※子ギアッチョ(過去捏造あり)
※ひらがな率、高いです
※ヒロインがイタリアに来た頃のお話
寝静まった夜の街を駆け抜ける人影が一つ。
「っ……はぁ、っはぁ」
薄紫のベビードールを申し訳程度に隠した、闇に紛れる濃紺のトレンチコート。
離してしまわないよう、左手でしっかり握り締められた赤い日傘。
コートの裏には≪衝動≫を抑える薬。
「んっ……、は、っぁ……はぁっ」
とある館を後にした吸血鬼の少女――名前はただただ街灯の少ない石畳を走り続けていた。
パスポート等は持っていないので、ヨーロッパへ向かう船に忍び込み、太陽が顔を出す昼はなんとか影を見つけて過ごす。
ようやく辿り着いた目的地であるイタリア。だが、危ない目にもたくさん遭った。
コートを羽織っていると言えども蠱惑的な服装、夜の帳より美しくなびいた黒髪、妖しげでありながらも目を向けずにはいられない紅い瞳、そして彼女独特の儚さと魅力に引き寄せられ、あらゆる魔の手が伸びる。
それでも少女が、人に対して≪不信≫感を宿すことはなかった。
「はぁ、っ……は……、ぁ」
ふと目に映った小さな倉庫。
一瞬名前の双眸に躊躇いが生まれるが、このままでは朝が来たと同時に自分は塵と化してしまう――と判断したのか、日差しが当たらないことを配慮して部屋の奥に身を潜ませる。
「(今晩だけはここで休ませてもらおう……)」
そっと床へ腰を下ろし、壁にもたれかかった途端、暖かな季節であることも重なってドッと波のように押し寄せる疲労感。
次第に微睡んでいく意識。
しかし、ここは一体どういった小屋なのだろうか――そうした思考すら霞んで、すでに脳を働かせることができない。
考えなければならないことはいくつもある。が、≪今≫それを行うのは難しい、と白む頭の隅で理解した彼女は、いつの間にか己のすべてを睡魔に委ねていた。
つんつん
つんつん
――何かに突かれている。
頬が鮮明に捉えた感覚に、重い瞼をそろりと持ち上げた。
「ん……、っ?」
「……」
「! えっ、あの……え?」
少しばかりぼやけた視界。
それを埋め尽くしたのは、自分を胡散臭そうな眼差しで見つめている男の子。
扉からの隙間風でふわふわと揺れるその≪水色≫に既視感を覚えつつ、驚いた少女は静かに口を開く。
「ちゃ……ちゃお?」
紡ぎ出した、唯一自分が胸を張って≪イタリア語≫と言える単語。
だが、渾身の挨拶に対する反応が一切ない。
初対面にしては馴れ馴れしい言葉だったのか、ただ通じなかっただけのか。
過ぎっては消えていくさまざまな予測に、名前が戦々恐々としていると――
「……チャオ」
「!(よかった……通じたみたい。でも……)あの、ごめんなさい。勝手に入ってしまって……って、そうだ。日本語じゃダメだよね、えっと」
≪あれじゃない≫、≪これじゃない≫と自問自答を繰り返す彼女の脳内。
その次の瞬間、相変わらず口をへの字にしていた少年は何を思ったのか、無言のまま部屋を飛び出してしまう。
「あ……」
一人取り残された少女。もしかすると、自分のあまりの挙動不審ぶりに怒ってしまったのだろうか。
いや、誰か大人を呼びに行ったのかもしれない。
もし人が増えれば、怪しまれることは必至だ。しかしつい最近エジプトから来たばかりの名前には、身分を証明するものも、事情を説明するすべ(コミュニケーション力と語学力)もない。
逃げようにも外はもはや朝を迎え入れている――浮かんだ最悪の想定に彼女が視線を彷徨わせた矢先のことだった。
ガラッ
「!」
「……(じとー)」
「え?」
己の前ギリギリまでを照らす光。再び現れた影は、一つしかない。
そして、男の子からなぜかズイと差し出されたのは、白い皿に乗せられたフランスパン。
呆気に取られた少女は、おずおずと眼前の子どもへ目線を移す。
「わ……私に?」
