窓から差し込む日の光に促されるまま閉じていた目を開くと、ぼんやりと霞みがかった視界に一面の白が映し出された。




(――どこだ、ここ)




自分の部屋ではないそれに木佐はコトリと首を傾げ、欠伸ひとつと共に目を擦ると、次第に眠っていた頭が動き出し、失われていた記憶を引っ張り上げてくる。
そうして徐々に明瞭になってきた視界、脳が告げるのは、すっかり自分の家と同じくらい訪れている部屋の存在だった。




(――あぁ、そっか。ここ、朝井さんち、だ)




そう認識すると同時、木佐の脳裏に昨夜の記憶がくるくると再生され始める。
校了終わりの昨日、疲労困憊甚だしい身体を半ば引きずるようにして木佐が向かったのは朝井宅。
別に家に帰っても良かったのだが、疲れがピークに達した身体が求めたのは何故か睡眠ではなく、朝井との触れ合いだった。
校了直前ということでしばらく編集部に軟禁状態だったから、随分と溜まっていたのもある。
けれどそれ以上に、朝井の顔が不意に見たくなったのだ。
朝井とは編集部が発酵し始める直前に会ったきり、かれこれ両手分の日数は会っていない。
その間にも何度か朝井から連絡は来ていたのだが、どれも素っ気なく返すだけに終わっていた。
それらが今更になって気になり出し、会いたくて堪らないだなんて、なんて現金な話だろうか。
我ながら情けないと思いながらも朝井に連絡を入れれば、深夜だというのにすぐ繋がり、そのまま木佐は朝井宅へと転がり込んだ。
そうすれば、身体を重ねるのは必然で、途中、これ以上は無理だと懇願しつつも快楽に弱い身体は甘く反応を繰り返し、結果、眠りに就いたのは朝方だったと思う。




(――つーか、今何時だ)




極度の疲労で混濁していた頭が随分とスッキリするくらいには長く眠っていた筈だ。
とは言え、校了翌日は休みであるから、別に仕事に遅刻するとかそういったことは無いが、とりあえず時間を確認したい。
そう思い、時計を探すべく部屋をグルリと見回すと、あることに思い至る。
――あぁ、そういえば。




(…じっくり寝室を見渡すのは初めてかも)




忙しなくキョロキョロと視線を巡らせながら、木佐は小さく笑う。
というのも。
いつもひとたび寝室に入れば、周囲を気にする余裕など与えられないまま性急に行為へと移る為、ゆっくり寝室を見渡す機会など今まで一切無かった。
ハッキリと木佐の網膜、記憶に焼き付いているのは、天井とベッド、ただそれだけ。他は、知らない。
その事実は、いかに木佐が欲に流され溺れていたかを如実に表しているようで、――気付いた途端、思わず木佐の円やかな頬が羞恥に染まった。




(〜〜っあぁもう!!
いっつも朝井さんが獣みたいにがっつくからいけないんだ!!)




そう内心叫んでは、何もかも全て朝井のせいにして、木佐はじわりと頬に集まる熱を振り払うべく頭を左右に振る。
そうして、どうせならこの機会にじっくり部屋を観察してやる!とばかりに木佐は周囲へと視線を巡らせた。



壁全面を白に塗られた室内には、必要最小限にしか物が置かれておらず、更にそれらもシンプルなデザインである為、非常にスッキリとした部屋となっている。
そんな中、窓際に置かれた、いま木佐が身体を沈めている大きめのベッドだけが異彩を放っていた。
ベッドも他の家具同様シンプルではあるのだが、そこはかとなく高級感が漂っている。
それもその筈、実際に結構な値が張ったらしい。
『奮発して購入しておいて良かった』とは朝井の弁だ。
元は、快適な睡眠を促す為に大きめの寝心地の良いベッドを購入したらしいが、今では睡眠以外での使用頻度が高くなっている。
いやむしろ、それが主となっている気がしてやまない。
というのも、見事な質感、柔軟性に富んだこのベッドは、適度に衝撃を吸収してくれる為、身体を重ねるにあたり非常に都合が良かったのだ。
しかもサイズが大きいので、行為後、ふたり揃って眠りに就くのにもちょうど良い。
ただ、高級感溢れるベッドよろしく、どんなに激しく身体を繋げてもギシギシとベッドが音を立てない為、「…何か物足りねぇ」と、木佐の身体を激しく揺すり上げながら、朝井がぶちぶちと文句を言っていた。
――なんて、そんなことまでもつらつらと思い出してしまい、木佐は慌てて、また頭を左右に振った。




(…っあぁもう、やめだ、やめ!!)




