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※もしも、連載とは違うタイミングでヒロインがDIOの館を抜け出していたら
※相手は3部の面々
※一部、キャラや口調が崩れております(特に花京院がお好きな人、注意!)
※微裏注意!






「……できた」



吸血鬼の時間とも言える、≪夜≫の始まり。

薄いブルーを描く月影の下、小さく頷いたベビードール姿の名前。


時折、博識のンドゥールにアドバイスをもらいながら、吸血衝動を抑える薬をなんとか精製することができたのだ。白い錠剤の詰まる瓶を手に、鈴を張ったような深紅の瞳を決意で揺らす。



「(もう……DIOさんの血は吸いたくない)」



静かに部屋へ向かう足。

脳内にちらついてやまない、人間でなくなっていく感覚。何より、吸血鬼の性である衝動と欲求にすべてを支配されてしまいそうになる自分が、彼女はひどく恐ろしかった。



「っ」



――この感じ……。

刹那、≪空腹≫に似た、もはや慣れてしまった≪熱≫が少女の胸中をせり上がる。


薬を飲まなければ。ガラス瓶を握る手に強く力を込めると同時に、この館の主の命令で煌びやかに施された自室へ足を踏み入れた、そのときだった。

自分一人だと信じきっていた名前の眼前に、大きな影が現れたのは。



「ほう……完成したのか」


「!」


驚きゆえに双眸を見開いた途端、するりと持つモノを取り上げられてしまう。

そしてそれを、慌てて伸ばしてくる彼女の指先が届かないほど高く掲げ、面白そうに眺めるDIO。



「ふむ。この珍妙なモノが衝動を抑えるとは到底思えん」


「か、返してください……!」


「≪断る≫」


「〜〜っ」



どこまで翻弄するのだ。じわじわと悔しさが心を包み、下唇を噛んだ少女は相変わらず楽しそうな彼をキッと睨みつけた、が。

不意に全身を襲う、柔らかなモノへ押し付けられた衝撃。


これは、と思考が働き始めるより先に、クイッと人差し指で誘導される顎先。



「それより」


「!?」


「クク……貴様の瞳、ぎらついているぞ」



≪血を欲しているのだろう≫。


すべてを見透かすかのような、自分と同じ色の鮮やかな瞳が、天井を背に名前を突き刺していた。

今、私はベッドに組み敷かれている――ようやく認識したその事実に動揺しつつも、紡がれた問いに対してふるふると頭を振るうことで必死に否定を露わにする。


だが、仮初の嘘は通用しないと言いたげに、つーと焦らすかのごとくなぞられる彼女の細い喉。



「ぁ……や、っ」



ピクリピクリと反応する初心な肢体。否応なしに速いテンポを刻んだ脈拍。別の熱で上気し始めた頬。

その様子ににやりと口端を歪めた男は、手にあった瓶を寝台の脇へ投げ捨ててしまった。



「!(薬が……!)」


「逃がさぬ」



慌てて離れようにも、小さな身体へ伸し掛ってくる逞しい躯体。


心身を凍てつかせる冷笑。

ただただ震えることしかできない少女の紅潮した耳たぶに唇を這わせながら、独特のオーラを漂わせたDIOは囁きかける。



「名前、貴様は私と同じ存在なのだ。何故そこまで吸血を拒む必要がある。このDIOにわかるように言ってみろ」


「……、……た、い」


「ん?」


「っ、私は――」









「私は! せめて心だけでもっ……人のままでいたい、んです……!」



ナミダを目尻に滲ませる名前の叫びを吸収した、どこまでも広い部屋。

交じり合う二つの吐息。しばらく間を置いて、その沈黙を切り裂いたのは、嘲りを秘めようとすらしていない彼の笑声だった。



「≪人でいたい≫、か……ッククク、フフフフハハハハ!」


「ど、して笑って……、ひゃっ」


「無駄だ、名前」



片手で拘束される両手首。愉悦を孕んだテノール。


――どんなにあがいても、無駄なのだ。

ぷくり。爪先で傷付けたことによって指の腹に浮かぶ赤い玉。それを嫌がる彼女の口内へ忍ばせたかと思えば、無防備な粘膜を唾液と絡ませるように荒らしていく。



「――ッ! ん、っふ……ぅ」


「貴様はそのサガから、私から離れることはできない。たとえ地の果てへ逃げても、必ず戻ってくる。……貴様が吸血鬼としてある限りな」



捕らえてやまない、甘美なる味。

掻き立てられる本能。鉄の香りが漂う指先に自然と吸い付いてしまう少女。


「っン……は、っはぁ」



吸血鬼の特性ゆえに、早くも皮膚が戻ったのだろう。


ハッと我に返った名前はすぐさま距離を取った。

自責に揺蕩うその目は相手を魅了するほど、ひどく潤んでいる。



「はぁ、はぁっ、は……、やめてくだ、さいっ……こんな――んん!?」


「……フ」



しかし、拒絶する暇をも与えず、音を紡ぐため動いた口を塞いだのは少しだけ渇いた男の唇。


以前生きていた世界でさえ、一度も許したことのない領域――ファーストキスを奪われたショックゆえか。覚えたことのない、初めての感触に彼女の眼からナミダが白いシーツに零れ落ちた。

