※「原作通りに話が進んだら」という話
※原作後=6部終了の頃のお話
※一巡という名のパラレルワールド(一巡が失敗する直前まで生存していたと思われるキャラは、そのまま生きています)
※切なめ
「拝啓、遠くへ行ってしまった貴方」
白い便箋に綴られた、たった一言。
それを残して、昔と変わらぬ修道服を着た名前は空へ続く崖の道を歩く。
目下一面に広がった海の細波。ふとしたところで足を止めた彼女は、眉尻を下げながら微笑んだ。
「えへへ、ごめんなさい。また来ちゃいました」
燦々と煌めいた太陽と自分の間を遮断してくれる黒い傘。
大きめのサングラスから覗く、細められた深紅の瞳。
腕に抱える小さな花束を揺らしたシチリアの春風。
その岬には――名前のない小さな墓が一つ。
「……お久しぶりです、リゾットさん」
2012年4月5日。
≪あのとき≫から、11年が過ぎようとしていた。
数日前。
「名前、貴方は……これからどうするつもりですか?」
イタリアの某空港にて、前触れもなく口を開いた以前より大人びたジョルノ。
一歩。颯爽と足を進めるたびに、その場にいる女性が一斉に振り向くほどの色気。
やはりお父さんに似てきている――ギャングのボスとして数百人もの構成員を率いる彼に、父と同じカリスマ性をひしひしと感じつつ、外見が一切変わっていない少女はこてんと首をかしげる。
「これから……?」
「惚けないでください。貴方は知っていたからこそ、≪何かに引き寄せられる≫と突拍子もないことを言った僕と共にあの場所――フロリダへ行ったんだ」
「……」
射抜くような眼差しに黙り込む名前。不意に移した視線の先にあるのは、雲一つないガラス越しの青空。
だが青年は、その景色に対してある≪変化≫を感じていた。それはあまりにも速すぎて、目には見えなかったけれども――
「≪世界は変わった≫。身体が、精神がそう理解している」
「ハルノ……」
「今、何が起こるかわからない状況下で、貴方一人で動くのは危険だ。行くな、とは言いません。でも誰か付けましょう。なんなら僕が一緒に――」
「もう……ダメじゃないですか。貴方はギャングのボスなんですよ? 予定も詰まっているんだし、何より幹部の人たちが困ってしまいます」
苦笑交じりで返ってきたのは遠慮がちの≪No≫。
忙しない靴音。通り過ぎていく喧騒。自分たちを貫いては消える好奇な目。
そのどれもが煩わしくて。一番伝えたいことが眼前の彼女には伝わらなくて――眉をひそめたジョルノはやるせなさと苛立ちを吐き出す。
「ッそういう次元の話をしてるんじゃあない。僕は名前を心配して……!」
「ふふ、大丈夫です。≪一人≫じゃありませんから」
安心してください――そう呟き、彼を宥めるように微笑んだ少女。
美しい紅を帯びた双眸に映るのは、一つ目の目的地を文字として刻んだバス停。
「私は、皆さんのお墓を確かめに行かないと」
初めてのお墓参りもさせたいですし。
そっと紡いだ言葉は、慈愛に溢れていた。
名前が日差しの下という危険を冒してまで向かいたい、いくつもの場所。それは至極当然であり、青年にとってひどく悔しくもある。
「……だと思いましたよ」
「ハルノ? 顔色が少し悪いです……忙しいのはわかりますが、無理をしちゃダメですよ?」
「ッ」
≪無理をしているのはどちらだ≫。隠し通そうとする想いを無視してしまうほど、ジョルノは人の心に疎いわけではない。
しかし、自分を心配そうに覗き込む彼女は、言わずもがな≪お人好し≫だ。