「(コクン)」
戸惑っている間にも急かすように押し出されるパン。
その想いに、自然と名前は顔を綻ばせていた。
「……えと、ぐらっつぇ」
なんて優しいんだろう。
相変わらず物静かな少年に微笑みかけてから、プレートをそっと受け取る。
刹那。
ぐうううう
「? 今の音……」
「!(ダッ)」
「あ……待ってください!」
今のは、言わずもがな腹の虫だ。
もしかして――すぐにでも駆け出そうとした小さな身体を抱き寄せると、≪離せ≫と言いたげにひたすら暴れる男の子。
「(ジタバタ)」
「このパン、貴方のなんですね……?」
すると、露わになる気まずさを滲ませた表情。
おそらく図星なのだろう。ますます緩む彼女の頬。
助けてくれようとする気持ちが嬉しかった。
「……」
「ふふ、ありがとうございます。……じゃなくて、えっと……Grazie milleでしたね」
「?(きょとん)」
「気持ちだけ受け取っておくので、これは貴方が食べてください」
そう言って朝食であろうパンを返そうとした少女だったが、少年はさらに身を捩るばかり。
当然、腕の力を緩めるわけにもいかないので、名前はただただ困惑してしまう。
「そ、そんな……どうしよう」
「(ズイッ)」
「……、そうだっ」
互いに思うところはあるが、これがもっとも平和的解決だろう――独りでに決断した彼女はおもむろにフランスパンの両端を手で掴み、
「二人で分け合いっ子です」
「……(ジロジロ)」
割ったうちの片方を彼へと手渡した。
漂う張り詰めた空気。
少しして抵抗を諦めたのか大人しくパンを受け取った少年に、微笑んだ少女も片割れに口を付ける。
「ん……あ、美味しいですね!」
「(コクッ)」
「久しぶりにちゃんとした食事を取れたような気がします……本当にありがとうございました。私の名前は名前と言います。貴方のお名前は?」
「…………ぎあっちょ……って、よばれてる」
「!(え、もしかして……!)」
ジェスチャーで繰り広げた会話の先にあった、事実。
彼を見たと同時に発生した≪デジャヴ≫の理由はこれか――と一人納得してしまうのだった。
それから、この倉庫が現在使われていないこともあり≪しばらく滞在すること≫を決め、少年が持ってきてくれた絵本を頼りにイタリア語を覚え始めた名前。
彼女自身以前から順応性が高いこともあり、≪Ciao≫しか言えなかった当初よりはかなり上達していた。
そしてこの男の子は、やはりあの≪ギアッチョ≫らしい。正直、思いもしなかった出会いに驚くことしかできない。
また、彼からの話と日が地平線に身を潜めた黄昏時に実際見たところから、自分が居座る小屋の隣は孤児院のようだ。
「こんにちは、ギアッチョくん」
今日も今日とて建物の前で元気よく遊ぶ子どもたち。
だが、それを河原に一人座って遠巻きに見つめる小さな背中へ、少女が差した赤い日傘を手に話しかける。
すると、大きな驚愕と微かな喜びを織り交ぜた顔をしたギアッチョが、勢いよく自分を見上げてきた。
「! そと、でていーのか」
「はい。曇と雨の日は出てもいいんです」
「……へんなの」
小さく呟いて視線を元へ戻す少年に、己のことはあまり話していない。
5、6歳にしては達観した様子に苦笑だけをこぼしながら、名前は彼の隣へ腰掛け言葉を紡ぎ出す。
「ギアッチョくんは……皆さんと一緒に、遊ばないんですか?」
耳を掠める賑やかな声。
二人の間を通り抜ける爽やかな風。
髪を揺らすそれに、彼女がそっと左手を耳元へ添えていると、
「いーんだよ。……おれ、あいつらにこわがられてるし」
「え……?」
「! な、なんでもねえ!」
無意識のうちだったのだろうか。
理由はわからないが――瞳から垣間見えた寂しさに、気が付けば少女は項垂れるギアッチョの頭を抱き寄せつつ静かになで始めていた。
