※ハロウィン(ここに置きましたが、おそらく話は原作後です)
※コスプレ注意
※続きます
その日、不意に鼻腔を擽った甘い香りに、すぐさま名前はきょろきょろと周りを見渡した。
「(何かお菓子でも焼いてるのかな……?)」
となれば行き先は一つ。
心を掴んでやまない誘惑に引き寄せられるまま、キッチンへ一歩踏み込む。
すると、そこには今日もしっかり結われたプラチナブロンドを煌めかせる、彼の姿があった。
「プロシュートさん!」
「よお、名前。なんだ? オメー、この匂いに釣られてきたのか?」
吊り上がった口角に、からかいを秘めた蒼い眼差し。
プロシュートと視線を交わらせた彼女は、正直に照れ笑いをこぼす。
「えへへ、実はそうなんです。アマレッティですよね、そのお菓子。さくさく、ふわふわと仕上げるのが結構難しくて……」
「ほーう。なるほど、別に罠を張ったつもりはねえが、こうしてお前が来てくれんなら、願ったり叶ったりだな」
「ひゃ!? あのっ……ち、近いですプロシュートさん……!」
「ククッ……いいじゃねえか。キスするわけじゃあるめえし」
流れる手つきで調理を済ませてしまう姿に尊敬の念で口元を綻ばせた途端、グッと顔を近付けてきた男。油断させないと言いたげに、突如もたらされるプロシュートのアプローチに少女が慣れる予定は今のところない。
ちなみに、アマレッティとはごく簡単に言えばイタリアのお菓子で、元祖マカロンである。
遠くから届く、破壊音――おそらくギアッチョだろう――すら気付かないほど、かち合ったままの双眸。刹那、「なあ名前」と色気を孕んだテノールが、吐息交じりに名前の三半規管を攻め立てた。
緊張と羞恥に跳ねる鼓動。それをなんとか落ち着かせてから、おずおずと見上げれば、彼が形の良い唇を歪ませているではないか。
「……アマレッティ、食いたいか?」
「! いい、んですか?」
「ハン! お前の笑顔が見たくて作ったんだ、もちろんいいぜ? ほら、目ェ瞑って口開けろ」
そう囁くと同時に、アマレッティを一つ摘まみ上げる色男。
パアッと紅の瞳をさらに輝かせた彼女はその一粒を甘んじて受け入れようとしたが、ふと頭上に浮かぶクエスチョンマーク。
「え? あの、私自分で――」
「いいからさっさとしろ。んなこと言ってっと、オレがお前ごと食っちまうぞ」
「!? わ、わかりましたっ」
「(にやり)」
慌てて瞳を閉じ、微かに口を開いた少女は、おそらく自分が放った言葉の意味をそのまま捉えているのだろう。
だが、もちろんプロシュートの≪食う≫は文字通りではない。
ぴくりと小さく震える睫毛。今、名前の過保護な≪防壁≫は不在であり、崩されたに等しい。
「(ったく、従順に口開きやがって。何入れられるかわかったモンじゃねえっつーのによ)」
ため息に呆れを入り交じらせていると、言わずもがな目に止まる豊潤な桜色の唇。
いっそのこと、所構わず貪ってしまおうか。
「(……いや、オレには別の≪お楽しみ≫がある。ここで名前のオレに対する信用を変えるわけにゃいかねえ)」
脳内を過ぎった計画。それを確実に遂行するため、眼前の≪誘惑≫を振り切った彼は指先の菓子を彼女の口内へ放り込んだ。
「んっ!」
キッチンの静寂を切り裂く艶めいた音。だから、そういう声出すなって――と言いたくとも、本人にそのつもりはないので彼は内心で叱咤する。
一方、そんな私情は露知らず、もぐもぐと咀嚼を続ける少女。
元から渡すつもりで作った菓子を現在堪能している名前は、まさか自分が普段の食事のときから、≪慎ましくご飯を食べる姿≫にまた可愛さを見出しているとは気付いていないのだろう。
そして、サクサクといった特徴的な音が消えた次の瞬間、男を待っていたのは自身でも驚くほど執心している女の、花が咲き誇ったかのような笑顔だった。
「〜〜っ、すごく美味しいです! ありがとうございます、プロシュートさんっ」
「ふっ、そうか。気に入ってくれたんならよかったぜ。……もっといるか?」
指に再び現れるアマレッティ。
よほど美味しかったらしい。素直に眼をキラキラと光らせた彼女はコクコクと頷きながら、期待ゆえの視線をプロシュートへ向けた、が。
「だが悪いな、≪今日は≫これで終いなんだ」
ひょい。菓子を持った手がこちらを通り過ぎたかと思えば、なんと自分で食べてしまったのだ。
ガーン
そんな効果音を背に、ガクリと項垂れる修道女。
「(ズーン)……はい」
「ッおいおい、そんな顔すんなよ。オレが悪かった、名前を見るとついからかっちまうんだ。明日たんまり食わせてやるから」
「? あし、た……? あ! もしかして……」
きょとんとした表情と共に、名前の頭の中で整頓されたカレンダー。
そうだ、明日。すなわち10月31日は――
「ハロウィンだな。つっても、イタリアでそこまで重要視されてる日じゃねえんだが、今回ばかりは名前も仮装して来ねえとこの菓子はやんねえぜ?」
「え!?」
思わぬ条件に彼女が驚愕を双眸に宿す。
まさか自分が仮装することになるとは考えてすらいなかったため、次いで顔を出した焦燥。
どうしよう――彼の威圧感溢れる眼光に拒絶もさすがにできず、頭を悩ませていた少女だったが、突然ヒーローがすかさず現れたかの如く浮上したある名案。
それを胸に微笑んだ名前は、おもむろに柔和な音を紡ぎ始めた。
「私……普段も基本的に修道服ですから、ある意味仮装――痛っ」
