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「こ、こんにゃろー!」


「んっ!」



自分を連れ去った男のうちの一人に足首を縛る布を切られたかと思えば、強引に立たされ、人質とされてしまう。

周りで倒れる人々と、床に広がる血。

商売相手だったギャングのボスでさえ今や地に伏せているのだから、仰天するのは当然だったのかもしれない。



「は、ははっ……ここここの女をッ、傷つけられたくねえんだろ? なら――」






「無駄だ」


「! ひっ、ひぃいいい!」



少女の首にナイフを突き付けていた手。

その甲から現れた――刃。




「もう遅い」


「あ……あ……あああああッ!?」



近くで劈く絶叫とともに、解放される身体。


「……っ」


だが、襲い始めた疲弊ゆえか、ふらりと名前の足が崩れそうになれば――



「名前ッ」


温かく逞しい腕がそっと、だが確かに包んでくれた。

手首と口元が解放されたことで、ようやく喉を震わせることができる。


「……リゾ、トさん……」


「よかった……無事で、本当によかった……」



小さな微笑み。

心が安堵で満たされていく。



おずおずと、少女が彼の背中へ腕を回そうとした――瞬間だった。







「テメーの……テメーのせいだぁぁぁぁああああアアアッ」


「!」







パアンッ



「ガハッ……!」


床に寝そべったまま事切れた男。

その手から落ちる拳銃。



リゾットが危ない――そう思い、胸板を押そうとした手を取られ、なぜか反転した自分の視界。



「ふ、名前……怪我はないか」


「は、はい。足も、もう治りかけています。…………リゾットさん?」



どこかが、おかしい。

なぜ、場所が変わっている?

自分の先程いたところは――銃口が向けられた位置だ。

撃たれていないのは、なぜ?




か細い声で名前を呼ぶ彼女に、男はただただ微かに笑いかける。


「そうか……待っていろ、すぐにアジトへ連れて……、ッ」


ガクリ

刹那、伸し掛かる重さとともに落ちる彼の身体。



「ッ、リゾットさん!!」



それに引きずられるようにへたりと座り込む。


いつの間にか回していた手。

指先が捉えた温かい≪何か≫に、恐る恐る名前は視線を落とす。


すると、背中からじわりとシャツに広がっていたのは――赤、赤、赤。



「あ……っああ……ッ、今、治します……!」



震える己の身体に鞭を打って、≪祈り≫始める。

ところが――どれほど祈っても、疲労しきった状態では力が出せない。



駆け巡る絶望。

自然と瞳から零れるナミダ。

容赦なく溢れ出る血と、荒くなるリゾットの息がより彼女の心を急き立てる。



「はぁ、はっ……名前、はな、しがある……んだ」


「後で聞きますっ! だからッ、だから――」


「……今、聞いて、くれ」


「ッ!」



右頬を包む彼の大きな左手。

そのいつもより≪低い≫温度に焦燥は募るが、リゾットが動くことを許さない。



――どうして、どうして……どうして!


自分は≪吸血鬼≫なのだ。

銃弾をたとえ受けても、死の危険性は≪人間≫である彼と比べて格段に低い。


しかし、そんな疑問詞でさえも――漏れ出す嗚咽で掻き消えてしまう。



「名前……」



喉から手が出るほど欲しいものが、たくさんある。


仕事と危険性に見合った報酬。

自分たちを認めた証である縄張り。

かけがえのない栄光。

上からの信頼。

できる限り温かな日常。

永遠の安らぎ。



「っ、リゾットさん……ぐす、リゾットさ、ん……!」


呼ばれ続ける自分の名前。

そして、止まることを知らない名前の美しい雫に、少しだけ頬を緩めた。


「……名前」


「ッは、い」



頭をなで、静かに名を口にすれば、返ってくる柔らかな微笑み。

時折見せる、儚げな表情。

そっと抱きしめれば、恥ずかしそうに下唇を噛みながらも答えてくれる細い身体。

ほんのりと色づいた甘い唇を奪えば、真っ赤になる顔。

日常、羞恥、チームを想って、自分たち一人ひとりを想って――さまざまな理由で笑い、怒り、ナミダを零す名前。

目が覚めたとき、一番に映るのは天使のような寝顔。

普段は優しく、時に熱く求める深紅の瞳。

今≪生きている≫と教えてくれる、鼓動や体温。



すべてが、愛しい。




「何物にも……代えが、たい……存、在」


「……え?」



己の視界が霞んでいるのは、彼女の瞳から溢れ出したものが落ちてきたからだ。

そんなわかりきった嘘を脳内に過らせて、ふっと力なく笑みを浮かべた。





どのような手段を取っても――組織を裏切ってでも手に入れたいものがある。

だが、そのどれもが――









「名前……ッ、君が……何よりも、≪大切≫、なんだ」


「!」



名前が居なくては、意味のない、色褪せてしまうのだ。



命を奪うことと引き換えに、忘れ去ろうとした心。

そこに突然――自分が怪我を負って教会へ訪れたあの日、凛として現れたのは、恋情だけではない。


憧憬。

慈愛。

そして――情愛。


気付けて、よかった。



「ふ、ぅっ……リゾット、さん……ッ!」


「……たの、むから……ッ泣く、な」



自由の利かない手に鞭を打ち、震える親指の腹でそっとそのナミダを拭う。

どうか、自分を想って泣かないでほしい。




「ッ……名前、オレは――――」


白む視界。

薄れていく意識。

音が萎んでいく鼓動。

体内から失われていく体温と血液。



音にならない言葉、想い。



――言わせてくれないのか。


≪あのとき≫から、神を信じることはやめた。



どれだけ祈りを捧げても、答えてくれたことは一度もない――そう諦めていたのだ。





だが、もし。




「っ、やだ……リゾットさんッ、起きて! 起きてください……!」


少女の嗚咽交じりの声が遠のく。




もし――名前に出逢わせてくれたのが、神だと言うのなら――








それだけは、感謝したいんだ――――










「いや……っ、お願い……リゾットさん!!!」


瞼を閉じたリゾットを何度呼びかけても、返事はない。


命の消失。

それをまざまざと感じながら、少女はまるで眠っているような彼を強く抱き寄せる。




――いや……いやだよ!


――貴方を失いたくない!


――お願い、お願いだから――



≪死なないで≫。





「――いやあああああああああッ」


轟く悲鳴に似た絶叫。

その深く切ない想いに呼応するかのように――小さな≪ヒカリ≫が、修道服に隠された彼女の十字架を徐々に覆い始めていた。


to be continued...



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