「! 〜〜おいっ! こ、こどもあつかいすんじゃねー!」
「ふふ、子ども扱いなんてしてませんよ? ただなでたくなってしまったんです(なでなで)」
「ッ、……りゆう、きいたりしねーんだな」
「はい。無理に聞き出すことはしません」
喧騒に交わった静寂。
ふわふわとした髪の感触を確かめるように、動き続ける右手。
しばらくして、きゅうとコートを握り締めたその小さな手に、ハッとした名前は静かに少年の顔を覗き込む。
「ギアッチョくん? あの、どうし――」
「……だれにもいわねーか?」
おずおずと紡がれた言葉。
己を突き刺す信用と懐疑で揺蕩う双眸。
≪もちろんです≫。
そう伝えるため頷いた彼女は、刹那立ち上がった彼に釣られるように両足で河原の草を踏みしめていた。
彼らが行き着いた場所は、少女が仮住まいにしているあの小屋。
ギアッチョは室内へ足を一歩進めた途端、ぽつりぽつりと事情をこぼしていく。
「おれ、その……≪へんなちから≫があって……けんかでつかっちまったときから、あいつらがこわがりはじめたんだ」
「変な、力……?」
「(コク)」
思わず単語を繰り返せば、首を縦に振る少年。
もちろん力の詳細はまだ聞いていない。
しかし、名前の心にはすでに≪もしかして≫という予感はあった。
「ッ……」
そして彼が何かを呼ぶように力んだ瞬間。
彼女の視界が、徐々に彼が作り出す白で覆い尽くされていく。
「!」
寒さを訴える身体。
倉庫全体が、まさに超低温の世界。
おそらくこれがギアッチョの悩みなのだろう。自分は理解できて、他人には理解できないという周りとの壁に頭をずっと悩ませてきたのだ。
だが、その力も当然驚くべき存在ではあるが、なんと言っても少年を覆う≪白≫が印象的で――
「……ふふ」
「ッおい! なにわらってんだ! こっちはしんけんに、なやんでんだぞっ」
「ご、ごめんなさい……っでも、可愛い白猫さんのスーツですね」
「え……?」
刹那、室温が通常のモノへと変わった。
コントロールはまだ難しいらしい。
目をこれでもかと言うほど丸くした彼が、こちらへ近付いてくる。
「これ、みえんのか?」
「はい」
「なんで……。ほかのやつには、みえなかった……のに」
よほど不思議で仕方がないのかもしれない。
今や元通りのギアッチョが、少女が纏うコートの裾をくいくいと引き寄せた。
「なあ! なんでだ!? おしえろよ!」
「え、えーっとですね。それは……」
「秘密です」
「…………ちっ」
「!?(し、舌打ち……)」
はぐらかしたことが気に入らなかったようだ。
このままでは≪また子ども扱いか≫、といじけてしまうに違いない。
しばらく迷いあぐねた名前はついに、唇を尖らせる少年の前へそっとしゃがみこんだ。
「……じゃあこうしましょう。ギアッチョくんの≪夢が叶ったら≫、教えます」
「ゆめぇ?」
小屋に響く素っ頓狂な声。
とは言え、≪はい≫ともう一度頷けば、あっという間に腕を組んで考え始めた彼に――提案した彼女本人が≪そこまで知りたいことなのだろうか≫と逆に驚いてしまった。
「あの……無理に探さなくていいんですよ? 夢をいつ持つかだなんて、人それぞれですし――」
「なんだよっ! こどもだからってなめてんじゃねーぞ! おれだってな、≪ゆめ≫ぐらい……いや、あるにはあるけど…………、2つとも≪みこみ≫ねーし」
「? 二つあるんですか?」
「な……っ! か、かってにきいてんじゃねえよ! じごくみみ! みみどしま!」
顔を真っ赤にして叫ぶギアッチョ。
そんな彼に、耳は耳でも耳年増は違いますよ――とはさすがに言えるわけもなく、静かな笑みを浮かべる少女。
また、真剣な様子ととても可愛らしい姿に、自然と名前の唇は動く。
「私にできることなら、協力しますから。もし夢のことで何かあったら教えてください」
ね?
