due



翌日の晩、黒スーツの集団の中に、名前はいた。


彼女が纏うのは美しい青のドレス。


ちなみに、色やデザインでもチームがなぜか揉めるという事態が発生したが、なんとかこのドレスで収まりがついた。


さらに言えば、髪をセットしてくれたのはイルーゾォである。


――なんだか、違う世界に来ちゃったみたい。



もともと、自分はいわゆるトリップをしてきた身ではあるが、それとはわけが違う。


天井から降りるシャンデリア。


テーブルに飾られた花が囲む料理。


明らかに高級であろうカーテンやカーペット。



「どうした、名前?」


「……え、あ……その、自分が場違いのように思えて」


暗殺時の衣装も、私服も見慣れ始めていたが、スーツはかなり新鮮だ。


――リゾットさんは……なんでも似合っちゃうんだなあ。


それに比べて自分は――ちらりとドレスを一瞥して、思わずため息が口から飛び出していると。



「そんなことはない。今の名前は…………とても魅力的だ」


「ッ! リゾットさんの、天然タラシ!」


「? すまない、何か気に障ることを言ってしまっただろうか?」



――やっぱり恐ろしく天然だ!


無言のまま、小さく首を横に振る。


リゾットはそれでは納得していなかったようだが、彼が口を開こうとしたとき、背後からこそこそと会話が聞こえた。



「なあ、怖ーい暗殺チームって来てんのかな?」


「ははっ、どうだろ? だってあいつら、ボスに冷遇されてんだろ?」


「そりゃそうだろ! 一般人でも容赦なく殺してくような、快楽主義者どもだもんな!」



――ッ……そんなこと、皆さんはしてないのに……!



