2人の男は

 小枝を踏む音が、足から、耳から伝わってくる。
 俺の聴力が回復したのは、一体いくつくらいの時だったろうか――
 取り戻すのは、絶望的だったのに。



 そんな事を思いながら、1人の男は走っていた。



 どこまで行っても腐臭。男は手を伸ばしながら走る。
 たまに木に躓いて転んでも、怯えて、走るのをやめる様子さえない。
 ――男は一体、どこへ向かっているのだろう?






「……ん? 井戸?」

 男は朽ちた井戸の傍で足を止める。
 じっと見つめた後――

「……水は欲しいけど、でも、こんな所で飲んだら、病気になりそうだな」

 呟いて去ろうとする。
 頼りない月明かりの下でも分かる、男の青白い肌。
 黒い髪は腰まで伸びているが、無頓着なのか毛先が不揃いである。

「帰るか――」
「こんな遅くに出歩いていたら危ないよ、お嬢さん」
「えっ……!?」

 男が踵を返した瞬間、背中に投げられる声。
 驚いて振り返ってみたものの――男の視界には、何も映らない。
 一体、何が?
 幽霊の類いを恐れない男は、井戸を覗き込んだ。
 ――しかし。

「わっ!?」

 井戸を覆った苔が手を滑らせる。
 立て直そうとしたものの、そこは既に空中。
 足も地面にはついておらず、そして――

「危ない」

 声は下から聞こえて、その瞬間、男の身体はふわりと浮いた。
 びくり、身体をすくませる暇もなく、気が付くと地面の上に両足で立っていて。

「――え?」

 井戸から出てきたのは――

「危ないところだったね」

 男に勝るとも劣らないほどの青白い肌。
 しかし漆黒の髪は丁寧に手入れされ、肌とは対称的だ。
 男は恐れも忘れ、井戸から現れた彼をじっと見つめていた。

「……お化けじゃ、ない?」
「お化け?」

 井戸から出てくる、といえば、多分にいいものではないだろう。男は首を捻る。
 しかし彼は、紛れも無く俺を助けてくれた、と。

「僕は幽霊の類いとは違うものだ――ま、それに近いかもしれないけどね」
「違うの?」
「近いけど」

 井戸の彼は繰り返した。

「僕の名前はメルヒェン。メルと呼んでくれ」
「メル――」

 刹那、男の脳裏に、或る1つの閃光がひらめいた。
 ――まさか、そんな馬鹿な。

「――俺は、レイシ」
「俺……?」
「あぁ――」

 メルは訝しげに眉をひそめる。

「こんな格好だから、分かんなかった?」
「――随分手足が細いし、華奢だから、女の子かと思った」

 あぁ、と口の中だけでレイシは呟いた。
 そもそもこれは、華奢なんじゃなくて、ただ単に異常に痩せているだけなんだがなと。

「レイシ。君は何処に住んでいるんだい?」
「そこの家」

 井戸から程近い家を指す。

「メルは――」
「見ての通り。井戸に住んでるよ」
「え――」

 井戸に、住んでいる?
 レイシは何とも言葉を返せずに、じっとメルを見ていた。

「あんまり聞きたくない事だろうね、きっと――明日、また此処に来てくれたら、話してあげる」
「え、でも、」
「またね、レイシ」

 メルは言って、井戸の中に行ってしまった。
 覗いてみても、水面が揺れるだけ。出てくる気配もない。
 ――もしかしたら、自分が落ちたら、また出てきてくれるだろうか――
 そんな事を考えるのも愚かだと思い直しレイシは静まり返った夜の森を歩いていった。
















10-12/12


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