somma 〜44〜

※ヒロインが(部分的ですが)猫になってしまったようです
※微裏





「んんっ……」



ある静かな朝、いつもは熟睡中の時間に名前はムクリと身体を起こした。

その理由はたった一つ。



「(リゾットさん……朝には帰る、って仰ってたよね)」


たった一日、されど一日。アジトを空けていたリゾット。

疲労感を滲ませているであろう彼をちゃんと玄関で迎えたいため、眠い目を擦りながら彼女は一人では広すぎるベッドから立ち上がる。


それから、室内には自分だけということもあり、無防備にも姿見の前で脱ぎ捨てるパジャマのズボン。



「……ん、ふあ……」


そして、口から漏れるあくびを噛み締めつつ、少女がなんの気なしに尾骨の部分へ右手を回した――瞬間。


ムニッ



「ひゃ!? い、今……あれっ?」


見開かれる二つの紅い瞳。

手のひらが捉えたふさふさとした柔らかな感触。


さらに、その得体のしれないモノに触れた途端、ピクンと反応した自分の身体に眠気は飛ばざるをえなかった。



「?」


とりあえず、鏡で確認してみよう。

己が今パジャマの上とショーツのみ――といった蠱惑的な姿であることも忘れて、薄暗い世界でその代物を見据える。



「……」


すると、眼前には違和感のある自分自身が。


枕によって乱された頭の上に、ひょこっと佇む二つの黒い三角形。

下着と肌の間から顔を見せ、臀部あたりからその存在を示すようにゆらゆらと揺れる、黒く細長いモノ。


「え……耳と、尻尾……?」



一体、何が起こっているのだろうか。

動転しているのか、名前は目をぱちくりさせながらおずおずと前を見つめ直した。



「ど、どうしてこんにゃっ…………、≪にゃ≫?」


喉から飛び出した単語。

そのキーワードから思い至る、一つの結論。


≪もしかしなくても≫。姿見の淵を両手で掴んだまま、彼女はおもむろに息を吸い――






「――え、ええええええ!?」




と近所迷惑を気にする余裕もなく、思い切り叫んだ。

次の瞬間。





バンッ



「おい! どうした名前ッ! 変態でも現れ……ってお前その耳……」


「あ……プロシュートさん……! 私、あの、何がなんだかわからなくてっ」



ドアを勢いよく開けた自分に、狼狽えつつ駆け寄ってくる少女。

一瞬だけ目を丸くしたプロシュートは、自身の心に冷静を取り戻せと訴えかけ、名前の旋毛から足先までをまじまじと凝視する。



「……ハン、耳だけじゃなく尻尾まで付いてやがる。なんだ、何が起きて――ッつーか! 名前オメーなあ、年頃のシニョリーナがそんな格好してんじゃねえ! こちとら男所帯なんだ……これでも腰に巻け!」



