※ヒロイン、少し不安になる
※兄貴のターン
「いた……っ」
「ん? 名前、どうしたんだよ」
ある朗らかな午後。
ソファで昼寝をしようとしていた名前は、腰に走った痛みに顔を少しばかり歪めた。
その表情を、偶然通りかかったプロシュートが気付き、何事かと歩み寄る。
「あ……プロシュートさん。なっ、なんでもないです!」
「ハン、どうせ≪昨日の晩も激しかった≫んだろ?」
「! ……ううっ///////」
当てられてしまった答え。
首から上が燃えるように熱い。
確かに、他の人と比べて治癒力があるはずなのに痛みが今まで尾を引くほどには激しかった――「あ」やら「う」を繰り返し、口ごもる少女。
すると、慌てて起き上がった彼女の隣に座りながら、彼はにやりと口端を吊り上げてみせた。
「ククッ、図星かよ。顔真っ赤にしやがって」
「あ、うっ、えと……ぷ、プロシュートさんが当てちゃうからっ」
ナミダで潤む紅い瞳。
唇を尖らせた名前はおそらく睨んでいるつもりなのだろうが、こちらにしてみれば上目遣いに見えて仕方がない。
可愛い奴、と胸中で呟いた彼は相変わらず頬を赤らめたままの彼女を一瞥して、感慨深げに口を開く。
「にしてもよ……あいつもお前と出逢って変わったな。今、≪お触り禁止≫なんて言われりゃどうなるんだか」
そう、プロシュートにとってはいつもと変わらない≪皮肉≫。
しかしそれが、少女の肩を小さく揺らした。
「……」
「名前?」
何か悪いことを言ったのだろうか。
彼にしては珍しく焦りを滲ませつつ覗き込もうとすれば、ちょうど顔を上げた名前。
憂いの入り交じった視線が、己の双眸を突き刺す。
「プロシュートさんって……リゾットさんと、その……付き合いは長い、ですよね?」
投げかけられた問い。
それに少し首をかしげた男は、しばらく考えた末に言葉を紡ぎ出した。
「? 長いっちゃあ、長いかもしんねえが……なんだ? リゾットになんか嫌なことでもされたか?」
「い、いえ! 少し気になっただけですから……!」
「…………ハッ、その顔と話の流れから見て、不安でも感じたんだろ? 毎晩毎晩あいつにがっつかれてよ」
見つめ返すように彼女を包む蒼い眼差し。
あっという間に言い当てられてしまった少女は、すぐさま目を伏せる。
彼が身体目的で――とは思いはしないものの、一滴の≪不安≫が心の中で水面になって広がっていたのは事実だった。
「……」
「はぁああ……ったく、あの変態朴念仁が。テメーの女不安にさせてんじゃねえよ。口下手なあいつのことだ、あんま愛の言葉も吐き出してねえんだろ?」
初めてリゾットが想いを口にしてくれたのは、二人が出逢ったあの教会。
その後も、まったく言葉がなかったわけではない。
――もしかしてこの不安な気持ちは、贅沢な悩み……なのかな?
自分はこの代えがたい≪幸せ≫を十分であるほど彼と共有できている。こんな風に思っちゃダメだ、と弱気な己を叱咤した名前は、プロシュートの怒りを潜ませた声に対して微かながらも首を横へ振る。
「えと……と、時々伝えてくれます、よ? それに、見つめ合っているとリゾットさんの想いを感じられるし、だから――」
「だから別に要らねえってか? そうじゃねえだろ。あいつの言葉で、音としてもっと届けてほしい……お前の表情がそう言ってるぜ」
「っ」
隣の彼はどうしてこう、心の奥の――柔らかなところを的確に突くのだろう。
矛盾を孕む心。
力のこもる両手。
自然と落ちてしまう視線。
だからこそ、彼女は気付くことができなかった。
「! ……えっ」
真摯な愛情を海色の瞳へと宿した、プロシュートに詰め寄られていることに。
髪越しのうなじが捉える、背もたれの固さ。
「ぷ、プロシュートさん!? あのっ」
「クク、どうした?」
「ち……近いです! できれば少し離れてくださ――」
「いやだ、っつったらどうする?」
思いもしなかった拒否。
彼の甘やかで艶めいた吐息が、鼻を掠める。
瞠目した少女が男の胸板を慌てて押し返そうとすると、プロシュートはそれをすかさず掴み、さらに距離を縮めた。
「名前。前も言ったが、もう一度言わせてもらう」
「オレの女にならねえか?」
「ッ!」
ますます開かれる深紅の眼。
だが、やはり脳内に浮かぶのはただ一人。
名前のどこまでも揺るぎない意志。それは彼も理解している。
からこそ、おそらく≪No≫を紡ぐために開きかけた彼女の唇を、男はたおやかに人差し指で制してしまう。
「憂いを帯びたお前の心に付け込むようで悪いが、オレは本気だ。オレなら守りてえ女を心配させるほど野暮なことはしない。言葉だけじゃあ足りねえぐらいのこの想いを、毎日囁き続けてもいい。星が見たいって言うなら、最高のスポットにいつだって連れてってやる……シニョリーナ、お前が望むならオレはなんだってしよう」
鼓膜を震わせていく情愛の炎。
おずおずと目線を上げれば、口数が少なめな彼とは正反対に近い彼が変わらずそこにいた。
頭を撫でる柔らかな手つき。
一縷の真実を掬い上げる洞察力。
兄貴と呼ばれるだけあって面倒見のいい性格。