一方、濡れた舌が閉じられた桜色の柔らかなそれをこじ開けようと、水音と共に差し込まれる。



「ッ」



次の瞬間、決死の想いでDIOの下を抜け出した少女は、床に転がる瓶を手に部屋を飛び出した。


ガチャンと閉まる荘厳な扉。静寂を装うその場に残された彼は一人嗤う。



「ククッ。無駄と理解してもなお、逃亡を図るか……名前よ」









数分後、暗がりの中聞こえるのは靴音と荒い吐息。


「はぁ、っはぁ……はっ(思わず飛び出してきちゃった……)」



己の身体を抱きしめつつ、ちらりと時折背後を振り返る名前。


そして誰もいないことを確認したのか、ホッとこぼれる安堵。

いつものように、「名前様ァアアアッ! DIO様のところへお戻りくださいィ――――ッ!」と恐ろしい形相で追いかけてくるはずのブルマーの男も、今は一切見る影もない。



「(私は、≪吸血鬼≫)」



突きつけられた事実に、欲求に、抗うことができない。

悶々と思考を巡らせる彼女はそちらに気を取られすぎて、男に口付けられたことなど、すっかり忘れていた。



「(でも、それでも……ほんの少しでもいいから、私は≪人≫として生きていたい)」



精神が侵されていく。

本来ならば、すぐにでもここから逃げ出すべきなのかもしれない。


少なからず眉根を寄せた少女が、考え込んだまま殺風景な廊下を進んでいる――と。








ドン



「きゃっ!?」



俯き加減だったことが現状を招いたらしい。


何かにぶつかり、後ろへ転けそうになった名前を引き寄せる大きな人影。

押し寄せる二つの驚愕。何度か瞼をぱちくりさせれば、闇を知った双眸がようやくその正体を捉えた。



「おっと。ワリーな、嬢ちゃん……怪我はねェかい?」


「あ……」



飄々とした声と共に、こちらを覗き込むガンマン。

この人は――すかさず彼の名を呼ぼうと、彼女の白い喉が小さく震える。



「ホル・ホース、さん」


「女を怪我させるなんざ、≪世界一女に優しい男≫っつー名が泣くからよォ……立てるか?」


「えと……っありがとうございます」


「いいってことよ! だが珍しいなァ。いつもは鳥かごの鳥みてえに囲われてるオメーさんが、こんなとこで一人出歩いてるとは……」



少女が二本足で再び地を踏みしめた刹那、頭上で途切れる言葉。その代わりに、まじまじと感じる視線。

男の眼差しに息をのんだ名前は、不安げに首をかしげた。


「あの?」


「いや、オメーさんに憂いの顔は似合わねえと思っただけだぜ。……何かあったのか?」


「!」



鋭い質問。

元々、DIOへの忠義心がありそうでないホル・ホースなら、打ち明けてもいいかもしれない。


恐る恐る口を開く彼女と、黙ったまま時々相槌を打つガンマン。

そして、話し終えたと同時に、彼は同情ゆえのため息を遠慮することなく漏らす。



「なるほどねェ……オメーもずいぶん苦労してんだな。出て行きてえ、とは思わねェのかい?」


「……そ、それは……」


いいえと言えば嘘になる――そんな少女の心情を察したのだろう。


テンガロンハットを整えた男は、突然勢いよく立ち上がった。

それを目線で追いながら、言わずもがな頭上を占めるクエスチョンマーク。



「よし、ちょっくら行ってくるわ」


「え?」


「いいか名前。オメーさんはここで待ってろよ」


「は、はい」



言われるがままその場で≪待つ≫ことにした名前。

するとしばらく経ってから、ホル・ホースが大きな袋を手に帰ってきたではないか。



「まずは〜……この二つは必需品だな。今の格好のまま、オメーさんを連れ回したら、オレがとっ捕まっちまう」


「?(コートと、サングラス?)」


「あと、これとこれ。夜の砂漠は冷えるからちゃんと着込んどけよ」