刹那、乱暴気味に押し付けられる特徴的な柄のジャケット。



「はわっ!?」


「ったく、隙がありすぎんのも困りモンだな」


自然と漏れるため息。

後頭部をガシガシと掻きながら、慌てて下肢を隠す彼女を――特に頭上の耳と揺蕩う尾を淡々と見下ろしていた。








しばらくして。ワンピース状の修道服を着られるはずもなく、再び身に纏うことになったパジャマ。

そして、元々順応性が高いこともあり、なんとか落ち着きを取り戻した少女はプロシュートと共にリビングへと向かった、が。



「かッわッい――――! ハアハア、オレの予想通りだ! 名前にゃんこベリッシモイイ! ハアッ、名前どうだい? 喉が渇いてるなら、オレがミルクでも飲ませブヘッ!」


「チッ、やっぱお前の仕業か。メローネ」


「おいおい。朝から元気だなァ……って、名前!? どうしたんだよそれ!」



当然、周りが驚かないはずもなく。

新聞を落としたホルマジオを筆頭に、皆がソファにちょこんと座った名前を取り囲んだ。


ちなみに、彼女を猫へと仕立て上げた張本人の末路は、誰もがスルーしている。



「わー! 名前にゃんこっすね!」


「……そんなこと言ってる場合か、オイ」


「まあそうだけど……すげえ可愛いのは事実だし」


「(ンなことはわかってんだよ)」



破顔するペッシ、貧乏ゆすりをするギアッチョ、鼻の下を伸ばすイルーゾォとさまざまな反応を示す三人。

一方、押し寄せてきた恥ずかしさといたたまれなさに、少女は思わず声を上げた。



「あの、みにゃ……っみなさん……」


「……名前。まさかよォ、言葉まで変わり始めてんのか?」



しかし、そっとしてもらおうという思惑は≪な≫という文字に限って出てくる猫語によって、ますます失敗に終わる。

にゃではなく≪な≫――そう意識しなければ、ますます猫に近付いてしまいそうだ。

新たに発生した問題について名前が一人格闘する中、なぜか雷に打たれたかのように目を見開いたホルマジオは、おもむろにリビングを出て行ってしまった。


また、彼女のピクピクと小刻みに動く二つの猫耳を視界に入れていたギアッチョも、止むことのない喧騒に寝不足も重なって顔をしかめるばかり。



「クソ、くだらねえエエ……」


「あっれー? 猫好きのギアッチョなら喜ぶと思ったのに。名前にゃんこ可愛くない? ディ・モールト可愛いよねッ!?」


「ッ、別に興味ねえよ! つか、コイツの悲鳴で叩き起こされたんだ……俺ァ寝る!」



そう宣言して、部屋を後にする男。

彼の後ろ姿をじっと見つめながら、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げる(同時に猫耳もぺしゃんとなってしまった)。



「あの……朝早いのに、起こしてしまってごめんにゃさっ……、ごめんなさい(しゅん)」


「(か、可愛い……)気にするなって。それより、今名前が考えなきゃいけないのは自分のことだろ? こういうときまで周りに気を遣うなよ。な?」


「! イルーゾォさん……ありがとうございます」


「ふっ、お前にしちゃ珍しく気の利いたこと口遊んだみてえだな……にしても、元の耳も残ってんのか」



さらりと言葉を紡ぐと、口端を吊り上げたプロシュートが名前の背後に回る。

そして、本来の耳元には唇を近付けつつ、微かに動く猫耳は指先で弄り始めた。


当然、そのむずむずとした感触に、過敏と言えるほど反応してしまう皮膚。



「あ、ふふっ、プロシュートさん……少し擽った――ひゃんっ!」


「名前!? ちょ、大丈夫っすか?」


「ククッ、これじゃあどっちの耳が弱えのか判断できねえじゃねえか」



絶え間なく迫り来る刺激に粟立つ神経。

彼女はただただ息を切らしながら、自分の背後で楽しそうなプロシュートを潤んだ瞳で見上げる。



「はぁ、っは……あの、んっ……やめてくださ、っ、ぁ!」


「ほーう……本当にやめてほしいならよ、この尻尾はゆらゆらと揺れねえはずなんだがな。名前、どうなんだ? え?」



必死に首を横へ触れども、鼓膜を吐息で震わせる男はやめてくれそうにない。


でもこの意識を捕らえる感覚に流されたくない――襲い来るそれから逃れるために少女が目を瞑ろうとした、そのときだった。

何かふわふわとした、子犬の尾に似たモノが視界の隅で小さく動いたのは。



「にゃっ!」



次の瞬間、プロシュートの制止の声も聞かずにそちらへ――リビングの入口へ飛び出す。

すると、先程戻ったはずのギアッチョが、むすっとした顔で猫じゃらしを手に持っていた。



「……」


「ギアッチョさんっ……あの、それ……!」


「(猫じゃらしをぷらぷら)」


「!」


にゃ、にゃ、と動くそれを追いかけてしまう視線と身体。

名前が猫じゃらしを奪わぬよう気を付けつつ、口元を少しばかり緩ませるギアッチョに――素直じゃないなあ、とメローネがそんなことを呟いていたとは、遊びに夢中な二人は知る由もなかった。