優しさを向けないでほしい。辛くなるだけだから。より歯がゆさと愛しさが増すだけだから――彼の胸中からそう訴えるのは、消えてくれない、むしろ膨らむばかりの気持ち。
その感情に煽られて、いつの間にか少女の細腕を引き止めるように掴んでいた。
「? えっ、と……?」
足の動きを停止させてから、不思議そうな眼をこちらへ向ける、自分より≪若い≫名前。
そんな彼女を見下ろしながら、静かに口を開く。
ずっと、告げたい悔恨があった。
「聞いてください、名前。僕は貴方に――」
「――ハルノ。どうか、それ以上は言わないで」
「!」
少し乾燥した唇にそっと触れた人差し指。
青年がハッと瞠目すれば、自分を見上げる少女の顔は悲しそうに、そして申し訳なさそうに歪んでいる。
「貴方が謝ったら、皆さんの覚悟は……皆さんがしたことは無駄になってしまうでしょう?」
空港を吹き抜ける隙間風。
――ああ、彼らの存在は、名前にとって決して変わることのない≪絶対≫で。
微かに震える睫毛。目を少しばかり伏せたジョルノが、神々しく輝く金色の髪をたなびかせる。
「彼らと敵対していた僕からその言葉は聞きたくない。そういうことですか」
「それは……違います。貴方は≪受け継いだ人≫だから、前を見据えてほしいんです。でも……っごめんなさい、私は」
「やめてください。貴方が謝るのもお門違いというものですよ。……僕はそんな、自分より人のことを優先させてしまう名前のことが好きなんですから。このジョルノ・ジョバァーナも、貴方に救われた一人だ」
「……、ハルノも早く、素敵な人を見つけてくださいね」
わかりきった質問に対するわかりきった答え。
≪この初恋は実らない≫。
しばらく続いていた沈黙の空間。
それを切り裂くように、彼はあからさまな深いため息を吐きつつ、己の手から彼女の腕を解放した。
「はあ……世話を焼くことが好きな年増みたいなこと、言わないでくださいよ」
「え? そ、そうは言われましても……私は年齢からすれば、本当に――んぐっ」
「名前。それ以上言うと、僕が生み出した蔓で身体中をキツく縛り上げて、無理矢理にでも本部へ連行しますから。……11年前、手首にしたようにね」
仲間を失い、君臨していた悪魔をその座から引きずり下ろしたあのときに立てた誓い。成長を遂げた青年は、今も去ってしまった者たちから引き継がれたモノを胸に抱きながら、ただ先に向かって歩き続けている。
一方で、脅しと共にしばらく鼻を摘まれていた少女も、少しずつ、半歩ずつでも足を動かそうとしているのだ。
だがその懸命な姿が、哀しみを悟らせないようあえて柔らかな笑みを宿した表情が、ジョルノにとっては切なく痛い。
「あ……バスが来たみたいです」
切符を≪二人分≫買って、彼を振り返る名前。
上空には太陽。彼女はサングラスをかける前に、もう一度青年と視線を交わらせた。
「じゃあ私は行きますね。ミスタさんやフーゴさん、そしてポルナレフさんによろしくお伝えください……ハルノ」
「ええ、貴方もお気を付けて。……待ってますから」
ゆっくりと遠のいていく、少女たちを乗せたバス。
外見の面では、自分はもう六年も前に≪お姉ちゃん≫と慕っていた名前の年齢を越してしまっている。
そして何より。どれほど会話を重ねても、腹を割って話しても、奥の奥までは触れさせてくれない。
――いや、彼女は出逢った頃から秘密の多い、無意識に心の声を笑顔で覆い隠す女性だった。
「やっぱり貴方は、ずるい人だ」
悪態が、こぼれる。それでも、このもどかしさを掻き消すつもりはなく――結局自分の心には≪赤い傘を手に優しい笑顔で現れたあの日の彼女≫が、変わらぬ景色ばかりが映っていた窓から顔を覗かせているのだ。
