※微裏
太陽の光を一切受け入れないその≪館≫。
ここはどこなのだろう。
焦燥を顔に浮かべ、きょろきょろと周りを見渡す少女のそばで、カツン、カツンと靴音が響く。
「!」
「ほう……この私が世界へ戻ってきたことによる≪影響≫……それが始まったようだな」
「……っ!」
勝ち誇った笑みとともに向けられる、鋭い瞳。
その≪食糧≫として自分を見下ろす目に、座り込んだまま後退ろうとするが、身体は恐怖で動かない。
「ククッ……怖がらなくていい。どうだね一つ? 私と、友達にならないか……≪名前≫」
顎を捉えるあらゆるものを壊してきた指。
逃げることも逆らうことも許しはしない、禍々しいオーラ。
すべてが危険である一方で、そのカリスマ性は人をいともたやすく魅了する。
原作で目にした男――DIO。
ただただ小さく震えながら、少女――名前は≪琥珀≫の瞳で彼を見据えていた。
Ricordo ed il presente
記憶は問う――すべての始まりを。
殺される――キングサイズのベッドに押し倒された瞬間、必死に抵抗を見せ始める名前。
「っ、いや……!」
「……面白い。他の女は自ら差し出すと言うのに……やはり≪異世界の女≫は違うのか?」
異世界。
そうわかっていても、改めて告げられると心に鋭い痛みが走る。
――……夢、なんだよね?
――でも、もし。
――もし……夢じゃないのなら……。
――私、戻れるの?
――いつ?
――どうやって?
――殺されたら、どうなっちゃうの?
ジワリと目尻に水滴を浮かべる少女に、ますます男の口端は吊り上がった。
「興味深いな……ただの餌にするのは勿体ない」
「!? ぁ……っ」
「ククッ、気が変わったぞ。名前、貴様を……≪このDIOと同じ存在≫にしてやろう」
「!」
ありありと現れた動揺。
その琥珀が深紅へ変わるのを想像しつつ、DIOは己の八重歯を光らせる。
「ッ……い、や……!」
「……逃げてみるといい。できるものならな」
「やだ……っやめてくださ――ぁあっ!」
刹那、鋭い痛みが首筋に走る。
しかし、彼女が捉えるのは吸われる感覚ではなく――何かが入り込む感覚のみ。
「は、ぁっ……はっ……、……?」
「気分はどうだ? 私の仲間よ」
≪仲間≫。
天井と男をそろりと見上げた瞬間、ドクリと唸り始める心臓。
生を刻んでいる。
違う。
これは――
「ぁ……はぁ、っは……はぁっ」
≪吸血衝動≫だ。
胸元を押さえ、堪えても堪えても襲い来る欲望。
荒い息を漏らす名前の唇から覗く≪自分と同じ歯≫に、彼がおもむろに左の人差し指を傷付ける。
「ッ!」
「クク……これが欲しいだろう……飲むといい」
「んっ、ふ……んん……ぁ!」
滴る赤。
その色、その匂いに引き寄せられるように顔を近付け、心に従うままそれを吸い上げた。
このとき、少女はようやく自分が≪吸血鬼≫になったのだと、自覚したのである。
その後、この闇に包まれた館で過ごす時間は、恐ろしいと同時に奇妙なものだった。
「名前様ッ! ぜひ……ぜひとも私めの血をお飲みくださいませェェエ!」
「!? あ、あの……ヴァニラさん、私を様付けする必要はありませんし、血も結構ですから……」
「何を仰います! DIO様と貴方様にとって血は栄養源! それに代われるのであれば、私めは幸せです……!」
「ひぃぃっ!」
変な格好をした男に追いかけられたり。
「ん? 名前、何をしている」
「DIOさん……見てわかりませんか? もう吸血しないように薬を作ろうとしているんです」
「ほう。貴様はなかなか無駄なことをするな……無駄無駄ァ! それより、早くこの私に構え!」
「あと三日ほどお待ちください。百二十年以上生きられたDIOさんなら、一瞬のようなものでしょう?」
「う、WRY……」
原作では想像もしなかった姿に、ちょっとした意地悪を言ったり。
名前は、順応性にかなり長けていた。
だからこそ、彼らは彼女を日常に受け入れ――
「DIOさん、お願いです……≪あの人たち≫とは戦わないでください」
「それは貴様の想いか? それとも……本にそう書いてあった故か?」
「! 両方……です」
「フン、このようなときばかり調子のいいことを……名前よ、貴様は早急にここを出るがいい」
「え……?」
「去ね、と言っているのだ。……どこへでも行け」
彼女を≪決戦の地≫から逃した。
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