これ以上ここにいたら余計なことまで思い出してしまう。
そう思った木佐はとりあえずベッドから降りようと、足を床へとつけたところで、…はたと気付いた。




(――これ、朝井さんのパジャマだ…)




見覚えのある白と青のストライプは確かにいつだったか朝井が着ていたものだ。
思えば行為の後、失神するかのように眠りに就いたというのに身体にベタつきはなく、すっかりサッパリとしている。
――あぁ、そっか。




(…朝井さんがお風呂に入れてくれたんだ)




思い至る事実に、何故だか振り払った筈の熱が再び頬に戻るのを感じた。
別に、朝井に身体を清めて貰うのはこれが初めてではない。
行為中に意識を失うことはままあったし、そのたびに朝井は木佐を清め、服を着せ、ベッドに寝かしつけてくれている。
数なんてもはや覚えてはいないけれど、両手だけでは足りないのは確かで。
なのに、未だ慣れることはない。
――ドSなのに、優しいから、いけないんだ。
だからこんな戸惑うんだと、不意に朝井が見せる思いがけない優しさをどう受け止めるべきなのか未だ答えを出せないまま、木佐は「はぁ…」とひとつ甘さを含んだ溜息を吐いた。
そうして、視線をチラリとパジャマへ移すと、やはりというか、指先すら出ない程、袖も裾もすっぽりと木佐の身体を覆っているのが見えた。




(…つーか、朝井さんのパジャマ、デカすぎ)




袖も裾も木佐の華奢な身体には丈が有り余って仕方がない。
自分の着てきた服に着替えられたら良いのだが、行為中、ベッドサイドに投げ置いた筈のそれは何度、目を凝らしても見当たらなかった。
もしかしたら、朝井が洗濯をしてくれているのかもしれない。
あれでいて、細やかな気遣いの出来る男だから。
なんて思いつつも、このままでは流石に不便なので、身体の大きさの差異に木佐は悔しさを滲ませながら、仕方なく袖を幾重にも捲り上げた。
すると、ふと柔らかな匂いが木佐の鼻腔を掠めた。
嗅ぎ慣れたそれはパジャマから発されているようで、木佐は思わず鼻先をパジャマへと寄せ、そして。ふわりと笑んだ。
…朝井さんの匂いだ。
朝井に抱きしめられるたび、いつも感じる匂い。
それは何だかとても安堵を覚えるもので、木佐の好きな匂いでもあった。
そんな朝井の匂いに、木佐はいま、身体全体を包まれている。
その事実は木佐を何となく落ち着かなくさせた。
常ならば安堵する匂いの筈なのに、今はそれが恥ずかしくて仕方ない。




(…あぁもう、何か起きてからずっと朝井さんのことを考えてる気がする)




――きっと、久しぶりに会ったからだ。
だから、つい考えてしまうんだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そう、半ば無理矢理といった風に木佐は自身の思考に終止符を打ち、大きく伸びをした。




(――そんなことより、ごはんだ、ごはん!!)




意識を食欲へとシフトした途端、空腹を知らせる小さな音に思わず苦笑を零しながら、木佐は朝食にありつこうとリビングへと続く扉へと向かう。
その途中、姿見の前を通ったところで、ふと、覚えの無い、それこそ気を失う前には無かった筈の赤い痕が首筋にひとつ刻まれているのに気が付いた。




(…なん、で)




無理矢理押し込めた筈の思考、感情が再びじわりと木佐の内に熱を持ち始める。
今まで、痕なんてひとつも付けなかった癖に、何で、どうして。
疑問符ばかりが木佐の脳裏に浮かんでは消えていく。




(―――ちがう。
久しぶりだったから、だから、いつも以上に盛り上がっただけで、けしてそれに意味は無い、はず)




そう、気分を盛り上げる為の、戯れのひとつみたいなものだ―――
納得させるように、思い込ませるように、木佐は何度も繰り返し、そう唱える。
そして、胸の奥がツンと痛むのを感じながら、けれど気付かなかった振りをして、木佐は、痕を隠すように襟元をきゅっと握り締めた。







2011.08.10

ぐるぐる木佐さん。


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