宿命としか思えない皮肉 |
俺は、昔から料理が苦手だった。 料理を作ったのはいつも澪で、俺は掃除や洗濯の方が多かった。 ……いや、自炊はする。しなきゃいけない事だから。 でもそうできるのは一人暮らしだったからで、こう、誰かと一緒に暮らすとなると、事情はまた違う。 「じゃあ行ってくるからな」 「うん」 「……あのよ、零」 「ん?」 行ってらっしゃい、といつも通り手を振ろうとすると、静雄は言い辛そうに言い澱む。 「……別に、無理して料理しなくてもいいんだからな」 「え?」 「じゃ、行ってくる」 行ってらっしゃいの言葉は変に抜けた感じになってしまった。 ――今更、彼は何を言っているんだろうか。 俺が料理をしないのは知っている筈なのに。 「……まさか……」 今日が、バレンタインだと知っての所業だろうか。 ――だとしたら。 「俺に作れと……?」 わざわざ念を押すという事だ、駆け引きのできない静雄はきっと、本当に要らないと思っているのだろう。 それは、俺が怪我をするのが嫌なのか、それとも俺の料理を食べるのを恐れてか。 ……多分、というか確実に後者だろう。 「――いや、まさか、ね」 俺だってわざわざ危ない橋を渡るつもりはない。 料理が苦手なのは自覚済みだし、チョコを溶かして固めるという作業さえ上手くいくかどうか怪しい。 ――しかし。 「やらないなんて誰が言った!」 俺は悩み抜いた揚句諦めるタイプではなく、開き直るタイプだった。 「……何でだよ……」 何で今日に限って澪が見当たらないんだ。まさか誰かの謀略か? ――有り得そうで、嫌だった。しかも犯人予測付きの。 「チョコの作り方、教えてもらおうと思ったのに」 携帯は圏外。ってか多分、電源を切っているだけだと思われ。 家に行ってみたが勿論開かない。扉を壊して入ってみたけど誰も居ない。 職業を活かして都内の臨也の全ての家、ラブホを当たってみたが、全部外れ。 ……もしかしたら、国外に逃亡されたかもしれない。 「これは、俺が頑張るしかないのか?」 そもそもチョコの作り方自体は知ってるから、やらせようと思っただけだったけどね! 「……仕方ない」 あっさり諦めて、とりあえず材料を買おうとスーパーに向かった。 そもそも何故俺が、手作りにしようと思ったか。 それはつまり、料理ができない奴だと思われるのが嫌だったわけで。 確かに料理が苦手なのは認める、しかしやればできるんだというのを主張したかった。 「……あれ……?」 結局、チョコ作りに取り掛かったのは昼過ぎ。 今に静雄が帰ってきやしないかと焦る。 「何だこれ、何で溶けないんだ」 ぐにぐにとゴムべらでチョコをボウルに押し付ける。 何なんだ、食べ物って。これだからデリケートなものは嫌いなんだ。 ……いや、確かにパソコンも、デリケートだけれども。 「……あ、溶けてきてる」 硬かった板チョコは、少しずつ柔らかくなってきていた。 嗚呼、世の中の女の子はこうして奮闘しているんだな――と思った矢先。 「ただいま」 「――ッ!?」 扉の開く音と、声。 何でいきなり帰ってきてるんだよ! 早く隠さなければ、とチョコを冷蔵庫の方に持っていこうとすると、 ――足がもつれた。 「……っぎゃあ!」 「!? 零、どうした!?」 「いやっ、来んなっ!」 ……しかし、時既に遅し。 あんな盛大に叫んでおいて来るななんてそれこそ酷な話である。 「……お前、何して、」 「だ、から、来んなって言ったのに……」 客観的には見えないから分からないけれど、多分今の俺は見るも無惨な格好をしているだろう。 「――何でそうなったんだよ?」 俺は今、前のめりに転んだ格好になっている。 湯煎で溶かすところだったため、程よく溶けたチョコと、程よく温くなったお湯がそれぞれボウルに入っていた。 ……それを、ぶちまけた。 チョコとお湯が俺の全身にかかった感じと思ってくれればいい。 「それは勿論、この聖なる日に企業戦略に乗ってやろうかと――」 「そうじゃなくて」 ボウルだけはしっかり掴んでいる俺の手首を掴み、静雄は俺を起こす。 「何でそんな――あぁ、もう」 「は? 何――んぅ」 唇を舐められた。 ――『キス』ではなく、『舐められた』と形容したのは、静雄のそれがチョコを舐めとるようなものだったから。 ……勿論、そこにチョコの感触はしなかった、んだけど。 「な、にすん……」 「火傷は?」 「――してない」 お湯はもうとっくに温かったから、と小さく呟く。 「これは、風呂入った方がいいな」 「ん……って、ぎゃああ!」 躓いた時と同種の叫び声を上げてしまった。 「だからっ、静雄、お前いきなり何するんだよ!」 「そんな格好でうろつかれても困る」 「だからって、裸もまずいだろ!」 そもそも湯が沸いているのかどうか。 流石にそのまま裸を見せ付けるのはまずいので、身体に腕を巻き付け睨み付ける。 「馬鹿……お前、本当に馬鹿だ」 「お前、澪士と似てないんだな、双子なのに」 「……何だよ、いきなり」 確かに俺がこんなに叫んだ事はあまりないし、澪と静雄が特に懇意だったという話は聞いた事がない。 「俺と澪は、流石双子ってくらい似てるよ。本人が言ってるんだから信じろ」 「って言われてもな……」 「臨也と2人きりなら、多分、澪もこんな風に叫ぶよ」 ……いや、叫ぶかどうかは不明だけど。 俺も澪も、他人が居ると随分猫を被っているみたいになる。 「てか、それより……」 俺はこんな事をしている場合ではなかった。 さっと踵を返し風呂場の方に向かってゆく。 「……って」 思いっきり水じゃん。 後ろから着いてきた静雄にも聞こえるように叫んだ。 「仕方ない、焚き直し――って、お前、何して!?」 「どうせ入るんだったら、新しく沸かした方がいいだろ?」 「要らない! そんな気遣い要らないから!」 嬉しくない、と叫ぶ内に、風呂の水はどんどん排水溝に吸い込まれていく。 何という事だ……これでは。 「時間かか――って、静雄……?」 「寒いだろ?」 泣きそうになりながらバスタブを見つめていると、静雄はその隣で表情を歪めた。 確かに今は、れっきとした冬だ。暦の上では春とか信じられない。 でも、え、ちょ、ま、まさか―― 「ちょ、ストップ!」 そんなバレンタインは嫌だったりする! (……静雄、チョコ) (あぁ?) (作ってあげられなかったから……代わりにこれ) (何だよ?) (俺の持てる限りの力を全て駆使して手に入れた最高級のチョコレート) (…………) (……最初からこうすればよかったな) ハッピーバレンタイン! 前頁│次頁 |