ぽつり。わずかに動いた唇が紡いだ音は、春を告げる少し冷たい突風と共に消えていった。
それから数十時間を経て、ようやく辿り着いた最後の目的地。
「よかった、壊れてなくて」
気がかりばかりが募っていたが、どうやら杞憂だったらしい。
胸の内に溢れた安堵によって、自然と生まれる笑み。
少女の左耳の上でそっと存在を示すブーゲンビリアの髪飾り。それが黒髪と共にふわりと揺蕩う。
≪一人≫。名前は手袋に包まれた右手で日傘の柄を握り直しつつ、その場にしゃがみこんだ。
「リゾットさん、今日はアマリリスです」
即席で建てた墓石の前に添えられる薄桃色のアマリリス。花言葉は――≪誇り≫。
出かける当初九つあったそれは、ようやくすべて名前の手から離れていった。
「あの、聞いてください。実はこちらでは世界が変わって……壊れてしまっていないか、少し不安ではあったんですが……皆さんのお墓も無事でしたよ」
「ソルベさんとジェラートさんのお墓は、変わらず仲睦まじそうで」
「あと……おそらく≪誰か≫が供えてくださったんでしょうか」
大体予想が付いてしまう、その人物像。
三日月を描く黒いプラスチック越しの紅い瞳。
依然として、その妙に明るい口調の独り言は続く。
「ホルマジオさんとプロシュートさんのところにはお酒が置いてあったんです。アルコールが抜ける、って叱られそうですが……そのままにしておきました」
「ペッシさんにはルアーが。よくお魚を釣ってきてくれて……お夕飯、助かりましたよね」
「イルーゾォさんのところには手鏡が供えられていましたよ? 反射すると危ないので、裏側に向けてしまいましたが」
「あとはギアッチョさんのお墓なんですが、何冊か本が置いてありました……しかも言い回しについてのモノだったんです」
「メローネさんの前には何か紙袋のようなモノがあって。中身は……ちょっと怖くて、見られませんでした」
自然とこぼれる苦笑。
一呼吸置いてから、彼女はもう一度音を紡いだ。
「それと……ハルノのこと、前にお話しましたよね? あの子が組織を改革したことで、麻薬はしっかり規制されて……≪暗殺≫の仕事も前よりは減ったそうです」
刹那、話が終わったのだろうか。その場に言いようのない静寂が広がった。
ところが、少女はいつまで経っても微動だにしない。
そう。簡単に≪割り切れる≫わけがないのだ。なぜなら――
「……リゾットさん」
「どうして……っどうしてあのとき。皆さんの元から私を遠ざけたんですか?」
静かに嗚咽を漏らす名前はまだ、強がることに慣れていないのだから。
≪やがては時が解決してくれる≫なんて、嘘だ。
いつまでも寂しい。
いつまでも恋しい。
いつまでも苦しい。
「≪オレと≫生きてほしい。そう私に言ってくれたのは、リゾットさんなのに……っ」
土に点々と落ちては、滲んでいく≪雨粒≫。
込み上げる哀切な気持ちを抑えられない少女は、じっと墓石を見つめながら小刻みに震える桜色の唇を動かした。
「っ本当は……今すぐ、貴方の元へ行きたい……」
――裏切りの結末。その≪運命≫から救い出したかった。
――それができないのなら、自分も一緒に皆が待つ終点行きのバスへ乗せてほしかった。
――生命を落とした直後の彼を見つけたサルディーニャのあの崖で、太陽に身を焦がしてしまいたかった。
深い後悔の渦。彼女は今でも、≪間に合わなかった≫自分を責め続けている。
「皆さんのところへ行こう……そう何度も考えたんです」
「でも……。でもっ……!」
――優しい貴方は、絶対にそれを望まないでしょう?
