――ことはなかった。
「あースシでよかった……ハンター試験って意外とアレだね……精神的にクる試験だよね」
「ギタラクルには教えなくていいのかな◆」
「ん? うーん……ぎーちゃんなら大丈夫だよ、きっと」
俺は、もう終わった試験の課題をせっせと作り続ける。周りに見えないように、ひーちゃんが殺気出しまくりだ。
ていうか、ぎーちゃんの“スシ”があてずっぽう過ぎて面白い。生魚にご飯巻いたとか、俺なら絶対食べたくない。
何でみんな考えないのかなぁ、刺身って食べたことないのかな。
「それにしても……カナが知っててくれて、助かったよ◆」
「礼は要らないよ? さんざんひーちゃんに頼ったからね、そのお礼」
「……じゃあ、お言葉に甘えて◆」
ひーちゃんの殺気が一瞬緩む。俺が無理矢理口に突っ込んだスシを味わっているらしい。
「どう? 美味しいでしょ」
「……まさか、ご飯の上に刺身を載せるなんてね……◆それぞれ単体なら食べたことあるのに◆」
「それが料理の奥深いところ、っていうかジャポンの人の素晴らしさだよね」
「で、カナちゃんはどうしてまだスシを作っているのかな?」
「決まってるじゃん」
心底不思議そうな顔をして聞かれた理由が、俺にもよく分からない。
ひーちゃんて性格悪そうなのに、実はそうでもないのかな。
「早く試験官満腹にしたら、早く審査終わるじゃん?」
俺たち以外に合格者ナシで、と笑うと、ひーちゃんも漸くあの意地悪い笑みを浮かべた。
「はい、二次試験終了!」
女の方の試験官の非情な言葉により、二次試験官は強制終了。
その間、スシの作り方はバレてしまったが、俺たち以外に1人も合格者は出ていない。
いつの間にか、“スシ”を推察する能力を測る試験から、料理の腕を競う試験になっていた。
これでは合格できなかった人たちが何となく不憫である。いーちゃん含め。
「二次試験後半の料理審査、合格者は2人!」
試験官がそう言うと、一斉に敵意を向けられるのが分かり、俺は思わずひーちゃんの後ろに隠れる。これで本当に試験終わりかよ、とか聞こえた。
……何だよ、スシの形は分かったのに、ちゃんと再現できないそっちが悪いんだろ。ばーか。
ドゴオォン!
「!?」
「納得いかねェな」
突然の音に俺が驚いたのがバレたのか、俺の肩に置かれたひーちゃんの手に力がこもった。
あいつ――今、試験官に喧嘩を売ろうとしている255番は、さっきまで俺たちに強い敵意を向けていた人の1人だ。
……勿論、一番強い敵意はぎーちゃんからのものだったけれど。むしろ殺意だったけど。
「美食ハンターごときに合否を決められたくねーな!」
「それは残念だったわね」
「何ィ!?」
あ、やばい。
255番、キレる。
「ふざけんじゃねェー!」
そう言った瞬間。
俺は痛いのが怖いから目をつむっていたが、人が張り飛ばされたような音と、ガラスが割れるような音が聞こえた。
ひーちゃんの高ぶりを感じる。そんなに面白いことだったのだろうか。
女の試験官の声がする。
「笑わせるわ! あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!」
『それにしても、合格者2人はちとキビシすぎやせんか?』
「!」
スピーカーを通したような声。飛行船が近づく音。
慌てて皆に続いて外に出ると、そこには審査委員会の飛行船が。
生で見るのは初めてだったので、俺は思わずすげぇと呟いてしまった。
「カナ、地が出てるよ◆」
「え、あ、ほんと? ごめん」
「メンチくん、君は自分でも審査不十分だとわかっとるわけだな?」
「……はい」
料理のこととなると我を忘れる、と彼女は続けた。審査員失格だとも。
確かに彼女は試験官には向かないかもしれないが――でも、そういう何かを持つのは、大事だと思う。
彼女はきっと、今まで料理に命を懸けてきたのだろう。
「私は審査員を降りますので、試験は無効にしてください」
「ふむ……よし! ではこうしよう」
高い所にいた飛行船から飛び下りて、尚無事なじいさんが言う。相当な権力者らしい。
というか、相当な手だれであることはよく分かる。
「審査員は続行してもらう。そのかわり、新しいテストには、審査員の君にも実演という形で参加してもらう」
「!」
そうか、成る程。それなら合否にも納得がいくだろう。
じいさんはなかなかキレ者だ。きっとこれで255番も満足だな。
「そうですね。それじゃ――ゆで卵」
女の試験官の言葉に、会場が変な空気に包まれた。……うん、確かに、ゆで卵って。
俺はひーちゃんを見上げる。ひーちゃんは相変わらず笑っていた。
楽しそう……というよりは、なんか不気味。怖い。
「会長、私たちをあの山まで連れていってもらえませんか?」
「なるほど、勿論いいとも」
会長――そうか、あのじいさんは審査委員会の会長か、どうりで――は二つ返事で試験官の言葉を聞き入れ、俺たちを飛行船に乗せる。
飛行はあっという間で、残念ながら船内を探索する時間はなかった。
「着いたわよ」
試験官は靴と靴下を脱ぎながら言う。……ん? 何してんの?