「バカ野郎。オメーな……オレがそれで納得すると思ってんのか。え? やるならちゃんと仮装しろ!」
「ご、ごめんなさい……でも≪ちゃんとした仮装≫って、どのようなものなんですか?」
「ハッ! その言葉を待ってたぜ」
ゴツン。その拳骨が軽いものだとしてもそれなりに痛いわけで。ナミダ目で患部を押さえつつ視線を上げると、ほくそ笑む男の姿が。
さらに、どこから持ってきたのかこちらへ差し出される大きめの袋。
「店で見繕ってきた奴だ。これで≪菓子が貰えねえ≫なんて心配なんざ、する必要なくなったろ?」
「わあ、ありがとうございます! 明日着てきま…………、え!? こ、これっ/////」
「じゃあな、明日の朝楽しみにしてんぜ」
プロシュートさん、待ってください――カッと熱が顔全体を襲い、すぐさま声をかけるより先に、片手を挙げたプロシュートは颯爽とキッチンを立ち去ってしまった。
珍しく湧き出た食への欲求と、仮装に対する羞恥。
これら二つを天秤にかけながら≪Succubo≫、すなわちサキュバスと記された袋と、名前はしばしの間にらめっこを続けていたらしい。
その夜。
カチャリ、とメガネを机に置いたリゾットは、仕事を終えたゆえの息を吐き出してから、二人で入るには狭いベッドへ静かに身体を滑り込ませた。
「名前?(……さすがに寝てしまったか)」
まだ30日が≪今日≫だった数十分前に、布団を被った可愛い恋人。
少しばかり残念そうに眉を下げた彼は、小柄な躯体を後ろから抱きしめ――ふに、とその柔らかな頬を人差し指で堪能していく。
すると言わずもがな、腕の中で彼女が小さく身じろいだ。
「っん」
「ふ……」
オレも寝るか。
重なり合った鼓動。その≪激しさを増す≫心音に微笑をこぼしつつ、男はゆっくりと瞼を下ろした。
数分が経過した頃。
ぱちりと開かれる少女の双眸。
そう、名前は≪あること≫をするために起きていたのだ。
しかし、彼女の狸寝入りを悟り、そもそも微睡んですらいなかったリゾットが見す見す解放するはずもなく。
「名前、どこへ行く」
「! あの、えと……少しお手洗いに……」
「……そうか」
ならば仕方ない――渋々と緩まった腕の力。
暗闇の中、するりとベッドから起き上がった少女は、少しの間悩む素振りを見せてから、あの袋を手に部屋を後にした。
こうして当初の、≪部屋で着替えよう≫という計画はあっけなく崩れてしまったのだ。
しばらくして、いつもより重い足取りで戻ってきた名前。
誰にも出くわさなかったことに、とりあえず安堵はしたものの。
問題は別にある。
下唇を噛んだ彼女の目線の先には、自身を包む――いや、≪包む≫と明言していいかすら疑問を抱くほど露出度の高い服装。
「(こ、こんなに肌が出てるなんて……っ)」
≪露出≫とは無縁の修道服。それに慣れている少女が恥ずかしさを覚えないはずがない。
だが、明日ならぬ今日はハロウィンだ。
「(せっかくだから……リゾットさんにも言ってみよう、かな)」
ようやく心を決めたのか、自然と生まれた頷き。
そして寝台との距離を縮めた名前が、仰向きの状態で微動だにしない恋人の顔をこっそりと覗き込んだ瞬間。
グイッ
「きゃっ!?」
まさに狸寝入り返し。いまだ黒目がちの瞳は闇に慣れていないが、自分に乗り上げる形となった彼女が目をぱちくりさせていることだけはよくわかった。
存分に掻き立てられる加虐欲に、口端を吊り上げた彼は細腰に添えていた左手を太腿へ移して――
「ん?」
そこで頭を占めた疑問符。少女は普段からパジャマを身に着けているはずなのに、自分の指先はなぜか≪肌≫に触れているのである。
もちろん、≪脱がす≫と別だが。
また、どこかいつもと異なる素材の布。どういうことだ。真相を知るため、ベッドの端に向かって彷徨っていた男の右手が、しばらくして捉えた小さなサイドランプのスイッチ。
それを迷いなく押す、と。
「なッ!?」
まず目に焼き付いたのは、頭の左右に生えるくるんと内側に丸まった角。それから、溢れんばかりの乳房をかろうじて隠すノースリーブの黒ジャケット。背中には悪魔のような羽。惜しげもなく晒されたくびれ。申し訳程度に臀部を覆うミニスカート。そこからひょこりと伸びた尻尾。太腿の半ばまでをキツく包んだ網タイツにブーツ。
ああ、自分はもしかすると夢を見ているのかもしれない。
「(これは一体どういうことだ。なぜ、名前がこのような格好を)」
「あっ、う、えと……リゾットさん」
羞恥を体現するように朱を帯びた頬。
同時に、なぜか期待を潜めている深紅の瞳。
清純と妖艶の共生。珍しく驚愕の色をありありと表に出しながら、リゾットがゴクリと喉仏を上下させた瞬間、懇願するように眉尻を下げた名前がその薄紅色の唇を開いた。
「Dolcetto o scherzetto(トリック・オア・トリート)! お菓子をくださいっ」
視界の端に映り込む、少々あどけない面持ちに対して、細身でありつつもひどく艶やかに成熟した身体。
≪お菓子≫か≪悪戯≫か。当然、自分が選択肢を迫られているこの≪状況≫より、視線・表情・仕草・言葉遣い――と、強く抱き竦められたままはにかむ彼女のすべてに、リゾット・ネエロ(アラサー)が釘付けだったのは言うまでもない。
続く
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