翌日の晩、黒スーツの集団の中に、名前はいた。
彼女が纏うのは美しい青のドレス。
ちなみに、色やデザインでもチームがなぜか揉めるという事態が発生したが、なんとかこのドレスで収まりがついた。
さらに言えば、髪をセットしてくれたのはイルーゾォである。
――なんだか、違う世界に来ちゃったみたい。
もともと、自分はいわゆるトリップをしてきた身ではあるが、それとはわけが違う。
天井から降りるシャンデリア。
テーブルに飾られた花が囲む料理。
明らかに高級であろうカーテンやカーペット。
「どうした、名前?」
「……え、あ……その、自分が場違いのように思えて」
暗殺時の衣装も、私服も見慣れ始めていたが、スーツはかなり新鮮だ。
――リゾットさんは……なんでも似合っちゃうんだなあ。
それに比べて自分は――ちらりとドレスを一瞥して、思わずため息が口から飛び出していると。
「そんなことはない。今の名前は…………とても魅力的だ」
「ッ! リゾットさんの、天然タラシ!」
「? すまない、何か気に障ることを言ってしまっただろうか?」
――やっぱり恐ろしく天然だ!
無言のまま、小さく首を横に振る。
リゾットはそれでは納得していなかったようだが、彼が口を開こうとしたとき、背後からこそこそと会話が聞こえた。
「なあ、怖ーい暗殺チームって来てんのかな?」
「ははっ、どうだろ? だってあいつら、ボスに冷遇されてんだろ?」
「そりゃそうだろ! 一般人でも容赦なく殺してくような、快楽主義者どもだもんな!」
――ッ……そんなこと、皆さんはしてないのに……!
違う、と伝えなければ――名前が彼らの元へ歩き出そうとした途端、しっかり掴まれる自分の肩。
「名前、気にするな」
「! でも、あの人たち、あることないこと言って……」
「ああいった噂はよくある類のものだ。それに……もしオレたちを庇うようなことを言えば、根掘り葉掘り聞かれるのがオチだ」
その声は冷たさと鋭さを帯びたもので、初めて少女が耳にしたものでもあった。
「そんな……納得いきません」
「すべてが納得のいく結果になるとは限らない。それとも……名前は駄々をこねるような子だったか?」
かち合う瞳。
しかしそれは、どこか違うところを見ているようで――彼女の心をひどく抉った。
「ッ……ごめんなさい。頭冷やしてきます」
素早く頭を下げ、その場を立ち去る。
「名前! リーダーは、別にお前を傷つけたいわけじゃなくて――」
「わかっています。イルーゾォさん、ありがとう……少ししたら、戻ります」
慌てて話しかけてくれる彼に小さく微笑んでから、名前は足早に皆の元を離れた。
「……リーダーよォ……気持ちもわかるが、言い方ってもんがあるだろ?」
「ホルマジオにプロシュートか。二人とも、てっきりもう女をひっかけて、ここから退散したと思っていたが」
すでに少女が消えてしまった方を眺めたまま、リゾットが口を開けば、返ってくるため息。
「ハン、茶化すんじゃねえよ。大方、思ってんだろ? 名前を危険に晒したくねえって」
「……」
「それは俺らも同じだ。でもさ……伝えなきゃわかんないこともあんだぜ?」
「なんのために口があると思ってんだ。息吸うだけならいらねえんだよ」
――伝えるべきこと……そう、だな。
彼の瞳に宿った強さと優しさに、二人はにっと笑う。
そして、男の肩に両方から手を置きながら、飄々と≪要求≫を口にした。
「と、言うわけで! 俺らに酒でも奢ってくれよな!」
「オレには高級ワインな」
「すまなかった。怪我はないかい? シニョリーナ」
「い、いえ……私がふらついてしまっただけなので」
その頃、風にでも当たろうと俯きながら歩いていた名前は、ある男と話をしていた。
「そうか、本当によかったよ……オレはブローノ・ブチャラティ。お嬢さん、君の名前は?」