相変わらず沈黙を貫く少年と視線を交わらせつつ、彼女は改めてにこりと微笑んだ。
倉庫での暮らし。男の子一人のみが来客であるこの場所は、少女にとっていつの間にか心地の良い空間となっていた。
だがそれは、突如思わぬ出来事により終わりを告げる。
「――あぶねえっ!」
だいぶ根元から枯れかけていたのか、広場に倒れ込んできた古い大木。
それを、ギアッチョが無意識のうちに凍らせたのだ。
大人が惑う彼らを避難させた瞬間、力が抜けドシンと周りに響き渡る音。
またやっちまった――そう苦虫を噛み潰したような顔をする少年の傍ら、しばらく呆然としていた子どもたちの心を埋め尽くしたのは、仲間に対する畏怖や驚愕よりも尊敬だった。
「ぎあっちょすげー!」
「ねえ! いまのどうやったの?」
「!? そ、それはなんつーか……おれも、しらねーし……その」
その光景を、小屋から見守っていた名前。
彼女の胸には、今でさえ広がりゆく安堵とちょっぴりの寂しさ。
「(よかった……)」
いや、本当は――
名残惜しさが大半を占める想い。
ハッと我に返った少女は、慌ててそれを振り払うように首を左右へ動かす。
甘えてはいけない。自分にはここへ来た理由がある――と奮い立たせたそのときにはもう、名前の煌く二つの紅に迷いはなかった。
その夜。
特にこれと言った荷物もないので、以前と同じように彼女は傘と薬を持って小屋を後にした、が。
「名前ーっ! おい名前!」
何かただならぬ予感でもしたのだろうか。すでに就寝しているはずのギアッチョが、追いかけてきた。
「おい! むしすんじゃねーぞ! だいたいな、あんたはなんでいつも――――あでっ」
「!? ギアッチョくん……!」
途絶えた怒声。
それにギョッとして振り返れば、地面にうつ伏せになっている少年の姿が。
当然、すぐさま駆け寄った少女は、彼をそっと起こし、その膝がありありと見せるかすり傷に≪祈り始める≫。
「少しじっとしていてくださいね?」
「なんだよ。何す……!? きずが……、まさか!」
「ふふ、はい。これが私の言っていた≪秘密≫です……、もう動いてもいいですよ?」
「……あり、がと」
何がどういうことだかわからない。
そんな顔をしばらくしていたギアッチョだったが、自分がパジャマから着替える間も惜しんで孤児院から出てきた理由を思い出し、名前へ詰め寄った。
「? どうしました?」
「……あんた、どこいくんだよ」
「あ……えっと……少し、遠くへ行きます」
苦笑と共に届いた返答を聞いて、少年が眉をひそめる。
彼女が言うその≪少し≫とは、自分の思う≪少し≫以上なのだろう。
そうとわかれば、叫ぶことは一つ。
「おれもいく! あんたどうせもどってこねーんだろ! それにあんた、けっこう≪おっちょこちょい≫だからな……おれもいく!」
「! ……ダメですよ、ギアッチョくんには≪家≫があるんですから。それに私はおっちょこちょいでは……」
首を横へ振りながら難色を示す少女。しかしそれ以上は彼も言わせない。
「いーんだよ、べつに! おれより、あんたのほうがひとりじゃだめだ……だから≪いえで≫する!」
「……こら。そんなこと言っちゃいけません。それに……ギアッチョくんがやっと叶えられた夢――≪一緒に遊べるお友達≫を大切にしなきゃ」
「ッ!」
なんでバレて――その意味を込めて見上げれども、名前はただ小さく笑ってみせるだけ。
わからない。おっちょこちょいのくせに、たまに自分より大人だと思い知らされる――
刹那、ギアッチョの目から得体の知れない≪何か≫が溢れ出してきた。
「〜〜っ(ゴシゴシ)」
「ギアッチョくん……? な、泣かないでくださ――」
「ないてねー! つーか、なかせてんのあんただろ!? くそっくそっ……まえはみえねーし、めもなんかいてーし……は、はやくどこにでもいっちまえ、ちくしょうっ!」
「(ち、畜生って……すでに面影が……。)そうですね。ギアッチョくん、今までありがとうございました」
向けられた細い背中。
今にも満天の星空へ溶け込んでしまうような濃紺に、できるだけ静かに嗚咽を漏らしていると――
「あ、そうだ」
「っなんだよ! まだなにか――」
「また、会いに来てもいいですか?」
ほんとに来るのか――そう疑うより先に紡いでしまう口。
「! ……かってにしろっ!」
「……ふふ、じゃあ勝手にさせていただきますね?」
「ッ」
「――Arrivederci.」
今度こそ遠ざかっていく一つの影。
それをギリギリまで見失ってしまわぬよう、少年は瞬きもせずにただじっと≪不思議な少女≫を見つめていた。
十一年後。
深夜。教会の扉を開けた瞬間、身震いする修道女が一人。
「ううっ、少し寒い……」
あれから、≪やるべきこと≫を着々と進めつつ、名前は優しい司教の元で世話になっていた。
