦っていると――



バサッ


「? ……あっ」


突然温かくなった肩。


その正体がジャケットであることを見とめて、勢いよく顔を上げれば――

赤と目があった。



「……冷えるぞ」


「は、はい……でも、星がきれいで……!」


気まずさを覚えつつ、言葉を取り繕う。


きっとバレているに違いない。


しかし、リゾットは何かを言うこともなく、名前の隣に腰を下ろした。


二人の間にある、たった数センチの隙間。



いつもは特に気に留めないそれが、やけに切なくて。






「泣いて、いたのか?」


「……へっ!?」


どうしてそれを――彼を凝視すれば、静かに近付いてくる右手。


「!」

しかし、一瞬だけ身体が強張ってしまう。


彼は、そんな彼女の動きを見逃さなかった。


「……」


「あ、あの! 今のは……」


「すまなかった」


違うんです。

そう口にしようとした瞬間、立ち去ろうとするリゾット。


――違う、違うの! お願い……!


「待ってくださ……あ!」


「? 名前!」


カッシャーン


慌てて立ち上がろうとしたことで、少女の椅子が派手な音を立てて、倒れる。

その上に舞い降りる黒いジャケット。




だが、それより。


「……大丈夫か?」


「はい……っ」


自分を包む、彼のぬくもりと低い声。


「名前? いったい――」


「今だけ……今だけこうさせてください」


トクトクと耳に届く彼の鼓動。


これが何よりも懐かしく、愛しくて――名前は自分が泣いていることをようやく理解した。




「……ほんとは、怖かったんです」


「ああ」


「でも、チームがどうなるかわからないって言われて」


「ああ……(あの野郎……)」


「ベッドに突き飛ばされて……言われたんです。≪死体≫みたいだって」


「ああ……え?」


刹那、リゾットの中に再び燃え上がる憤怒の炎。


――あの男……。





「でも、そんなの、全部どうでもいいんです」


「名前?」


「私は……私は、リゾットさんを、皆さんを失いたくなかった……軽蔑も、されたくなかったんです。それだけを願いました」


くぐもった声。

おそらく少女は泣いているのだろう。


じんわりと濡れたシャツに、リゾットは優しく名前の黒い髪をなでる。





「リゾットさん……ごめんなさい。私……」


「もう、いい」


「私……ッ」


「名前、もういいんだ。君がオレの傍にいたら、それでいい」


その声色に、顔を上げれば――小さく微笑む男が。



「名前が後ろの奴らに向かって歩き出そうとしたとき、オレは嬉しい反面、嫌な予感がした」


「……君は、オレたちのためなら、大切なものまでも賭けてしまうんじゃないか、とな」


「!」


ぴくり、と反応する彼女の肩に、リゾットはもう一度、今度は支えるためではなく離さないために抱きしめる。




「そ、それは……私にとって、皆さんが支えで」


「オレたちも、名前が支えだ。だからこそ、チームを条件にされて名前があの男に襲われかけたのが、気に入らない」


重なり合う視線。

彼の瞳に、冷たさはもうない。



「手首、痛いだろう?」


「……少しだけ」


「目も痛いんじゃないか?」


「えへへ、冷やせば治ります」


「名前は……オレが、怖いか?」



その質問に、きょとんとしたままリゾットを見つめるが、どうやら真剣に聞いているらしい。




――そんなわけ、ないのに。


あの寝室で、よほど怯えた表情を自分はしていたのだろうか。


ふふ、と自分の胸元で笑った彼女に、男は少し眉をひそめる。


「名前? 何を笑って――」


チュッ


「!」

頬に感じる柔らかさ。

バッと下へ目を向ければ、恥ずかしそうに少女が微笑んでいる。



「怖いなんて……そんなの、一度も思ったことないんですから!」


「……ふ、どうやらオレは一本取られたようだな」



もう、外にいても寒くない。


二人の心は、前以上に近くなった。


そう確信できた。













「……すう、すう」


「まったく、無防備だな……名前は」


眠ってしまった彼女を抱えながら、先程唇の当たった左頬に触れる。



「だが、オレの方が一枚上手だ」


刹那、少し開かれた名前の唇を塞ぐ。


――初めてだな。吸血以外の目的で……なぜかしたいと思うがまま、してしまうのは。


いや、最初からその気持ちは確かに存在していた。



自分の中にあるその感情がわからず、正直もやもやもするが、だからと言って気分が悪いわけでもない。


――今は、これでいいのかもしれない。



ふっと口元を緩めたリゾットは、少女を起こさないように自分の部屋へと向かうのだった。











その後、彼女を襲おうとしたあの幹部は事故で亡くなったらしい。

名前が不安そうに新聞を読む傍らで、他の皆はまるでそれが≪計画通り≫だったかのように、ほくそ笑むのだった。





しかし、幸せそうな彼らの間を引き裂く、別離が待っているとは知らずに。




L'estate di 1999
思い深まる、1999年の夏。




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