リゾットが目を覚ました翌日。
「〜〜っリゾットさん! まだ動いちゃダメって言ってるじゃないですか!」
彼の部屋では、数時間に一回のペースで少女の喝が飛んでいた。
しかし、タオルと洗面器を抱えて戻ってきた彼女に対し、男は平然と上体を起こし眼鏡をかけようとしている。
「名前……心配するな。これでも鍛えているんだ。銃弾の一つぐらい、どうってことはない」
「鍛える鍛えていないは関係ありません! それに、毒だって抜けきってないんですから……っ」
持っていたものをさっと床に置き、彼の隣に腰を下ろす名前。
そして、机にある本を取ろうと手を伸ばすリゾットの腕を、彼女はすかさず両手で止めた。
不満げな赤がこちらを射抜くが、そんなものは無視だ。
「リゾットさん……お願いです。お願いだから……無茶、しないでください」
己の眼鏡越しに見える、少女の濡れた目尻。
男は、たとえ嵐の中でも一輪の花が咲き続けているような強く、優しい彼女の笑顔と、その儚げで美しいナミダにひどく弱かった。
「……名前」
その慈悲深い紅に溢れ出る、自分への心配。
自身を責める必要などないのに、彼女の下唇を噛む癖が示す後悔。
腕にそっと置かれた、小さいのに何もかもを――己の闇までも包み込んでしまいそうなほっそりとした手。
心地よくも、張り詰めた空気。
「…………わかった」
「!」
足先と指先といった末端に残る痺れ。
身体がいまだ怠さを帯びているのは、事実だ。
血の巡りは良好になったものの、微熱は取れないでいる。
そして、修道服の袖を捲り献身的に動いてくれる名前の、この透き通るような瞳に暗い影をできる限り落としたくもない。
しかし――
「三十分だ」
「……はい?」
己の体調は把握している(つもり)だ。
だからこそ、今のリゾットには≪どうしても≫やっておきたいことがあった。
一方、目を丸くしたかと思えば、その言葉の意図を悟り俯く少女。
「三十分だけ、この本を読ませてくれ。そうしたら――」
「ッそう言って、お昼も二時間起きていたんでしょうが……!」
「グッ!?」
肩を掴む両手。
ドサッ
不意に後ろへ押される身体。
先程まで感じていたベッドの感触を再び背で捉えながら、天井を見上げる。
そこには――
「リゾットさん……貴方が寝てくださるまで、絶対に退きませんからね?」
自分の腰辺りに跨り、唇を尖らせた名前が珍しく怒った表情でこちらを見下ろしていた。
だが、彼女は気付いているのだろうか。
この体勢は、まさにマウントポジション――男にとってはご褒美であると。
「ッ、名前……」
「なんですか? というより、早く寝てください!」
――無理だ、寝られるはずがない。
むしろ寝たくない。
寝間着越しにはっきりと感じる腹筋へ置かれた少女の両手を、今すぐにでも掴んで、あれよこれよとしてしまいたい。
むすっとした名前も可愛い。
照明が浮き彫りにするその扇情的な姿に、リゾットがそーっと手を動かし始めたそのとき。
「リーダー! これ、報告書なん……だけ……ど……?」
運悪くも、ノックをせずにドアを開けてしまったイルーゾォ。
視界を覆う衝撃的な光景に、彼も思わず引きつった笑いを浮かべてしまう。
「は、はははは……そう、だよね……うん、うん」
「? あの、イルーゾォさん?」
「いや、弁解はいいんだよ……うん、二人がヤってんのは前から知ってたんだし……ははは、それでもオレにとって名前は輝いているというか、憧れの存在なんだし……うん、たとえ上に乗ってシてても……それがどんなに艶やかで色っぽすぎても…………っ、うわああああああッ!!!」
「え!? ちょ、イルーゾォさん! よくわからないですけど、とにかく何か誤解して――」
扉から消えた男の姿。
絶叫に近いそれを聞き、慌てて名前はリゾットの上から身体をずらそうとした、が。
ガシィッ
「え!?」
「……オレが寝るまでは、退かないんだろう?」
「! で、でもっ、なんだかイルーゾォさん……!」
自分と廊下を交互に見て、眉尻を下げる名前。
ああ、やはりその表情も可愛い。
彼女を想い、出逢うまで無と言えた心臓が何度も――今も色づくのを自覚しながら、男は掴んだままの手首をクイッと引き寄せた。
「きゃっ」
自分の胸元へ倒れ込む少女。
その黒髪の隙間から覗く耳へ、ひどく静かに、ゆっくりと囁きかける。
「名前……眠る代わりに条件がある」
「! っ、条件、ですか……んっ」
彼の鼓膜を震わせるテノールが、修道服で隠された細い腰に響くのだろう。
ピクリと反応した名前の肩甲骨をツーとなぞり、深い笑みを湛えたリゾットは静かにその≪条件≫を口にした。
「ああ……今からシよう。そうしたら、きっと力尽き果てて、オレもぐっすり眠れるはずだ」
「!?」
部屋の外から聞こえる何かが――おそらくイルーゾォだろうが――転ぶ強烈な音。
それを耳にしながら、男は今にも羞恥で逃げ出しそうな少女を離さないために、己の腕の力を強めるのだった。
![](http://img.mobilerz.net/sozai/1646.gif)
続く。
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