uno




≪言葉≫はできる限りない方がいい。


≪恋情≫に心を囚われることは決してしない。


≪嫉妬≫を悟られることは、恥だ。



それは、どれほど憎悪を抱いても消すことのできない――オレのちっぽけなプライド。






L'estate di 2000
二度目の夏が、始まる――







コンコン、コン



「……開いているぞ」


「失礼します……」



最近、ようやく気付いたことがある。


「名前、どうした?」


「あ、えと……実は相談があって」



名前が自分の前であまり笑わなくなった。

時折微笑みはするものの、その中には寂しさが潜んでいる。

理由は嫌というほどわかっていた。


だが、彼女自身は気が付いているのだろうか。



「相談?」


「はい……あの」



言いよどむ少女。

その迷いが浮かぶ表情に、リゾットの心を占めるのは妙な不安。



――離れるな。

――傍に居てくれ。

――名前が居ないとオレは――



これだけの言葉が、確かな想いが喉を掠めるのに、なぜ≪もっとも大事なこと≫は口にできないのだろう。



「夜に、前のアジトへ行こうと思うんです」


「……アジトへ?」



想像とは違うものにひどく安心しながらも、彼の脳内を支配するのは≪なぜ≫という疑問詞。

己のいぶかしむ様子に、名前も理解したのだろう。


一歩、回転式の椅子に座る男に近付いた彼女は、おずおずと口を開いた。



「はい。気になることが、いくつかあって……」


「ソルベとジェラートのことか?」


「!」



ピクリと揺れる華奢な肩。

それを赤い瞳で捉えつつ、リゾットは淡々と言葉を紡ぎ出す。



「前に言っただろう。二人とも、この場所を把握していると」


「……」


「それに――」







「≪一年≫だ。あのときから一年が経とうとしている……名前もわかっているんじゃあないか?」


「ッ!」



冷たい物言い。

そうしなければ、仲間の死など――割り切れない。


部屋を覆う沈黙。



「……でも」



それを小さく、かつ鋭く引き裂いたのは深紅の瞳をただまっすぐに男へ向けた名前だった。

彼女を急き立てるのは、≪いまだ当時の記憶が曖昧である≫という微かな希望。



「でも……っ私、諦めきれないんです……!」


「……」


「あのときからずっと、思い出せない自分を責め続けています。どうして、って……。だから、私は……私だけでも待ちたいんです!」



その想いが、理解できないわけではない。


だが――


あらゆる情報を利用しても、発見しえない仲間の消息。

チームに首輪を科した、抗うことを許さない組織。

働けど働けど、リスクに見合わない報酬。

そして、名前との曖昧な関係。



すべてが、今はリゾットを縛る≪枷≫となってしまっていた。



「わかった」


「!」


「そんなに前のアジトを調査したいのなら……プロシュートと行ってきたらどうだ」


「……え?」



どうして、プロシュートさんが――揺らいだ美しい眼から、男がふっと視線を外す。



「あの、リゾットさん――」


「オレは忙しい」



忙しいなんて、いつものことだ。

これは、ただの≪虚勢≫。


プロシュートと居た方が名前は笑っている――そんな精一杯の強がり。




「……そう、ですよね」


「!」



振り返れば、苦笑気味の少女。

それが、彼の胸を鋭く刺す。


――なぜ、そんな風に≪笑う≫んだ。


怒っていい。

むしろ、蔑まれるべきなのに――なぜ彼女はそうしない。



「リゾットさん、忙しいのに……そうですね、プロシュートさんにお願いしてみます」


「……名前――」


「ごめんなさい。お仕事の邪魔しちゃって……いってきます」



バタン

閉ざされた扉の音とともに消える黒い背中。



「……」


伸ばした手は空を切り、ゆっくりと下ろされる。

――これで、よかったんだ。


出逢ったときから、ずっと思っていた。



「名前は、オレにとって遠い……遠すぎるんだ」


遠いからこそ強く、強く抱き寄せ、迷い、今その腕を緩めようとしている。

≪憧憬≫。

心を占めるものがその感情のみだと、割り切れたらどれほど楽なのだろう。



机に積まれた書類。

いつの間にか立ち上がっていたリゾットは、表情を変えることなく椅子へと静かに腰を下ろした。



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