さらに赤い傘や黒い手袋を渡され、ますます浮上する疑問。

だが、≪早くしろ≫と急かされたことで、彼女はわけもわからずコートを着込む。


その瞬間、逞しい腕が自身の膝裏と背に回されたかと思えば、あっという間に抱き上げられてしまった。



「ひゃ!?」


「おっし! じゃァこのホル・ホースと、いっちょ気分転換と行こうぜ!」



いつから用意していたのだろう。

館の外に待機していた一頭のラクダに揺られ、そこを離れていく男と女。

夜の砂丘が作り出す美しい景色。


しかしもちろん、なすがままの少女はこの質問を口にせずにはいられない。



「ホル・ホースさん? ど、どこに……っ」


「なーに、散歩だ散歩。安心してくれや。っと……ラクダに慣れねえ奴が乗るとたまァに落っこちまうから、オレの背中にしっかり掴まっとけよ」


「(お散歩……それなら少しぐらい、いいよね)……は、い」



彼の言葉に従い、目前の布を両手でぎゅうと握る。

そっと寄せた右頬から与えられる温もり。自然と迫り来るのは微睡み。安心の一言に包まれた名前は、知らぬ間に蓄積された疲労を癒すように、瞼をゆるりと下ろしていた。










「(それで私はどうして、パキスタンまで来てるんだろう……)」


数十時間後、変えようのない現実に彼女が青ざめるのも無理はない。目が覚めたときには船に乗り、太陽をことごとく避けるようにしつつ、自分は男と旅を続けていたのだ。

まあ、こんぐらいDIOも許してくれるだろうよ――隣で歩き続けたまま、カッカッと豪快に笑うホル・ホース。


笑い事ではない気がするのは、気のせいではないはずだ。



「着いたぜ」


「あ、えっと……ここは」



辿り着いたのは、奇妙の二文字がよく似合う霧に囲まれた街。

なぜか押し寄せる寒気を紛らわせようと少女が静かに両腕を擦っていると、あるホテルが視界の端に映った。



「っと、ここだな。実はこのホテルで会わなきゃなんねェ≪女≫がいてよ……上に先行って、休んどきな。どっか鍵の開いてる部屋があるはずだ」


「わかりました……ホル・ホースさん、ありがとうございます」


「おう。すぐ≪終わらせっから≫、待っといてくれや」



ぺこりと会釈をすれば、ニッと自信を含んだ笑顔と共に片手を挙げて背を向ける男。

いつもと変わらない様子。だからこそ、一人ホテルの階段を上り始めた名前は思いもしなかった。


ガンマンの彼が口遊んだ女が己もよく知る、エンヤ婆であることに。

そしてもはや≪覚えていない≫と言っても過言ではない原作に、自分が思わぬ形で巻き込まれていることに。










「(ここもダメ……すごく繁盛してるホテルなのかな)」


それにしては、ずいぶん閑散としているように思えるが。

ホル・ホースと別れた後、サングラスや手袋をコートのポケットに仕舞った名前は静かにドアノブを回しては諦め、肩を落とすという仕草を繰り返している。


眼前には最後の一部屋。緊張した面持ちで息をのんだ彼女は、次の瞬間取手を掴む小さな手をそっと前に押し出した。



「!(よかった、ここは開いて――)」




ガチャ



「ん?」


「なんじゃ?」


「え……!」



そこにいたのは学生服を着た特徴的な髪型の青年と、テレビの側面を何度か叩いている体格のいい老夫。想像もし得なかった光景が少女を待ち構えていたのである。




一方、数十秒前。用心のため一つの部屋に集まり、待機していた男二人――花京院とジョセフは出て行った仲間を待ちながら、時折憂慮を潜ませた言葉の応酬を重ねていた。


「ずいぶん経ちましたが……二人共帰ってきませんね」


「ふむ。先程と比べて下が静かになったのが少々気にかかるが、あのバアさんの怪しさに気付いておった承太郎のことじゃ。もうすぐ戻ってくるじゃろう」



