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午後一時過ぎ。

薄曇りと晴天を行き来する天気の下、大通りに一つの黒い日傘が咲く。


「うーん」


人もまばらな道を進む名前は、少しばかり物憂げな表情で思考を巡らせていた。

かつて自分が居住地として世話になっていた教会。そこで司教と他愛ない話を交わしてから、雑貨屋が立ち並ぶ通りへやってきた彼女。


その悩みの種とは。


「ど、どうしよう。……リゾットさんへのプレゼント」


そう、恋人への贈り物に関してである。

彼とお付き合いするようになって二ヶ月。(お互い特に意識はしていなかったが)交際してからちょうど一ヶ月経った日に、偶然ブーゲンビリアの髪飾りを受け取ったことも相まって、≪今度は私が≫と少女はどうやら意気込んでいるらしい。


ところが。男性への贈り物と言っても、名前は数える程――身内の誕生日プレゼントや父の日――しか買ったことがない。

以前は書類を見るたびに、リゾットが眉根を寄せる機会が多くなっていたことで、実用性に優れるメガネを購入したが、今回はそうも行かないだろう。



「(ネクタイはあまり使わないよね。靴下も……ダメ、かなあ)」


なんとも言えない自身のセンスのなさに、思わず萎みそうになる気持ち。

だが胸に押し寄せるそれをすぐさま振り払いつつ、彼女がぐるりと周りを見回した、そのとき。


「……あ」



サングラス越しに浮かぶ深紅の双眸がきらりと光る。

煌びやかな他店に埋もれてしまいそうなほど質素な雑貨屋。いくつものアクセサリーが飾られたショーウィンドウの奥に居座る、一見唐辛子のような形をした銀色の小さなチャーム。


自然と惹かれる胸中。確かこれは、幸運や厄除けのお守りとして知られているはずだ。名前は――


「≪コルノ≫と言うのよ?」


「!」



そうだ、コルノだ。イタリア語で角を意味するコルノ。

小さく唸る少女の様子を見かねたのか、外へ出てきた店員らしき老婦のひどくゆったりとした一声に、ようやく綻ぶ顔。


≪教えてくださってありがとうございます。ゆっくりじゃなくても、大丈夫ですよ?≫

おそらく外見が外見だから、気遣ってくれたに違いない。たまに経験する状況に、いたたまれなさで眉尻を下げた名前がおずおずとそう口を開けば、その女性は驚愕と喜びを淡いブルーに宿してからますます微笑んだ。


「まあ、イタリア語上手なのね」


「あ、ありがとうございます。えと、十年以上ここにいるので……」


「あら! そうだったの。ごめんなさい、てっきり観光客の方だと思ってしまって」



見事、予感的中である。

深々と謝る老婦に対し≪気にしないでください≫と頭を振るいながら、彼女はコルノについて詳しく尋ねるために音を紡ぎ始めた。


「これはブレスレットになってるんです、よね?」


「ええ。こちらに飾ってあるのはチェーンだけど、レザーにもできるわよ」


コルノはプレゼントとして贈るといいモノだから――そんなアドバイスが耳を突き抜けた刹那、少女の表情がさらに華やぐ。

気に入ってくれるかわからないという不安。しかし、大きなそれを凌いだささやかな期待。


女性をじっと見据えた名前の心はすでに決まっていた。



「こちらをレザーのタイプで一つ、いただけますか?」


「ありがとう! 商品が出来上がるまで、お茶でもいかが?」


「え? でも……」


「ふふ、遠慮しないで? 少し待ってもらわなきゃいけないから、お詫びだと思ってちょうだい。それに私、誰かと一緒に紅茶を飲むのが好きなの。主人はエスプレッソしか飲まないのだけどね」


