窓の隙間から見えた闇に、もうそんな時間かとペンを机へ置く。
――名前は、出かけたのだろうか。
そこまで考えかけて、リゾットは自嘲の笑みを浮かべた。
――遠ざけたのは、オレだ。おそらく出かけているだろう……≪二人で≫。
コトン、とペンの隣に並ぶメガネ。
おもむろに立ち上がった彼は、右手でドアノブを回す。
そして、廊下に足を一歩踏み出した――そのとき。
「よお、リゾット。ようやく≪お仕事様≫から解放されたのか?」
「――」
リビング側から現れたのは、笑みを浮かべながら右手を挙げる、ここにはいないはずのプロシュート。
「プロシュート……お前、なぜここにいる」
「はあ? なぜって、ここがアジトだからだろうが……そういや、名前の姿を見てねえが、お前の部屋か?」
「!?」
――プロシュートさんにお願いしてみます。
――……いってきます。
数時間前を思い返して理解できることは、少女が≪一つの嘘≫をついたこと。
押し黙ったリゾットに首をかしげて、プロシュートが部屋の中を覗く。
「おい、どうなんだよ……って、名前いねえじゃねえか」
「名前は、前のアジトに行った」
「……それ、どういう意味だ」
変わる彼の声色。
だが、それに反応した己の声はやけに淡々としていた。
「どういうも何も、そのままの意味だ。名前がオレにアジトへ行きたいと相談し、オレがそれを許可した。ただそれだけの――」
「そんなことを聞いてんじゃねえッ!」
鋭く胸倉を掴まれ、睨み上げられる。
「前、オレは報告したはずだ。出かけたあの日、≪追手がいた≫と」
「ああ、確かに聞いた」
だが、そのときは組織に敵対する輩だと判別したはずだ。
何を今更考え直す必要があるのだろう。
眉をひそめたリゾットがすっと見下ろせば、プロシュートはこれでもかと言うほど手を強く握り、声を荒げた。
「それが、違ったんだよ」
「は?」
「あの追手どもが狙ってたのは≪組織関連のこと≫じゃねえ! あいつらは……吸血鬼である名前を狙う――賞金稼ぎだッ!!」
「――」
「リゾット……お前、なんで名前と一緒に行かなかった!?」
一瞬。本当に一瞬。
何を言っているのか理解できなかった。
しかし、耳から突き刺さる怒声が脳髄に辿り着いたと同時に、支配したのは――
≪名前に危険が迫っている≫ということだけ。
「ッ、ここを頼む」
「!? おい、リゾット――」
男の制止の声も聞かずに、すたすたと歩き始める。
胸に広がる嫌な予感。
落ち着くことを知らない鼓動。
浮かんでは消える、大切な彼女の笑顔。
――名前……ッ!
アジトと外を繋ぐ扉を開けた瞬間、リゾットは心に従うまま走り出していた。
「何これ……」
その頃、名前は変わり果てた姿のアジトに、呆然としていた。
蹴破られた痕のある、ドア。
割れた窓ガラス。
引っ越しのときに置いていったものはすべて、床に荒々しく転がっている。
「……ひどい」
リビング、キッチン、そしてリゾットと過ごした部屋。
電気もすでに点かず、暗闇の中で少女は歩き続ける。
恐怖は特にない。
だが、心に蔓延るのは――不安と悲しみ。
この仕打ちが組織によるもの、そうは思えなかったのである。
「一体誰が……」
思い出の部屋の扉を押し、もっともひどい惨状に目を伏せる名前。
これでは二人の形跡すらわからない。
どうすれば――青白い月明かりに、引きちぎられたカーテンへ視線を移した次の瞬間。
ゴトン
「!」
「おっと、動くなよ?」
自分とは違う足音とともに首筋に感じる鋭さ。
動かそうとした腕は、しっかりと掴み上げられている。
深紅の瞳をそろりと向ければ、ナイフを持つ二人の男。
「ひひっ、吸血鬼が自ら来てくれるとは……なんて幸運なんだろうなァ」
「いッ……!」
「来てもらうぜ? あんたは金になる……その金で≪アレ≫を買えんだからなあッ!」
――アレ、って?
紙袋のようなものを顔に被させられ、乱暴に身体を持ち上げられる。
「ッ、離して! 離してくださいッ!!」
どれほど足を動かしても、やはり相手は男。
「ったく、うるせェなあ……!」
「! ぅ……」
刹那、腹部に走る衝撃。
堕ちていく意識。
「おいおい……あんまやりすぎんなよ」
「ハッ! 吸血鬼なら治んだろ」
軽口を叩きながら、くたりとなる少女をバンの荷台へと乗せた。
しばらくして、動き出す車。
アジトから離れるそれに、大きく目を見開く男が一人。
「名前……? 名前ッ!!」
重なっていたはずの二つの視線は、もう交わらない。
to be continued...
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