一方で、しばらく席を外していたホルマジオも何かを手にしながら、戯れている彼らを見て朗らかに笑う。



「おォ、やってんなァ」


「あ。ホルマジオも戻ってきたんすね……ってそれは?」


何かの枝だろうか。

ペッシが不思議そうに首をかしげれば、「名前の前にかざしてみろよ」とそれを手渡されてしまう。


その言葉を純粋に受け止めた彼は、いまだに猫じゃらしに夢中で、双眸をキラキラと輝かせている彼女のそばへ枝を近付けてみる。



「えーっと、これはどうかな?」


「? あ、それは…………ぁっ、ん、はふ……っ//////」


「え!? 名前……!?」



刹那、少女の鼻を擽った香り。

それが脳髄を支配した途端、ガクンと膝の力が抜け、床であるにも関わらずペタンと座り込んでしまった。


さらに、名前は頬をこれでもかと言うほど赤らめ、桜色の唇から甘い吐息をこぼし、ひどく恍惚としている。

もちろん、枝の正体を知らないペッシは驚いているが、その後ろで飄々と言葉の応酬を重ねる年長組の二人。



「ったく、こっちの気も知らねえで……そそる表情をしやがる。だが、マタタビってのがここまで効く代物だとは思わなかったぜ」


「そうかァ? ま、≪猫はマタタビが好き≫って話だけが浸透してたりもするからな。強いて言うなら……マタタビは酒や媚薬に近いかもしんねェ。与えすぎはダメだって言うしよ」


「はあ!? ちょ、何やってんだよ! そんなモン名前に与えて……!」


「ん……はっ、ぁ……にゃんか変、れす……っ」



イルーゾォの切羽詰まった怒声が室内に響く中、溢れんばかりの≪欲≫に動揺する心。

だが、とにかく堪えるしかない。



そう彼女が自身を宥めたのも束の間――



「ひぁっ!?」


ふさふさの尾を遠慮することなく掴まれ、尾骨から子宮へと走った鋭い疼きに瞠目した少女は、瞬く間にソファへと逆戻りした。

そして、黒い尻尾を大きく膨らませながら、涙目で犯人をキッと睨めつける。



「めろーねさんっ……にゃ、なんてことを……!」


「あ、もしかしてその尻尾の形って威嚇の意味? そっか、いきなり尻尾触られて驚いたってことか……ほんと名前はディ・モールト可愛いんだ・か・ら(ハート)」



ところが、名前の威嚇などまったく気に留めていない――むしろ興奮しているのか、あっという間に距離を詰めるメローネ。


その近さにひゅっと鳴った彼女の喉。

今更ながら身の危険を感じて、怯えた表情を浮かべる少女に息を荒げつつ、彼は両手をわきわきと動かした。



「ねえ名前、知ってる? 猫は機会があればだけど、一匹に限定せず複数の異性と交尾することもあるんだぜ? だからさ、いつもはリーダーとあんなことやこんなことシてる名前だけど、今日はオレと――」











ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ



「これは……どういうことだ?」


「あ」



しかし、背後から捉えた禍々しい気配に、名前に迫っていた彼は口を閉ざさるをえなくなる。

あの男が、帰ってきたのだ。



グワシッ



「早朝にしては、ずいぶん盛大なお出迎えじゃあないか……」


「……やあリーダー。健康状態が良好そうなのは嬉しいけど、帰ってきて早々部下の頭を鷲掴みするのはいくな――いだだだだッ!」


「……」



真顔で指に力を込めたリゾット。

しばらくして、痛みで項垂れたメローネから手を離した彼は、溢れ出た想いに従うままきょとんとする恋人を抱きすくめた。



「名前……! すまない、オレがいない間にこんなことになっているとは……」


「い、いいんです、っはぁ……ん……リゾットさん、おかえりにゃさいっ!」


「ッ、名前……ああ、なんて可愛い子猫だッ(きゅーん)」


「オイ! いちいち鼻血垂らしてんじゃねえよ、ボケがッ!」



それから、一番冷静だったプロシュートがこれまでの経緯を、一通り説明する。

余談ではあるが、首謀者のメローネが男から再び制裁を受けたのは言うまでもない。


だが、恋人の安定した膝に向かい合わせで乗せられた状態の彼女は、鼻腔を劈くリゾットの香りと体温、そしてマタタビの影響によって、それどころではなかった。



「(どうしよう……身体が火照って……っ)」



今日も無事に帰ってきてくれた、その安堵ゆえだろうか。

理性という名の糸がいとも容易く、ぷつんと切れてしまった少女は――本能のまま、ひどく熱い柔肌を一枚の布越しに彼の躯体へと擦り付け始めた。

婀娜やかな吐息だけが、口から溢れていく。



一方、名前を守るように抱きしめる男は、犯人から≪どうすれば戻るのか≫について尋ねていた。



「どうすれば名前は戻る」


「……うーん、そうだねえ。まあ、ある条件をクリアしたら治るんじゃないかな」


「条件、だと? メローネ、しらばっくれずにさっさと言うんだ」



彼の視線だけで人を殺めそうな勢いに、怖い怖いとメローネが肩を竦めた瞬間。

ようやく全員が、彼女の異変を悟る。




「んっ……はぁ、っは……」


「! 名前? どうしたんだ、突然」



しかし、その問いに「え?」と首をかしげる少女。



「え? ぁ……っ! えと、私にもわかんにゃっ、……あん!」



色めいた嬌声に、ぴしりと固まるその場の空気。

特に、ペッシにとっては刺激が強すぎた。



「うわー、どうしよ。リーダーの上でさあ、腰振ってるみたいでベリッシモエロいね。でもなんで突然こうなったんだろ……ギアッチョ、知ってるかい?」



楽しそうにそちらへ目を向ければ、なぜ自分に尋ねると言いたげにキレるギアッチョ。



「! しッ、ししし知るか! つか俺に振るんじゃねえよ!」


「ふーん(絶対に知ってる顔だな)……じゃッ、ホルマジオは? 猫好きのあんたなら知ってるよな?」


「俺? いや、まァ……知ってるっちゃ知ってるけどよォ」


「なら早く言えよ。オレの弟分が羞恥でぶっ倒れそうだぜ……この行為はなんだってんだ? 猫の特性か?」


「たじろいでないで言え、ホルマジオ。それと全員、今の名前を見たら即メタリカだぞ」



周りを突き刺す鋭い眼光。

当然、それをもっとも強く受けたホルマジオは、困ったように苦笑を漏らす。



「わーッた、わーッた。言やァいいんだろ? 要するに――」







「一概には言えねェが、発情の合図なはずだぜ? 身体を擦り付けるってよ」




…………。



別の意味で緊迫した世界。

ようやくハッと我に返ったリゾットは、何を思ったのかおもむろに細身の少女を横抱きにした。


すると、とろんとした瞳で彼を見上げる名前。



「ふにゃ……? リゾット……さん?」


「……名前、心配するな。今から部屋に行くだけだ」


「へや……は、い(コクン)」


「と、いうわけで。――≪寝かせてくる≫」


「んふふ、りょうかーい」



ヒラヒラと手を振って、メローネが二人を見送る。

しかし皆が皆、複雑な表情をする中、ペッシだけがなぜか≪尊敬≫を瞳に滲ませていた。



「さ、さすがリーダー……確かに、部屋に戻った方が名前にとっても安全っすよね」


「……ペッシ、お前……それ本気で言ってんのか?」


「え?」



どうやら本気らしい。

そのある種の無垢さに、イルーゾォがあははと乾いた笑みを浮かべる。

また、ホルマジオもなぜか遠い彼方へ視線を向けるばかり。


「ハハ、若いな……俺たちもよォそう思えたらどれだけよかったか(遠い目)」


「? えっ? え……?」



頭上を占めるハテナマーク。メローネに聞こうとすれども、彼はにやにやと笑みを深めるだけで頑として口を開かない。

また、顔を真っ赤にしたギアッチョは――このことを尋ねた瞬間、命が危ない気がする。



「……ハン」


どうせ真顔を保ちながらも、脳内はあの可愛らしく淫靡な子猫でいっぱいになっている、あいつのことだ。

名前との睡眠は、≪長く≫なるのだろう。


弟分から教えてくれよ兄貴とせがまれながら、プロシュートは「ったく、困ったリーダーだ」と恋人に対してだけ理性の壁が脆い男に内心で深いため息をついた。



続く。



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