代金を受け取りつつ女性が見せる茶目っ気のあるウィンク。

傘を畳み促されるまま店内へ踏み入れた足。すると視界に、部屋の隅で先程のブレスレットからチェーンを取り外す老夫の姿が。


「……」


サングラスなしの瞳と瞳がかち合うと同時に、ハッと我に返った彼女がぺこりと頭を下げる。

ところが、こちらを一瞥して男性はまた作業に戻ってしまった。


きっと彼――老婦の夫は寡黙な人なのだろう。

不意にギアッチョが壊したドアを直すいつかの恋人が脳裏に芽生え、自ずと微笑をこぼしていると、目の前に湯気を帯びたティーカップが置かれる。



「はい、どうぞ」


「わあ! いい香り……いただきます!」


鼻腔を擽る、独特で甘美なカモミール。

そしてしばらくの間、時間も忘れティータイムを楽しんでいた二人。


何気ない、軽やかな会話を続けていたが、不意に何かを思い至ったのか突然席を立つ老婦。


「そういえば、お菓子を用意してなかったわね。食べましょ」


「えっ、そんな……! お気遣いなさらないでくださいっ」


「いいのいいの。確かこの棚の上の方に――きゃ!?」


グラリ。背の低い椅子から片足が外れ、ゆっくりと傾いていく身体。

だが、深紅の双眸を見張った少女が駆けつけるより先に、一つの影が横切った。



「まったく。お前はいつまで経っても、おっちょこちょいが直らんな」


「ふふふ、ありがとう。でも貴方ってば、そんな私を好きになったんでしょう? プロポーズのとき言ってたじゃない」


「……、覚えておらん」


「まあ! もしかして物忘れが始まっちゃったのかしら。やあねえ」


少なからず視線を泳がせる男性に、支えられた状態でくすくすと楽しそうに笑う女性。

しっかりと握り締め合う二人の手に刻まれた皺。

できることも増えるが、できないことも増える。中には年齢を重ねることに、抵抗感を抱く人もいるだろう。


けれども名前にとっては、ある意味≪憧れ≫で。



「ふう。ごめんなさい、恥ずかしいところを見せちゃったわ……こちらは包装してよかったわよね?」


「! お願いしますっ」


レザーのブレスレットが完成したらしい。薄い青色の包装紙に包まれていくプレゼントを見守りながら、彼女はそっと破顔した。

なんて素敵な夫婦だろう。


だからこそ、彼らの愛に触れるたびに≪ある気持ち≫が膨れ上がるばかりなのだ。



「さ! 気を取り直して、この箱開けてみましょうか」


「あ、あの!」


「?」



私――

頬をほんのり赤く染めた少女がぽつぽつと口にした切実な言葉。それを聞いた老婦は薄い碧の目をぱちくりさせてから、温かく笑った。


「あら。ふふ、それなら引き止めてしまうのは悪いわね。今度はその≪大切な方≫と一緒に来てくれると嬉しいわ」


「はい! 紅茶、ごちそうさまでした……!」



数分後、名前は曇天の中、駆け足気味に石畳を踏みしめていく。

カバンの内ポケットに潜む、リボンと小さなパールが装飾された贈り物。日傘を通して広がる世界を彩った、軽い靴音。心に灯るたった一つの想い。


――少しだけ心配性で、口下手で、優しいあの人に、早く会いたくなった。









「ただいま戻りましたっ」



鈴を転がすような声が誰もいない玄関に響き渡る。

扉を開けると、仁王立ちしたリゾットが待っていることも多々あるが、おそらく今はデスクワークに勤しんでいるに違いない。

≪雨、降らなくてよかったなあ≫。漠然と午後の天気予報を思い浮かべつつ、淡い桜色の唇を緩ませている、と。


彼女の視界の端を、黒髪が掠めた。


「名前……!?」



イルーゾォだ。

彼はこちらへ近付くなり、少女の華奢な肩をガシッと掴んで安堵の色を浮かべる。


「おかえり。よかった、無事だったんだな」


「イルーゾォさん?(無事ってどういうことだろう)」


頭上に現れるクエスチョンマーク。

とはいえ、聞いていいものかと悩んでしまうのが実情で。


結果、疑問を音にしないと決めたようだ。話を変えるため放った≪リゾットさん、お部屋にいらっしゃいますよね≫。そう確認すれば、一瞬瞠目した男は言いづらそうにしながらも口を開いた。



「あー。リーダーはちょっと今、出かけてる」


「お仕事でしょうか?」


「どうだろ。まあ……その、名前がいない間にいろいろあって……さ」


「? そう、なんですか」


少し残念だが、仕方ない。プレゼントは机の引き出しにでも潜ませておこうと、頭の中で作戦を練っていた次の瞬間、手のひらに押し込まれる、深い紫と金で色付けられたコンパクトミラー。



「えと、これは」


「……あげる」


「へ!?」



さらに、名前が遠慮する隙も与えず、一言付け加えるイルーゾォ。

何かあったらいつでも呼んで。名前はずっと≪許可≫してるから――羞恥が心なしか交じった声音に従い鏡面を覗き込むと、なんと彼の宣言通りスタンドがこっそり顔を出しているではないか。


「で、ではお言葉に甘えて……ありがとうございます」


コンパクトミラーを大事そうに両手で包んだ、彼女の胸中に光る希望。

――あの世界に入れるのなら、この人を守ることができる確率も上がるかもしれない。


紅い瞳に映った何かしらの≪決意≫。

どうやら男はそれを、目敏く見つけたらしい。しばしの間言い淀んでから、静かに言葉を紡ぐ。


「あのさ、名前」







「なんていうか……その、あんまり抱え込みすぎるなよ?」


「!」


刹那、わしゃわしゃと勢いよく掻き混ぜられる艶やかな髪。

もしかすると顔に出ていたのだろうか。

少しだけ瞼を瞬かせていた少女は、自身に対する苦笑と共に小さく頷いてみせた。



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