somma 〜47〜

※あるデートの日
※短め







それは、あっという間の出来事だった。



「えへへ……」


天を覆う曇り空。

その灰色に、街をゆく人々の顔が淀んでいる一方で、名前の表情だけは爛々と輝いていた。


もちろん、隣でしっかり彼女の手を握っているリゾットも傍から見れば真顔に近いが、実はかなり目尻が下がっている。



「(なんて愛らしいんだ。瞳をキラキラとさせて……場所を弁えずに食べてしまいそry……ゴホン。)名前、あまりキョロキョロしていると、躓いてしまうぞ」


「もう、リゾットさん! 子ども扱いしないでください……私は大丈夫で――きゃっ!?」


「ッ!」



次の瞬間、前へと傾く少女の細い身体。

転ぶ――名前は咄嗟に目を瞑り痛みを覚悟したものの、それは一向に来ることがない。



「……まったく。だから言っただろう?」



腰に回った逞しい腕。

耳元を掠めたテノール。


支えてくれたのだ。自分の身体を引き戻し、眼前で苦笑する彼に、瞼を上げた彼女はしゅんと項垂れた。



「ううっ……ごめんなさい」


「ふ……謝らなくていい。大惨事に至らなくてよかった……どこも怪我はないか?」



反省を表情に浮かべたまま、少女が小さく首を縦に振る。

それを確認し、ホッと安堵の息を吐き出した男は、「行くか」と止まっていた両足を動かし始めると同時に顔を上げた。




刹那、視界に広がる――雲を縁取った≪光≫にカッと瞳孔を開く。





そして――





「名前……!」



珍しく深い色の眼に焦燥を宿したリゾットは、彼のジャケットを名前の頭上から被せた。


「ひゃ!?」


一方、突然作られた真っ暗な空間に目をぱちくりさせる少女。

何が起こって――わけもわからぬまま彼女が動揺していると、不意に恋人は握っていた己の手を引き、どこかに向かって歩き出したではないか。


勝手に進んでいく足。


「え? あ、あのっ……リゾットさん!」


「……ここなら、安全だろう」


しばらくして、頭から消える布の重み。

そこで名前が目にしたのは、



「あ……」


勢いよく被せたことで乱れてしまった黒髪をそっと整えてくれる男。

そして、自分たちが今立っている薄暗い路地裏の景色と――先程居た場所を照らす、美しく明るい日差しだった。


あっさりと外れた天気予報に、自ずと募ってしまう哀しみに似た想い。



「……太陽、出ちゃったんですね」


「すまない、名前。晴れる可能性を予測していなかった……オレのミスだ」


「そんな……っ謝らないでください! 私は、少しでもリゾットさんと出かけられて本当に嬉しいんですよ? それに、すぐ手を引いてくださって……ありがとうございます(にこ)」



ひだまりのように朗らかだった顔色から一変、残念そうに眉尻を下げつつも微笑んだ可愛い恋人に、リゾットは自身の胸中で歯痒さと切なさがこみ上げるのを感じながら、おもむろに携帯電話を取り出す。

さらに、彼女が不思議そうにこちらを見つめる中、ある人物を目的に電話をかけ始めた。



「……プロント。ああ、オレだ。ところで……ギアッチョはいるか?」


「(ギアッチョさん……?)」




ますます首をかしげる少女。電話の相手が、仲間のうちの一人であることは予測できるが――



「いない? そうか……他に車を乗り回している奴はプロシュート……は今日に限って任務だったな。ふむ……」



淡々と進んでいく話。

唯一理解できるのは、彼が≪車に乗る人≫を探しているということだけ。



「ああ……察しがよくて助かる。どちらかが帰ってきたら、いつもの通りまで頼むと伝えてくれ」



携帯を耳元から外す仕草から見て、会話が終わったらしい。

すると、自分を優しく見下ろす双眸。


とにかく内容が気になって仕方がない名前は、おずおずと口を開く。



「リゾットさん? あの……」


「名前。もう少し待ってくれるか? ギアッチョもプロシュートも今出かけているらしくてな」


「え? あっ……もしかして、お迎えを?」



太陽が白い雲の間から顔を見せている限り、自分はここから出ることはできない。

また迷惑をかけてしまった――恋人に対する申し訳なさが心に押し寄せた瞬間、彼女はくいくいっと男の袖を控えめに掴んでいた。



「っ、あの! リゾットさんは、先に帰ってください」


「…………、何?」


低く、地を這うような声音。

ひそめられた眉と訝しげな眼差し。


それらに怯みそうになりながらも、グッと耐え忍んだ少女は言葉を紡ぎ続ける。



「あ、う、その……ここに残るのは、私一人で大丈夫ですから……だから、リゾットさんはアジトへ――――んぐっ!?」


「……」


「なっ、なにふるんでふかっ!」


「名前……何度も言うが、そろそろ自分の魅力に気付いてくれないか」



深いため息交じりに飛び出した、懇願に似た想い。


――確かにアジトへ戻ったオレが、日傘を持ってこの子を迎えに来るのも手だが、その間に名前が他の輩に声をかけられ、さらに拐かされては……堪ったものじゃあない……!



ここは路地裏だ。こんなにも可愛らしく隙だらけの恋人には、危険すぎる場所だ。

少し間を空けて、リゾットが摘んでいた(と同時に柔らかさを堪能していた)名前の両頬からそっと指を離せば、無意識の上目遣いが自分を射抜いた。



「(魅力……?)でも……、……本当にいいん、ですか?」


「いいも何も、オレが名前と一緒にいたいんだ。……構わないだろう?」


「……////(コクン)」



彼女がこくりと肯定を示せば、二人の間を包む穏やかな雰囲気。


無言の中で気付いた、秋半ばということもあり意外にひやりとした空間。

それに比例して鮮明と捉える、恥ずかしくも離れがたい彼のぬくもりに、鼓動は図らずとも速く脈打ってしまう。



「(どうしよう……リゾットさんを直視できないよ……)」



どれほど一緒に過ごしていても、慣れることのない羞恥に少女がふっと視線をそらそうとした――そのときだった。






ドクン、と左胸がより激しく高鳴る。



「(えっ……?)」


照れ臭さゆえの熱が、境地に達したのだろうか。



いや、違う。


忘れがたい、この感覚は――




「……っ、は……はぁっ……」



己の中にある一つの≪衝動≫。

名前自身がそれを悟ったときには、もうすべてが遅かった。



「んっ……ぁ、はぁ……、っ!」


「名前……? 名前!」



俯いたまま壁に背を預けた彼女に届く、男の心配と焦慮が入り混じった声色。

だが、それに応えることができない。


冷気を帯びた空気に滲む、ひどく艶めいた吐息。


「(どうしてっ……こんなときに……!)」



上気した頬。

ギラつく深紅の瞳。

脳内を覆った白い靄。

見え隠れする鋭い八重歯。



目の前には、自分の顔を覗き込もうとしている愛しい人。


すると、リゾットから自然と漂う色香――甘美な香りが、さらに少女の鼻腔を刺激する。


「っリゾ、トさ……はぁ、はぁっ……」



≪あの医者≫から投与された薬で、より正直になった≪本能≫。

それをなんとか抑えるために、一つの葛藤の中で名前はただただ荒い呼吸を続けていた。




続きます。



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