とは言え本当のシスターになることはできない。強いて言うならば自分は吸血鬼でもある。
たとえそうであっても、自分ができることをしたい――そう己の胸に誓った少女が、今日も日課である掃除を始めようと忙しなく動いていると、ふとどこからともなく怒鳴りつけるような大声が耳を劈く。
「はァアア? 辛抱強くとか無茶言ってんじゃあねえぞ、クソックソがッ!」
「(ふふ、元気だなあ)」
穏やかに笑う彼女の視線の先。
そこには木枯らしの中、コートにマフラーを口元まで覆った青年が、言葉を吐き捨てたと同時に携帯電話をポケットへ仕舞っていた。
どうやら、誰かと会話をしていたらしい。
しかし、その応酬が終わってもなお、男の口はなぜか開かれ続ける。
「辛抱といえばよォオオ、≪火の中にも三年≫ってあるじゃねーか」
「(…………あれ? この言い回し、どこかで――)」
「だがよく考えてみりゃあよォ――ッ、≪火の中≫にゃそうそういられねえじゃねえか! 火に飛び込んでみろ、死ぬだろうがッ! 辛抱する、しないの問題じゃねえだろ! どういうことだよ火って! ナメやがってこの言葉ァ、超イラつくぜェ〜〜ッ!? せめて≪水の中≫にしろってんだよ、チクショ――――!」
まさか。
いや、≪まさか≫どころかもはや確信に近い推論。
ピシリと驚きゆえか身体を硬直させた名前のそばを、相も変わらず矛盾に対する怒りをぶつける男が横切った――
「それとよ〜〜、『石の上にも三年』ってことわざもあるが……なんでアレも『岩』じゃなくて『石』なんだよ、ボケがッ! これって納得いくかァ〜〜ッ、オイ? 『石の上』じゃあ座るモンも座れ――――ん?」
「!」
そのときだった。
バチンとかち合った、青年と少女の目。
すると、間髪容れずにこちらへ歩み寄ってきた彼によって、ぐるぐると周囲を回りながら、身体の上から下までを観察されてしまう。
昔はかけていなかった赤い眼鏡越しの視線が、殊のほか怖い。
「ん? ん〜〜?」
「(ドキドキ)」
「……チッ、人違いか」
「(ホッ)」
「って、なるかァ――――ッ!」
「きゃああ!?」
残念。やはり隠すことはできなかったようだ。
絶叫と共に鷲掴みされ、ぐわんぐわんと揺さぶられる彼女の頭。
「テッメー! 今までどこほっつき歩いてやがったッ! あのときよォォオオ、テメーはなんて言った? ≪また会いに来てもいいですか?≫っつったよなア? オイ!」
「あ……うう……それは、その……もうちょっと後(原作時)のつもりだった、と言いますか……(ぐるぐる)」
「ッはァアアア? オイ! ≪もうちょっと後≫ってよォオ――ッ、何年待てっつーんだテメーはァアアアア! ヨボヨボのジジイになるまでってか? ア? ンなモン、周りが俺より年下ばっかの場所に延々と居られるわけねえだろッ! 大体よ――ッ! 俺がテメーのことどんだけ待っ…………クソッ! とにかくフザけんじゃねえぞ!」
「ご、ごめんなさい……でも、また会えて嬉しいです。ギアッチョ、≪さん≫」
垣間見えた三途の川。
と言ってもなかなかそちらへはまだ渡れそうにない、と顔色は悪いが微笑む名前。
一方、少女が放った敬称に、男ことギアッチョは一瞬ハトが豆鉄砲を食らったような顔をして――
「チッ! ……来い」
「え?」
細っこい手首を取り、強引に足を動かし始める。
そんな彼に彼女は瞳をぱちくりとさせることしかできない。
「あ、あの。どうして私は、連れて行かれているんでしょうか」
「……テメー忘れたのかよ。≪私にできることなら協力する≫って、言ったよなァアアア?」
「そっ、それは確かに言いましたけど……、あれ?」
もちろん、今現在進行形で連行されていることも困ると言えば困るのだが、それよりも少女の脳内を占めたのはある一つの疑問。
「えと……もう一つの夢って、私が関係していたんですか?」
「! いや、テメーが関係するとかしてねえとかは別としてよオオ……、……ッ」
次の瞬間、名前がぽつりと口にした質問になぜか声を詰まらせた男。
そして、いつまで経っても黙り込む様子に、≪どうしたのだろうか≫と彼女は青年を後ろから窺い見た。
「……ギアッチョさん?」
「〜〜〜〜っだから、だからよォ――ッ、こ……ここ……今度こそ一緒にいられん、だろッ」
「こ?」
自然と聞き返すように溢れた音。
だが、それに応えることは一切なく、ひたすら少女の腕を引きズンズンと歩き進んでいくギアッチョ。
一方で、≪明日、荷物を取りに行かせてくれるだろうか≫とすでに諦めモードへ突入しながら、男の後を付いていく名前。
彼らが紡がんとする物語は、思いのほか早く始まることになりそうだ。
fin.
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