そう。彼らは廊下からあまりにも殺気が漂ってこないからこそ、気付かなかったのだ。

ゆっくりと開かれた扉から、小柄な娘がおずおずと顔を出すまでは。



思わぬ出逢いに少なからず身体を硬直させた一同。もちろん、驚愕に心を包まれた名前はレッドスピネルと呼ぶにふさわしい目をぱちくりさせるばかり。

脳内で白い靄がかかっているかのように、あやふやなこの物語――だがさすがに、主要人物まで忘れたわけでは、ない。


「(この人たちは……)」



まさか会うことになってしまうとは。自分の身に起きている状況を理解した途端、彼女は謝罪と共に慌ててドアを元の位置へ戻そうとする。



「ごごご、ごめんなさいっ! 間違えまし――」


「――待ってくださいッ! 今ホテルを出歩いては危険ですよ。しばらく、僕たちの部屋にいてはどうですか?」


「へ?」


「? どうしたんじゃ、花京院。お前さんの言いたいことも一理あるが、そんな風に誘ってはそちらのお嬢さんも困ってしまうぞ」



いつもらしからぬ少年の積極性に眉根を寄せるジョセフ。

しかし、この街で唯一まともかもしれない女性を一人にすることに思うところはあったのか、男も彼の意見には賛成らしい。


とは言え、相手も簡単に「よろしいんですか?」と頷けるわけもなく。微かに肩を揺らした少女はおろおろと狼狽えつつ、必死に遠慮の意思を伝えた。



「あ、あの! 私のことはお気遣いなく……」



不安と本心。胸の前で手のひらを掲げる名前の胸中には、その二つが色濃く交じり合っていたのである。

すると、突然瞠目する花京院。その心情とは一体――



「……大和撫子だ」


「?」



どういうことだろう。

あまりにも場にそぐわない――少なくとも彼女はそう考えている――単語が耳を掠め、きょとんとする娘に対して、皮と骨に覆われた心拍数はただただ上昇していく。


今まで経験したことのない鋭い≪電撃≫が、部屋の扉が僅かに動くと同時に名前と一瞬、ほんの一瞬視線を交わした青年の身体を支配したのだ。



「(白く透き通った肌、美しい黒髪に黒いコート、神秘的な深紅の瞳に心がひどく惹かれる……まさに≪攻略キャラに必ず一人はいるミステリアス美少女≫だ。どうやら僕は、ゲームの中かと見紛うほどの運命的な出会いを果たしてしまったらしい。……どうする? 花京院典明、選択肢は二つだ。@「貴方は僕にとって運命の女性です。僕の伴侶になってくださいと言いながら跪く」、A「僕の名前は、と自己紹介から始める」。おしとやかな女性の場合、ここは少しインパクトのある@が――)」


「えっ、と……お二人にご迷惑をお掛けするわけにはいきませんし、私やっぱり」


「! め、迷惑なわけないじゃないですか! むしろ僕は歓げッ……ゴホン。ジョースターさんも構いませんよね!」



その言い様は、もはや事後承諾だ。

自分をひたすら突き刺す、少年の爛々と輝いている双眸。


こんな花京院を目にしたことが、さくらんぼを発見したときを省いて、今まであっただろうか。

内心呆れを抱いたまま、静かに口元を和らげたジョセフは首を縦に振った。



「(花京院、やけに張り切っとるのう……)ああ。お嬢さん、わしらはお前さんを別に取って食ったりせんから、安心しなさい」



ちらり。男から同意を得た途端、彼が横目で彼女を一瞥する。一応、強引という自覚はあったらしい。

だが、次の瞬間控えめでありながらも凛とした声でありがとうございます――と少女が照れ臭そうに微笑むので、結果オーライだと判断したようだ。






「……どうやら、決着がついたみたいですね」



その後互いに自己紹介をし、和気あいあいとしたムードを作り出していた三人だったが、不意にしばらく続いていた物音が消えたことで下の状況を察した青年が、おもむろに口を開いた。



