暫く歩く。いや、暫くというか、もうどれだけ歩いたのか、途中から分からなくなっていた。
しかし、ひーちゃんの歩調に合わせる。別に疲れているわけではないし、苦でもない。
「カナちゃんは、ここで待ってて◆」
「え? 何で」
「いいから◆」
突然ひーちゃんが止まり、俺は背中にぶつかる。何と聞くとそんな風に返された。
それと絶、と言われ慌てて気配を消す。……今更遅いよな。俺、念得意じゃないし。
突然消えたら驚くんじゃないか、と思いながら、俺はそっと壁に背中を預けた。
「ボクが良いって言うまで、入ってこないで◆」
「あ、うん」
「見るのもダメだから◆」
――嫌な予感しかしなかった。
俺は手を握りしめ、小さく頷く。返事など返せるわけもなく。
何が起こるか分からないけれど、俺の嫌いなことだろう。そして――もしかしたら、ひーちゃんを失ってしまうかもしれない程の。
守りながら戦うのは難しいから、守れる自信がないから、ひーちゃんは俺にここに居てと言っている。
「それじゃあ、行ってくるよ◆」
送り出す言葉すら言えず、俺は黙ったまま頷いた。
「待ってたぜ、ヒソカ」
ひーちゃんが押し開けた扉は閉まらず、中からの声はもろに聞こえるようになっていた。
俺は、呼吸を押し殺す。どうか、先程までの会話が聞こえていませんように。
「今年は試験官ではなく、ただの復讐者としてな」
男の声が聞こえる。俺は泣きそうだった。――相手は、ひーちゃんに怨みを持つ奴なのか。
怨み、憎しみ、怒りは大きな力を生む、負の感情ゆえに。
だからこそ俺は、ひーちゃんの危なっかしい生き方が嫌いだった。誰からも嫌われ、疎まれようとする、その生き方が。
(……でも、俺は、だから好きになったんだ)
「このキズの恨み……今日こそ晴らす!」
ギュンという音、風を切る音。
一体、ひーちゃんがどんな危険に晒されているのか――見たかったが、それはひーちゃんに隙を与え、弱点を見せる行為なので、何とか抑えた。
俺は、ひーちゃんの足手まといになってはいけない。
俺は、自分の足で着いていくと決めたから。
「ふーん……その割には、あまり進歩してないね◆」
「くくく……これからだ!」
(……あ、思い出した)
確か、去年。俺は実際に会ったわけではないが、去年もハンター試験を受けたひーちゃんは言っていた。曲刀を使う変な男がいたと。
ひーちゃんは適当にあしらい、傷をつけて、生きて逃がした。そんなことは珍しい。まぁ試験だから生かすのは当然のことかもしれないが。
どうせ失格だったのだ、殺せばよかったとまでは思わないが、記憶に妙に残っているのはそういう理由らしい。
(きっと、ひーちゃんのことだから、その男には飽いている)
「無限四刀流!」
(今回は、愉しまずに終わるだろう)
戦闘マニア――戦闘狂のひーちゃんは、戦いにおいて、つまらないことが大嫌いだった。
洗練されていないそれも。粗野で且つ、才能を感じられない時も。
ひーちゃんは気まぐれに人を殺す。まるで、人間は無限に生成される玩具であるかのように。
(俺のことも……そう思ってる? ひーちゃん)
「あらゆる角度から無数の刃が貴様を切り刻む! 苦痛にもがいてのたうちまわれ!」
ザシュ、と肉を切るような音がしても、俺の心臓は意外と騒がなかった。もしかすると、無意識の内に覚悟していたのかもしれない。
今切られたのは多分ひーちゃんの方だが、楽しんでいることが想像されて。
「そして死ね!」
「確かに避けるのは難しそう◆なら、止めちゃえばいいんだよね――◆」
「!?」
ひーちゃんの愉快そうな声。……ああ、よかった、今は愉しんでいるようだ。
男が息を呑む。大方、曲刀をひーちゃんに受け止められ、挫折と絶望を味わっているのだろう。
ひーちゃんは器用だから、何でも出来る。本人は「奇術師だから」と言って憚らないが。
俺は耳を塞ぐ。きっと、聞きたくもない音と声が聞こえるだろう。
「くそォォォー……!」
それでも、男の断末魔だけはよく聞こえて、途切れたその声が俺の耳にいつまでもこびりついていた。
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