そのとき、まるで自分の言葉に対して応えるかのように、風にそよいだ野原。
驚きゆえに見開いた眼から大きな雫を落とした名前は、周りを一瞥してからしっとりと困ったように微笑んだ。
「っ、ふふ……ごめんなさい。≪バカなことを考えるな≫って……皆さんに怒られちゃいますね」
おそらくあらゆる形で――髪をひどく乱され、鼻を指でつままれ、頬を両手で挟まれ、頭上からゲンコツを食らわされるだろう。
むしろそれらでは済まされない。
だが何より、滅多に感情を表に出さないリゾットから、怒られるのは必至だ。
青ざめながら破顔した少女。そんな彼女にはもう一つ≪ヒカリ≫が生まれていた。生きる希望という名の空洞――それは同じ≪生≫によって、少しずつ埋められるモノなのかもしれない。
「それに――」
「あの子がいてくれるから」
――私は≪生きよう≫って、思えるんです。
「ママ……!」
「っ! ……ふふ、どうしたの? ≪ルチアーノ≫」
耳を劈いたソプラノ。慌てて目尻に浮かんだ水滴を手袋で拭う。
足を屈めたまま後ろを振り返れば、こちらに駆け寄ってくる6歳の男の子。
その小さな身体を一身に抱きとめた名前は、傘が落ちてしまわないようにしつつ、覗き込んだ。
すると、自分に向かって差し出される白い花束。
「おはな! ≪ねこ≫とあそんでたら、みつけて……つんできたんだっ!」
「まあ……っ! すごく可愛いお花……ありがとう。家に帰ったら、一緒に飾ろうね」
「えへへー、ぷれーご! ……あ」
何かに気付いたように声を上げる可愛い息子。
花を受け取った彼女が首をかしげると、不意にナミダの跡をなぞるように頬へ親指がそっと添えられた。
子どもは本当に鋭い。
「もしかして、ママ……ないてたの?」
「……うん。ちょっとだけ、泣いちゃった」
「どうして? パパの、おはかだから?」
「!」
初めて連れて来たのに――ありありと滲み出た動揺に少なからず瞳を揺らす母。
≪よしよし≫と慰めるように自分の頭を撫でてくれるこの幼子は、父の顔を知らない。否、話すことでしか伝えられていないと言った方が正しい。
裏切りを決めた彼ら。ふと、全員が後にしたアジトは組織の構成員によって荒らされ、ひどい有様だったと気まずそうにミスタから知らされたときのことを思い出す。
そして、自分たちを追うヒントになりうると危惧したのか、個人が特定できるモノはすでに処分されていたそうだ。こうしたことで彼らとの思い出を誰かに踏み荒らされることはなかったが、その分≪写真≫は一枚も名前の手に収まることはなかった。
「そうだよ。ここは――パパが生きた証」
「あか、し……」
≪夜明けの光の中で生まれた子≫を意味する、ルチアーノ。
吸血鬼である自分が関係することで、人より成長するペースは遅いが、確かにこの子は年を重ねている。太陽の下にいても問題のない体質。ギュッと握り締めた手袋越しに伝わる体温。その事実が彼女をたまらなく安心させた。
緩む涙腺。それをグッと抑え込んでから、おもむろに墓へ向く眼差し。
「ルチアーノです。リゾットさん、貴方にそっくりなんですよ……?」
「そうなの? ぼく、パパににてる!?」
「うん、すごく似てるの。ほら……この綺麗な目もそう」
髪は黒に近いものの、赤で彩られた双眸。
さらに、無表情だった彼に対して、ずいぶん表情は豊かかもしれないが、困ったときに少しだけ下がる眉尻や。
照れ臭くなってしまうほど自分を大切にしてくれる、溢れんばかりの思いやりも。
よほど嬉しかったのだろう。にこにこと喜ぶ息子を微笑ましそうに見つめながら、胸に、≪永遠≫を運命付けられた己に力強く誓う名前。
「(この子は、いずれこの子自身の幸せを見つけてくれると思います。私が貴方に会えたように。だから……)」
彼女はただ信じている。
きっと≪そのとき≫こそが、自分が逝くときなのだと。
「そろそろ日が暮れるみたいだし……ルチアーノ、街の方に戻ろっか」
「うん! わかった! ば、べーね!」
混ざり合う、同義の日本語とイタリア語。
ゆっくりと腰を上げた名前は、自分の手をぐいぐいと引っ張るルチアーノに顔を綻ばせた。
とても爽やかな風だ。肩を撫でていったそれにもう一度だけ、背後へ移る視線。
「(だから……リゾットさん。いつか、貴方にあちらで再会できたら――)」
「Per cortesia,vorrei stare accanto a te……ancora una volta.(どうかまた、そばに居させてくださいね)」