「そのようじゃな……名前さん。花京院の後ろから離れんように」


「わ、わかりました」



小さく首を動かし、コートの裾をふわふわと揺らしつつ、二人の後をいそいそとついていく名前。


そしていくつもの靴音と共に辿り着いたのは、一階。フロントと呼ばれる場所に降り立った彼女はきょろきょろと周りを見渡す。

先程、ガンマンとはここで別れたのである。



「(あれ? ホル・ホースさんはどこにいらっしゃるんだろう)」


「ククク……すまんすまん、聞こえんかった。もう一回言ってくれんか」


「だから〜! どこを舐めたなんて、どォ〜でもいいじゃねえか! オホンオホン! オホン! ベンキを舐めたぐらい、オレは――」



――この声は。

脳内を過る二つの記憶。それは、≪本を読んだとき≫と≪彼に会ったとき≫。花京院の細いように思えて意外に逞しい背中から少女がひょこりと顔を覗かせた刹那、見知ったブルーとしっかり目がかち合ってしまった。



「名前!? 名前じゃねえか!」



喜びを表すように両腕を広げる男――否、ポルナレフ。


なぜだろう。

この人とは数ヶ月前会ったばかりだと言うのに、波のごとく押し寄せた懐かしさに心が切なく締め付けられる。

溢れんばかりの感情に促され、彼とすかさず距離を縮める名前。



「っポルナレフさん……!」


「おいおい! こんなとこでどうしたんだよ? びっくりしちまうだろ〜?」


「なッ!?(名前さんが警戒することなく抱きついてッ……羨ましい! おのれ)ポルナレフ! まさか君、名前さんと知り合いなのか!?」



なぜかはわからないが切迫した様子の仲間に対し、ギクリと顔を強ばらせる青年。余すことなくその出逢いについて説明してしまえば、現在、自分の腕の中にいる彼女の――吸血鬼であるという秘密まで露呈してしまう恐れがあったのだ。


「い、いやあ。なんつーか……オレが旅してるときに偶然会ったんだよ、な?」


「(コクコク)」



眼前の彼からありありと滲み出る怪訝。だが二人共、嘘は言っていなかった。


それから。自分たちのいた街が墓場という事実を把握すると同時に、朝を告げる陽光から逃れるため赤い傘を差す少女。これもサングラスも、DIOのように太陽アレルギーと説明するほかない。

もしそう吐露したとしても信じてもらえるだろうか、と名前が思案を巡らせていたそのとき、喧々たる車の嘶きが突如男たちの鼓膜を揺らしていく。



「OH MY GOD! わしらのジープが!」


「テッメェエエ――ッ! ホル・ホース! 待ちやがれ!」


「ヘヘッ、オレァやっぱりDIOの方につくぜ! つーわけであばよ! ――嬢ちゃん!」


「あ……!」



≪帰らなければ≫。

精神を埋め尽くしたのはいわゆる≪帰巣本能≫か。咄嗟に彼女は、自身の黒い長手袋に包まれた右腕を伸ばそうとした、が。







「待ちな」








ヒョイ



「へっ!?」


「んなァ!?」



視界の端に映ったのは、これまで一切口を開くことがなかった承太郎に、まるで猫を捕まえるかのごとく首根っこを掴まれた少女。当然、ハンドルを握ったまま表情に衝撃と絶望を宿すホル・ホース。