「それじゃお先に」
「え!?」
言うなり彼女は深い谷に落ちていく。……俺なんか、覗くのも怖くてひーちゃんの服の端を握っているというのに。
どんな度胸なのだろう。それだけの勇気と覚悟、また運がなければハンターにはなれないということなのだろうが。
「マフタツ山に生息するクモワシ――その卵をとりに行ったのじゃよ」
いつの間にか俺たちのほぼ背後に来ていた会長は言う。びっくりすぎて手を離すところだった。
「え? でも――戻ってくるの、大変じゃありません? 卵を持っているんでしょう?」
「この谷は、強い上昇気流が吹いている」
俺の疑問に、会長は丁寧に答えてくれる。
谷をよく覗き込むと、成る程、時折強い風が吹いているのが分かった。
「その上昇気流に乗れば、帰ってくるのは簡単じゃよ。ほら」
「あ、ほんとだ。……でも」
無事に戻ってきた試験官は、手に1つの卵を持っている。
「上昇気流って、いつも吹いているわけじゃないんですね」
俺が言うと、会長はただ笑ってみせただけだった。
「……ひーちゃん、行く?」
「ボクは行かないよ◆カナちゃんこそ、行くのかい?」
「……だってゆで卵、美味しそうだから」
クモワシの卵は、市販の卵と全く違うという試験官の言葉が聞こえていた。
美味なら行くしかない! やるしかない!
幸い、こんなのは怖いだけで、死ぬ可能性などかなり低いのだから。
「行ってくるねひーちゃん! いざとなったらぎーちゃんが助けてくれるから、ガムは要らないよ!」
「……もう、あの子は◆」
ひーちゃんが最後、何を言ったのかは、俺には聞こえなかった。
俺はもう谷へ飛び下りていた。クモワシの卵が吊されている糸に無事掴まる。
卵を2つむしり取ると、上昇気流の到来を待った。
「……よし!」
俺が上昇気流に乗って上に戻ってくるのと同じタイミングで、ゴンやキルア君が下りていく。ゴンは特に、非常に楽しそうな顔をしていた。
……うん、確かに彼は、いいハンターになる。ひーちゃんが認めたのも分かるよ。
「はい、試験官さん、これ茹でて!」
「……あんた、さっきの試験で合格したじゃない」
「だって、それじゃ満足してなさそうな人いたし――」
ちらりと255番を見る。彼に、飛び下りる勇気はないようだった。
「どうしても、ゆで卵食べたいなって思って!」
「あー、はいはい……で、何で2つ?」
「んーと、自分と、友達の分!」
「友達?」
試験官が変な顔をしていたので、俺がひーちゃんの方に目を遣ると、試験官はあぁと小さく言った。……ひーちゃんはやっぱり認識してもらえてたか。
「あいつもさっき合格した奴ね。ま、いいわ、ちゃんとあんたが自分で採ってきたんだし」
「えへへ」
「ほら、市販のゆで卵あげる」
半熟で、と言うと、試験官は完璧に注文通りに仕上げてくれた。流石美食ハンター。
4つのゆで卵を座っているひーちゃんの許に持っていくと、何故かひーちゃんは、あまり楽しくなさそうな顔をしていた。
「……ん? ひーちゃん、どうしたの?」
「カナちゃんが随分猫被ってるなと思ってさ◆……それより、ギタラクル」
「ん?」
言われて気配を探ってみると、……確かに。
ぎーちゃんは苛々していた。いやぎーちゃんならまだいい。いーちゃんが苛々するのは怖い。
多分、俺たちだけがスシを完璧に作り、卵を取りに行かなくてもいいという優越感を覚えているのを、怒っているのだろう。
「ぎーちゃんが悪いのにさぁ……そんなに怒らなくてもいいよね、ひーちゃん」
「……ボクはギタラクルの気持ち、分かるけどね」
「ん?」
ひーちゃんは卵をかじりながら呟いた。
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