スキンシップは少し、いやかなり激しいが――すべての行動が思いやりに溢れているプロシュートが、自分は≪好き≫だ。
――でも。
「……っプロシュートさん、私は……」
「ふっ、少しでいい。黙ってろ」
「あ……っ」
彼への≪好き≫は、リゾットに対するものとは異なっている。
それを伝えようとした途端、繊細な指先でするりと顎を持ち上げられてしまった。
「名前、voglio che tu sia solamente mia(オレだけのものになってほしい)」
「!」
心の奥底を擽る、ビロードのような滑らかな声色。
動揺に囚われていると、間髪容れずに男の唇が近付いてくる。
そのとき。
「メタリカァアアアッ!」
リビングに、怒号が響き渡った。
「グッ!?」
床へと落ちるいくつものカミソリ。
少なからず赤を吐き、ボフンと胸元に倒れ込んできたプロシュートに、名前は思わず言葉を失う。
「ぷっ、プロシュートさん!? 大丈夫ですか――」
「名前」
「きゃっ」
仲間へ容赦ない攻撃を仕掛けた張本人――リゾットはいつも以上に冷酷な表情のまま、おろおろとする彼女の腕をソファから自分の元へ引き寄せた。
すると、ゴトンと嫌な音を立てて床に転げ落ちたプロシュート。
己の身体から重みが消えたことで、少女がひどく狼狽える中、そちらを一瞥すらすることなく男は部屋を出て行こうとした、が。
「く……グレイトフル……デッドォオオ!」
「!?」
突如掴まれた足。
思わぬ攻撃によって爪先がふらついたのか、ソファへ座り込むリゾット。
「り、リゾットさん!?」
刹那、同じくそちらへ倒れ込んだ名前を視界に入れながら、プロシュートは床に伏せたまま薄ら笑いを見せる。
「ハッ……いつも、カミソリ……吐かされっぱなしだと、思う……なよ?」
「……なんのつもりだ」
「なんのつもりもこうもねえよ。リゾット、お前……知らねえだろ。あまりにも想いを言葉にしねえ、挙句に夜の営みはやたらと激しいどっかの口下手マンモーニのせいで、名前が不安がってるってことをな」
「! 名前が……?」
そうなのか――確認を求めるように向けられた視線。
野獣のような双眸には、すでに独占欲ゆえの冷たさはない。
恋人の揺らぎを潜めた口調に、頷くように彼女は静かに眉尻を下げた。
「……もう少しだけ、その……リゾットさんの想いを聞かせてほしいな、って思ってしまったんです」
「……」
やはり贅沢なのかもしれない――そんな考えが頭を過ぎり、ますます少女は俯いてしまう。
すると、温かな声が耳を劈いた。
「名前、頼む。顔を上げてくれ」
嫌です。そう返事をしようとした矢先、さらに傾いたと同時に強く抱擁された身体。
「! り、リゾットさん……?」
「……すまない。オレは常日頃から君の隣にいると言うのに、名前の不安に気付くことができなかった……本当にすまない」
囁かれた謝罪。
謝らないで――ふるふるとリゾットの腕の中で首を振れば、彼は優しい手つきで髪を撫でてくれる。
「オレはこういった口重な性格だが……君への想いは確かだ。これからはそれを毎日伝えられるよう、努力をしよう」
「……まっ、毎日はちょっと……恥ずかしいのでいいです/////」
「ふ……そんな顔をするな。名前がそうやって可愛い仕草をするからこそ、オレはこの心を刺激されて毎晩抑えられなくなってしまうんだ」
――それはわかってくれるか?
苦笑気味で紡がれる本音。
それに顔を紅潮させつつ、はにかんだ名前は頷く代わりに細腕をぎゅっと彼の大きな背中へと回した。
「ハン、お熱いこって」
翌日。
相変わらず腰を押さえながらも、ひょこひょこと彼女が煙草をふかしていたプロシュートのところへ駆け寄ってくる。
「プロシュートさん……あの、昨日はありがとうございました」
「ん? ああ、気にすんなって。オレは、お前のその可愛い笑顔が見てえだけなんだからな」
「! も、もう……茶化さないでくださいっ////」
「茶化しちゃいねえよ、オレの本音だ」
ガシガシと髪を掻き混ぜれば、あわわとそれを整えた少女がしばらくして口を開いた。
「それでなんですけど……プロシュートさん、仰ってくださいましたよね? 星が見たいなら、最高のスポットにって」
「あー、確かに言ったな」
「その……できれば行ってみたいな、って思って……いいですか?」
可愛らしいおねだり。
もちろん、彼女の無意識になされるそれにめっぽう弱い男が応えないはずもなく。
「いいぜ、今夜でも行くか」
晴れてるしな――そう呟くと、さらに笑顔をキラキラとさせる名前。
「はい! じゃあ、≪皆さん≫にも聞いてきますね!」
「……ん?」
視界からふっと消えた黒い背中に、固まる表情筋。
皆さん、と少女は確かに言った。
ようやく一致した今夜の予定に、正直な想いが彼の口から漏れる。
「二人っきりじゃねえのか」
まあ、また誘えばいいか。あらぬ方へ視線を向けたプロシュートは、とてつもない落胆を紫煙として吐き出したのだった。
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