人恋しさに

「あぁ、やっぱり来てくれた」

 井戸の中の男は笑う。
 レイシはうんと顔を近付けた後、それが漸くメルだと分かったらしかった。

「……レイシ、近眼?」
「うーん、近眼っていうか……少し、目を痛めちゃったのかな」

 多分そう言うレイシは、メルが同情に表情を歪ませたのを知らないのだろう。

「だからいつも、夜に出てくるのかい?」
「いつも、って……メル、俺が外に出てたの、知ってた?」
「足音は聞こえた」

 うーん、と唸る。
 メルにはそれが肯定のように聞こえた。

「……俺の話、しようか。大したものじゃないし、まだ話せない事もあるけど」
「本当?」

 うん、とレイシは笑いながら。
 それでもメルは、その瞳が悲しみに塗り潰されていたのは見逃さない。






 俺、あの家に閉じ込められてたんだ、と話し出したのはレイシ。



 俺が小さい頃に、ちょっとした事件があったんだ。
 そのせいで俺は、家族と離れてしまった。
 ごめんね……その時の事は、まだ悲しくて、話せないんだ。

 で、その事件から運良く逃れた俺は、母さんがいつも言っていた通りあの家に匿ってもらってたんだ。
 俺は生れつき耳が聞こえなかった。どういうわけか知らないが、兄弟も同じように目を患っていた。
 それでその治療と称して、俺はあの家の地下室に閉じ込められたんだ。
 最初はよかったよ。食事にもちゃんとありつけたし。
 地下室は暗くて湿っていたけど、暮らせない程じゃなかった。
 静かな環境で与えられた薬を飲んでいたら、俺の耳は、いつの間にか聞こえるようになっていた。
 ――でもね、途中でそこの奥さんが、死んじゃったらしくて。
 俺の所に食事が届かなくなった。
 俺は、いつかの時の為に貯めておいた食糧を食べながら、必死に脱出しようとした。
 それが……1ヶ月とか、2ヶ月続いたかな。よく生きてたよね、俺。
 ある日意識を失いかけてた時に、そこの主人が開けてくれた。
 早く逃げなさいって、息絶え絶えにね……。
 何が起きたのか分からなかったけど、この村を、死の匂いが覆っていた。
 ――て、君はずっと此処に居たなら、知ってるかな?
 家から出た俺は、目が殆ど光を感じられない事を知ったよ。
 かつての兄弟のように……俺は今度は、視覚を失ってしまうのか、と。






 そこまで話し終えると、井戸の周りには沈黙が満ちた。
 メルは、何を言うか思案しているようだった。

「結構かいつまんで話したんだけど……」

 耳は今は、よく聞こえているのだという。
 しかし光を殆ど感じられなくなってしまったのだという。
 暗い所に居た彼が、いきなり光の強い場所に出ればそれは痛めるだろう。

「……という事は、レイシが出てきたのは、最近?」
「――あ、うん。そうなるね」

 メルはやはり、非常に気の毒そうな表情をした。

「まだ、その家に住んでるのかい」
「他に行く場所がないから――でも、食べるものがなくなったら、どうしようかなって考えてるんだよね」
「そうか――」

 しかし、そう聞いたからといって、メルに何か宛てがあるわけではなかった。
 既に井戸に落ちた身――彼にしてやれる事といえば、話を聞いてやる事くらいだ。
 しかし、代わり映えのしない生活を送っていたレイシの話は、多分これからも増えはしないだろう。

「ごめんね、変な事話しちゃって……メルの話、聞きたいんだけど、今日はもう帰ろうかな」
「え? もう帰るの?」
「生きる為には手段は選んでられないからね」

 それが何を意味するのか――。
 最近の事に疎いメルでも分かる。
 止めたいが、止められない。
 メルは、レイシが生きる為に何もしてやれないから。

「じゃあ、メル。また明日」

 また来るよ、と言ってレイシはメルに背を向けた。
 ――それでも、そんな約束を口にしてくれるのなら、まだ。
 小さな想いを紡げるかもしれない、とメルは思った。















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