なだらかな坂道。和気藹々とした雰囲気で、ゆっくりと街へ下りてきた二人。
彼らはホテルに一泊した上で、明日イタリア本土に帰る予定だ。
近くの広場で遊んでいたルチアーノはこの島を気に入ったのか、楽しそうに話し続けている。
「でね! でね! だいがくせーのおにいちゃんが、もらっていい≪れもん≫のき、おしえてくれた! おにいちゃんのおにいちゃんがそだててるんだって! じぶんで≪けいえい≫してるのは、めずらしいんだって!」
「そうなの? ふふ……じゃあ、その≪お兄さん≫と≪お兄さんのお兄さん≫にお礼言いに行こうね」
「うん! あとっ、おにいちゃんが≪むかしだけど、おれもくるまに、ひかれかけたことがあるから、きをつけろ≫って――――あ!」
「ルチアーノ?」
突如途切れた息子の話。
次の瞬間、ぴたりと足を止めたその目線を辿ると、ぽつぽつと花開き始めた薄紫が。
あれは――こてんと首をかしげた彼女が正体を把握するより先に、ルチアーノが深い色の目を輝かせた。
するり。前触れもなく小さな手のひらの行方を見失った、手袋越しの手。
「ママが≪かみ≫につけてるおはな! きれい! とってくるー!」
「え!? ダメですっ、いきなり走っちゃ――」
ドンッ
「わっ」
走り出した瞬間、前に現れた巨大な壁。
衝撃で後ろに倒れかけた子どもを、すかさず屈強な右腕で支える大男。
さらさらと揺れる銀の大半を包み隠す頭にはシチリアで有名なコッポラ帽が。また、その左手はレモンが入ったカゴを抱えている。
かなり驚いたのだろうか。呆然としている幼い少年に、視線を落としたその男は怖がらせないよう意識しつつ、ゆっくりと声をかけた。
「まったく……このあたりは車の通行量も多いから、急に飛び出すと危ないぞ。……怪我はないか?」
「う、うん。……おじちゃん、ありがとう」
「……。オレはまだ28なんだが……、まあその様子だと大丈夫そうだな」
微かではあるが上がる口角。逆に自ずと下がった眉尻。
どうやらすべてが珍しくてたまらないようだ。鈴を張ったような眼がまじまじと男を凝視していると、駆けるような靴音と聞き慣れた声が耳に届く。
「ルチアーノ……!」
「あ……。ママ……、ごめんなさい」
「っ無事でよかった。お願いだから、もういきなり走ったりしないでね……?」
「うん、ぜったいしない」
今ある存在を確かめるように息子を抱きしめた名前。
一瞬で引いた血の気。胸中を支配したのは、安堵と自分に対する叱咤だった。
そして、俯く頭を優しくなでた彼女は目の前の男に向かって、すぐさま頭を下げる。
「ごめんなさい。私がこの子の手を離してしまって……ご迷惑をおかけしました」
「いや、気にしないでくれ。実は昔、親戚が轢かれそうになったことがあってな……それ以来この辺りを通るときは注意しているんだ」
なるほど――どこかで耳にしたような内容の追求は脳内であえて今はせず、心中を占めさせた納得。
小さく頷いた名前は、彼と言葉の応酬を重ねるためにサングラスをそそくさと外しながら、≪初めて≫顔を上げた。
「そうだったんですね……。本当にありがとうございま――」
カシャン
指先から滑り落ちたことで、地面から軽い音が鳴り渡る。
しかし、変わらずかち合ったままの、赤と紅。
「? サングラスが落ちたが……」
「っ」
「ママ? おじさんが、≪さんぐらす≫ひろってくれたよ? もらわなきゃ……え? ママ!?」
「なッ、なぜ泣いて……!?」
今日は一体、何度泣けば済むのだろう――止めどない想いと共に二つの瞳から溢れ出す落涙。
頭の隅では理解していた。
貴方が今、生を刻んできた≪歴史≫は、私の知らない過去であると。
けれども――
「(わかってる。この人は、リゾットさんに≪そっくりな別人≫。わかって、るのに……っ)」
「……何かをしてしまったのなら、本当にすまない。その……≪いつも≫身に付けている十字架から考えて、シスターだったようだが……君、とは……≪以前、どこかで会ったことがあるのだろうか≫?」
「ッ……いいえ、ごめんなさい。本当になんでもないんです…………、っでも――」
拝啓、遠くへ行ってしまった貴方。
――ううん。遠くて≪近い≫、貴方へ。
「≪貴方≫が、幸せそうでよかった……っ」
新しい世界は想像以上に運命的で、切なくて優しい出逢いに満ちているのかもしれません。
fin.
>