「(嘘だろォオオ!? 嬢ちゃんがジョースター一行に捕まったとなりゃァ、オレはDIOに殺され――)」



思考を掻き消す背後からの怒声。これは、今にも追いかけてきそうなジョースター一行を撒くことが先決だ。


すまねえ、嬢ちゃん――少なからず罪悪感はあったのだろう。しかしそれが彼を≪戻る≫という行動に移させることは決してなく、あっという間に車は行ってしまった。

一方、墓場にはなんとも言い難い空気が蔓延る。名前のそばには威圧感たっぷりの主人公。



「……」


「(お、置いてかれちゃった……ううん。それよりこの状況をなんとかしないと……!)」


「テメー、DIOの仲間か」



違う――緊張ゆえか声帯が仕事をしないため、彼女は焦燥を胸にふるふると首を横に振る、が。

次の瞬間、相変わらず両足は地に着くことを許されぬまま、何かを確認するように大きな手のひらで掻き上げられる少女の柔らかな前髪。


「!」



そして、こちらを突き刺すその澄んだモスグリーンに、額や眼をじっと食い入るように見つめられ、サングラス越しといえども狼狽や羞恥ですぐさま瞳をそらしてしまう。


「えと、あの……っ」


「……肉の芽は、ついてねえようだぜ」


「そうか。しかし困ったのう、刺客にはまったく見えんのじゃが……」



猫状態からはようやく解放されたものの、彼らの発言一つ一つに、どぎまぎと胸を震わせる名前。

すると挙動不審な素振りで彼女の心情を悟ったジョセフが、眉尻を下げながら孫たちのもとへ近付いた。



「名前さん……わしはできればすぐにお前さんを日本へ送り届けてやりたい。じゃが、少しでもDIOに関係しているとなれば、ここで解放するわけにもいかんくなった。それはDIOの元を離れたことで、命が狙われる可能性のあるお前さんのためでもある。同時に、これは大変言いにくいが……次の街についたら情報を引き出させてもらう。……わかってくれるな?」


「……、はい」








「ッ待ってくれジョースターさん!」


「! ポルナレフ」


「念写だけは、よしてもらえねえか? オレはコイツの事情を少ししか知らねえし、打ち明けることもできねーが、≪DIOの手下じゃない≫ことだけは誓って言えるぜ! かなり自分が大変な状況に置かれてるクセに、すげーッお人好しで、肉の芽付けられたオレのことまで心配してよォ! だから名前がイイ意味で人畜無害っつーことは、このオレが保証する!」


「(っ……ポルナレフさん)」



ムードメーカーのいつもらしからぬ力説に、徐々に変わっていく雰囲気。


ニカッと上がる口角。

笑みを浮かべたポルナレフは彼女の華奢な肩に右腕を回し、もう一息だと、ある事実を口にする。



「それによ〜! 名前は治癒系のスタンド使いなんだぜ! な?」


「は、はい!」



≪ほら、お前も早く頷け≫と言いたげな彼のウィンクに慌ただしく同調する少女。このとき、ハッと目を見張った花京院が「白衣ならぬ黒衣の天使……!」と小声で呟いたことには、誰も気付かなかった。




「DIO、さんは……私に≪貴様は地の果てへ逃げても、必ず自分のところに戻ってくる≫と言いました」



元々逃亡を図ったわけでもなかったのだが、自分は今こうして、確かに彼のいる場所へ踵を返そうとしている。


ただ、どれほど恐れを抱いても≪甘い≫のは自覚していて――真摯な眼差しを向けてくれる男たちと同じように、≪打倒DIO≫が浮かぶわけではない。

けれども同時に、今目の前にいる彼らを支えたいと思うこの≪気持ち≫も間違いではないはずだ。



「だから……≪最後まで≫皆さんの旅に同行させてください。お願いします」



風に吹き飛ばされぬようしっかり握られた傘に、一行を射抜く紅い瞳。


しばらくして、思うところはありつつも各々に賛同を示していく男たち。あとは――これまた反応のない美丈夫を説得するのみ。



「頼むぜ、承太郎!」


「……承太郎、構わんじゃろう。何、名前さんのことは年長者であるわしに任せなさい。べッ、別に変な意味じゃあないぞ! コラッ、ポルナレフ! そのニヤついた顔を今すぐやめんか!」


「承太郎。僕からも頼む。心の癒s……ゲフン、治癒のスタンド能力を持っているのなら、僕たちにとっても好機だと受け取るべきだ」



何か今、妙に引っかかる単語が聞こえたような気がするが、深追いしては負けだ。

名前が命を狙われる危険性と、敵ではないにせよ何かしらを知っている可能性は残っている。そのため、承太郎も断る理由は特になかったのだが、黙認しようとしたことが仇となったらしい。


