鮮血の雪の森

「どこ行ったー……?」

 遠く離れたら分かる、とジークフリートが言っていたのは嘘だったのだろうか。それとも実は、まだそんなに離れてはいないとか?
 俺は肩を抱え、体を震わせながら歩き続ける。
 ――ここは、雪の森。

「こんな視界悪かったら、神さまだってさすがに見失うよな……」

 たまにくしゃみをして、歩く。
 インド魔宮では露出の多い神さまばかりだったから、油断していた。こんなに寒いなんて。

「エジプト砂漠はそんなに暑くなかったのにな……何で寒さは如実に感じるんだ……」

 だからといって、暑さを感じたいわけでもないのだが――

「うわっ!?」

 氷で滑り、勢いよく尻もちをついた。
 非常に痛い。氷が硬い。
 冷たい、痛いで早く起き上がりたかったが、かじかむ手足はなかなかいう事を聞いてくれなかった。

「お願い、動け――ん?」

 心なしか、遠くから狼の唸り声のようなものが聞こえる。

「嘘――」

 俺たちは雪の森に辿り着いて早々別れた、だからここについての情報は何も聞いていない。
 だからどれが魔神で、どれが解放石を持っているのか、分からなかったが――

「――魔神っ!」

 さすがにこの大きな狼は、魔神だろうと推測できた。

「寒い! くそっ、どうしよう!」

 狼は俺の臭いを追い、あっという間に迫ってくる。逃げられない。
 仕方ない、戦うか、あの剣の出番だなと思って手を背中にやると――

「――無い!?」

 背中には何も無かった、確かに元々それ程重量を感じる武器ではなかったが、一体どこに置いてきたのだというのだろう。日本神社を出るときは、確かに担いでいた筈だ。
 少なくとも俺にとっては重くない剣だったが、あの大きさは少々邪魔だ。置き忘れるような物でもないだろうし……。
 ……ということは、消えたのだろうか。

「まさか持ち主の許に戻ったのか!? このタイミングで!」

 狼の攻撃を何とか避け、立ち上がった俺は走り出した。だが殆ど走れていない。もう氷の上で転ぶのは怖い。
 だがあの一撃を食らえば瀕死は免れない。それ程までに、鋭い爪だ。

「うわわっ!」

 案の定、転ぶ。慣れない道を走るのはよくない。急がば回れというではないか。
 パニックすぎて後半はよく分からなかったが、とりあえず俺は二度目の死を覚悟して、目を強く閉じた。

「ギャウッ!」

 だが鳴いたのは、狼の方だった。肉を抉るような音がして、風を切る音がする。

「――剣!」

 名前はまだない。
 だがまた助けに来てくれた。

「……っ、待て狼っ! お前が解放石持ってるんだろ!」

 狼は血を零しながら逃げていく。俺は、地面に垂直に刺さっていた剣を引き抜き、その後を追いかける。
 心なしか、滑らない気がする。転ばなくなった。追う方は楽だ。
 過去に命を奪った時の恐ろしさも忘れ、俺はただ追った。

「解放石ーっ!」

 剣を振り上げ、追いかけた。
 血を流しているとはとても思えない速度で狼は逃げる。逃げる。
 俺は追う。いつの間にか、断崖絶壁まで来ていた。

「ふふふ……もう逃げられないぞ? 大人しく解放石を渡せ! そしたら命だけは助けてや――」

 ――え?

「ぐっ……!」

 狼はくるりとこちらを振り返ると、一気に跳びかかってきた。
 窮鼠猫を噛むとは、このことか。
 俺は何とか剣で直撃を避けるが、大分吹っ飛ばされ、また氷に身体を打ち付けてしまった。

「っ……」

 痛みで声も出ない。寒さは痛覚を鈍くさせると聞いたのだが、嘘だったのだろうか。
 狼が跳びかかってくる、そうか、今度こそおしまいか。
 狼の喉から溢れる鮮血が、白い雪に映えて綺麗だな、なんて思ってしまった。

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