「あ……名前と言います。支えていただきありがとうございました」
そう、慣れないハイヒールでそそくさと進んでいたためか、ふらついたところを彼に助けてもらったのである。
「気にしないでくれ。名前か……素敵な名前だ」
キラキラ。
まさにその効果音が付きそうな笑顔に、どぎまぎしつつも彼の顔を凝視する。
――二年の前のブチャラティさんは、少し幼さが残る感じだなあ。
「ところで、名前はずいぶんイタリア語がうまいんだな……」
「あは、は……在住が長いもので」
確かに、ブチャラティはとても≪いい人≫だった。
だからこそ、彼の死は見たくない。
――どうにかして、接近できる方法を見つけないと……。
「ブチャラティ、ちょっとよろしいですか?」
「ん? ああ、すまない、すぐ行く。……じゃあ、名前。また会おう」
「は、はい! ぜひ!」
――二年後に絶対。
颯爽と歩いていく彼を見送り、いったん戻ろうかと逡巡する名前。
リゾットに謝りたい、と思ったのだ。
――そして、いつもみたいに話がしたい。
小さな幸せ。
それが大事なのだと、暗殺チームの彼らに会って、改めて感じた。
――忘れてたんだ。私は吸血鬼……少しだけ、人間に戻った気分になっちゃってた。
皆には幸せになってほしい。
しかし、そこに自分がいるかは別だ。
――リゾットさんは、どこに……あ。
いた。確かに男は少女が見つけられる範囲にいた、が。
――女の人に、囲まれてる……。
彼は無表情を突き通しているようだが、周りの女性がどんどん話しかけている。
そのとき、胸がちくりと痛み、名前は久しぶりに心臓の存在を思い出した。
――やっぱり、後にしよう。
他のメンバーもそれぞれ忙しそうだ。
苦笑した彼女は、バルコニーへと足を運ぶことに決めた。
「Buona sera(こんばんは)、美しいシニョリーナ」
「! こんばんは……あの、どなたですか?」
夏の夜の静けさを一人、感じていた名前は背後から聞こえた声に、慌てて振り返る。
そこには、ワイングラスを片手に笑う、四十代の男。
なぜかはわからないが、ぞわりとした感覚が彼女の背を襲う。
「ひひ、なあに。女性を独りにはしておけない、ただの男だよ」
「は、はあ」
――でも、明らかに高級そうな服なんだけど……。
どうやってここから立ち去るべきか。
表情では笑みを浮かべつつ、脳内で考えを巡らせていると、グッと男の顔が近づいた。
「っ、ひ……」
「ん〜、さっきまでは暗くて見えなかったけど、東洋人だね?」
「そ、そう、ですけど……それが何か?」
「……今から、予定はないかね」
何を言い出すのだろう。
彼の下卑た笑い声を聞けば、わかってしまう。
拒否したい、拒否するに決まっている。
金縛りのように動けないまま、口だけを開こうとすれば――そっと囁かれる。
「念のために言っておくが、私は幹部だ。私を拒絶すれば……どこ所属かは知らんが、君のチームがどうなるか……わかってるね?」
「!」
――そんな……!
刹那、ふと浮かぶ皆の顔。
自分の前では笑顔を見せてくれるが、きっと上からの待遇に不満を持っているのだろう。
それがさらにひどくなれば――結果は考えなくてもわかった。
「…………わかり、ました」
「ひひひ、物わかりがよくて助かったよ! ささ、上へ行こう」
腰に手を回され、勢いよく引き寄せられる。
強くなったメンバーの誰とも違う香りに、奥歯を噛むことで、泣きたい気持ちをなんとか抑えるしかなかった。
――……リゾットさん、ごめんなさい。
右耳だけで鳴るイヤリングの音を聞きながら、名前は何も言わず男の隣を歩いていった。
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