違う、と伝えなければ――名前が彼らの元へ歩き出そうとした途端、しっかり掴まれる自分の肩。



「名前、気にするな」


「! でも、あの人たち、あることないこと言って……」


「ああいった噂はよくある類のものだ。それに……もしオレたちを庇うようなことを言えば、根掘り葉掘り聞かれるのがオチだ」



その声は冷たさと鋭さを帯びたもので、初めて少女が耳にしたものでもあった。



「そんな……納得いきません」


「すべてが納得のいく結果になるとは限らない。それとも……名前は駄々をこねるような子だったか?」


かち合う瞳。


しかしそれは、どこか違うところを見ているようで――彼女の心をひどく抉った。




「ッ……ごめんなさい。頭冷やしてきます」



素早く頭を下げ、その場を立ち去る。



「名前! リーダーは、別にお前を傷つけたいわけじゃなくて――」


「わかっています。イルーゾォさん、ありがとう……少ししたら、戻ります」



慌てて話しかけてくれる彼に小さく微笑んでから、名前は足早に皆の元を離れた。




「……リーダーよォ……気持ちもわかるが、言い方ってもんがあるだろ?」


「ホルマジオにプロシュートか。二人とも、てっきりもう女をひっかけて、ここから退散したと思っていたが」



すでに少女が消えてしまった方を眺めたまま、リゾットが口を開けば、返ってくるため息。



「ハン、茶化すんじゃねえよ。大方、思ってんだろ? 名前を危険に晒したくねえって」


「……」


「それは俺らも同じだ。でもさ……伝えなきゃわかんないこともあんだぜ?」


「なんのために口があると思ってんだ。息吸うだけならいらねえんだよ」


――伝えるべきこと……そう、だな。


彼の瞳に宿った強さと優しさに、二人はにっと笑う。


そして、男の肩に両方から手を置きながら、飄々と≪要求≫を口にした。


「と、言うわけで! 俺らに酒でも奢ってくれよな!」


「オレには高級ワインな」












「すまなかった。怪我はないかい? シニョリーナ」


「い、いえ……私がふらついてしまっただけなので」


その頃、風にでも当たろうと俯きながら歩いていた名前は、ある男と話をしていた。



「そうか、本当によかったよ……オレはブローノ・ブチャラティ。お嬢さん、君の名前は?」


「あ……名前と言います。支えていただきありがとうございました」



そう、慣れないハイヒールでそそくさと進んでいたためか、ふらついたところを彼に助けてもらったのである。


「気にしないでくれ。名前か……素敵な名前だ」


キラキラ。

まさにその効果音が付きそうな笑顔に、どぎまぎしつつも彼の顔を凝視する。


――二年の前のブチャラティさんは、少し幼さが残る感じだなあ。


「ところで、名前はずいぶんイタリア語がうまいんだな……」


「あは、は……在住が長いもので」


確かに、ブチャラティはとても≪いい人≫だった。


だからこそ、彼の死は見たくない。


――どうにかして、接近できる方法を見つけないと……。



「ブチャラティ、ちょっとよろしいですか?」


「ん? ああ、すまない、すぐ行く。……じゃあ、名前。また会おう」


「は、はい! ぜひ!」


――二年後に絶対。


颯爽と歩いていく彼を見送り、いったん戻ろうかと逡巡する名前。



リゾットに謝りたい、と思ったのだ。


――そして、いつもみたいに話がしたい。


小さな幸せ。

それが大事なのだと、暗殺チームの彼らに会って、改めて感じた。



――忘れてたんだ。私は吸血鬼……少しだけ、人間に戻った気分になっちゃってた。


皆には幸せになってほしい。


しかし、そこに自分がいるかは別だ。



――リゾットさんは、どこに……あ。


いた。確かに男は少女が見つけられる範囲にいた、が。



――女の人に、囲まれてる……。


彼は無表情を突き通しているようだが、周りの女性がどんどん話しかけている。


そのとき、胸がちくりと痛み、名前は久しぶりに心臓の存在を思い出した。




――やっぱり、後にしよう。


他のメンバーもそれぞれ忙しそうだ。


苦笑した彼女は、バルコニーへと足を運ぶことに決めた。












「Buona sera(こんばんは)、美しいシニョリーナ」


「! こんばんは……あの、どなたですか?」



夏の夜の静けさを一人、感じていた名前は背後から聞こえた声に、慌てて振り返る。


そこには、ワイングラスを片手に笑う、四十代の男。


なぜかはわからないが、ぞわりとした感覚が彼女の背を襲う。


「ひひ、なあに。女性を独りにはしておけない、ただの男だよ」


「は、はあ」


――でも、明らかに高級そうな服なんだけど……。


どうやってここから立ち去るべきか。


表情では笑みを浮かべつつ、脳内で考えを巡らせていると、グッと男の顔が近づいた。



「っ、ひ……」


「ん〜、さっきまでは暗くて見えなかったけど、東洋人だね?」


「そ、そう、ですけど……それが何か?」


「……今から、予定はないかね」


何を言い出すのだろう。


彼の下卑た笑い声を聞けば、わかってしまう。




拒否したい、拒否するに決まっている。


金縛りのように動けないまま、口だけを開こうとすれば――そっと囁かれる。



「念のために言っておくが、私は幹部だ。私を拒絶すれば……どこ所属かは知らんが、君のチームがどうなるか……わかってるね?」


「!」


――そんな……!


刹那、ふと浮かぶ皆の顔。

自分の前では笑顔を見せてくれるが、きっと上からの待遇に不満を持っているのだろう。


それがさらにひどくなれば――結果は考えなくてもわかった。




「…………わかり、ました」


「ひひひ、物わかりがよくて助かったよ! ささ、上へ行こう」



腰に手を回され、勢いよく引き寄せられる。


強くなったメンバーの誰とも違う香りに、奥歯を噛むことで、泣きたい気持ちをなんとか抑えるしかなかった。




――……リゾットさん、ごめんなさい。


右耳だけで鳴るイヤリングの音を聞きながら、名前は何も言わず男の隣を歩いていった。




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