相も変わらず自分を見上げる黒いガラス越しの紅に、彼は帽子のつばへ指先を添えながらそっとため息をつき、



「やれやれだぜ。……勝手にしな」


出発を告げるかのごとく、くるりと背を向けた。

ぽかん。突然の返答に呆然としていると、なぜかひどく晴れやかな笑みを浮かべた花京院が隣に現れる。



「行きましょう名前さん」


「ちょ! お前人を押しのけんなよ! つか花京院テメッ、まさか!(名前に対するその態度……!)」


「なんですか? 僕は当然のことをしたまでだ。よくよく考えれば、ベンキを舐めたらしい人を可憐な女性に近付けるわけにはいかないからね」


「ぬァアアにをォオオオオ――ッ!?」



自分の頭上で口論を始めた二人。もちろん、それに耐え切れなくなった彼女は、感謝の気持ちを伝えるため一人前を歩く承太郎の斜め後ろへ駆け寄っていった。



「あの、っ空条さん! ありがとうございます……私」


「……アンタが決めたことだ。これ以上、オレがとやかく言う筋合いはねえぜ」



少し。

ほんの少しだが。


先程と比べて柔和を帯びた彼の双眸に、喜びで頬を淡い朱に染める少女。



「空条さん……」


「ところで。その言い方、なんとかならねえのか」


「え?」



その言い方、とは名字を呼ぶことだろうか。かと言って初対面で名前を呼ぶのはどうなのだろうと悩むが、震え上がってしまうほど鋭い視線に苛まれたことにより、おずおずと唇を動かして――


「承太郎、さん……?」



確認の意味を込めて呟く名前。すると、「……グッド」という言葉を、もっとも近い場所にいた彼女の耳にすら届かせない小声で口遊み、スタスタと立ち去る青年。

一方、結局どうすればいいのかわからず、不思議そうに小首をかしげた少女だったが、彼に代わってすかさず駆けつけた男が一人。



「(落ち着け、落ち着け花京院典明! 真正面からお願いすれば、きっとわかってくれるはずだ! よし――)名前さん! 僕のこともぜひ≪典明≫と! 典明と、名前で呼んでもらえないでしょうか?」



えっ!? 花京院さんまで――鈴を張ったような目をさらに丸くし、わたわたと慌てふためく名前を一瞥して、歩を進めながらジョセフは苦笑と共に肩を竦ませた。



「まったく、名前さんが同行すると決まった途端すーぐ浮かれよって。承太郎も心なしかいつもより表情が明るく見えるわい」


「マジわかりにくそうでわかりやすい連中だぜ。しかも花京院なんか、人のことグイグイ押し退けてきやんの……けど、まッ! アイツらからしたら、姉貴ができたって感じで嬉しいんじゃねーの?」


「ポルナレフッ! 君は本当にデリカシーがないな! その言い方だと名前さんがまるで僕たちより年上……、年上?」


「…………オイ、ポルナレフ。どういうことだ」



ぴたりと動きを止める年下の二人。彼らの考えていることが手に取るようにわかってしまった彼女は、少しばかり唇を尖らせる。

そんな少女が年上という真相に、ポルナレフ以外の面々が驚愕するまであと13秒。



「(ま……まさかの年上、だって? 僕の大好きなアニメのヒロイン、○○ちゃんより可愛らしい容姿から考えてあまりそうは見えないが……、ハッ!? い、今目が合ってしまったぞ。どうする? どうする僕! これに乗じて、事務的なモノからプライベートのことまで尋ねてみるか? ……いや、名前さんは男に囲まれて緊張しているはず。それに今僕たちの中でもっとも信用している人物は、少々癪に障るがおそらくポルナレフだ。僕が彼女と交流を深め、彼女のことを知るためには日常会話とさまざまなイベントを重ねていくしかない……!)」


「?(えっと……どうして私、花きょ……っじゃなくて、典明くんに見つめられてるんだろう)」



悶々とそのゲーム&アニメ脳を悩ませ続ける少年に対して、こてんとかしげられる首。そして花京院典明、17歳(童貞)による名前という名のルート攻略まであと――


fin.



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