或る青年と芸術家の噺

「彼は結局...幸せだったのか...と問われると...私は答えられないだろうけど...それでも...傍観者であった私には...心底...羨ましかった...」

 限りなく小さな世界を覗いて。

「嗚呼...私にはどうして...彼を...」

 限りなく平和な世界を除いて。

「ごめんなさい...叶わない望みを...あなた達に...託したのね...」

 それは無意識だった。
 しかし大好きだった。
 それを幸せな箱庭だと思い、麗らかな物語と綴った。

「次こそは...幸せに...」

 そう願わずにはいられない。
 誰も“不幸”など望みはしないから。

「あなたが...寂しくないように...」

 窓辺に佇む“彼”への物語。



















 或る晴れた日のこと。
 いつものように洗濯物を干していると人の寄り付かないこの地に、人影があった。

「……?」

 ここは辺境の地。気難しいことで知られる芸術家の住んでいた場所。
 彼が死んだことくらいはとうに伝わっているだろうが、それでも自ら望んで此処を訪れる者などいないに等しい。……それとも迷子だろうか?
 ゆっくりと歩を進めるその青年の存在自体が珍しかったので、俺は不躾に見つめてしまった。
 ――その青年が、俺の前で漸く止まるまで。

「何か……?」
「ここは、Auguste Laurantのアトリエか?」
「――、」

 青年が問う。俺は口をつぐむ。
 そう――まぁ、そうだ。あの中で先生はまだ生き続けている。
 俺にとっては。

「……随分昔にお亡くなりになりましたが」

 もう10年くらい前の話だろうか。正確な日付は覚えていない。
 だんだん彼を忘れていってしまうようで、途中で怖くなって数えるのを辞めたのだ。

「……そうか……やっぱり、死んだっていうのは本当だったんだな」
「え?」

 ぽつりと呟かれた言葉が上手く拾えず俺は聞き返す。

「で、お前が……忘れ形見か」
「いや、俺は違う……でも、もしかしてあなたは、」
「そうだ」

 少しも迷う様子は無い。
 躊躇いもなく続ける。

「お前が愛を享けたせいで俺は殺されかけ、修道院に預けられた。修道院を出られる年齢になったから出てみたら、彼はもう死んでいる――おかしいだろう」
「違う、俺はそんな事!」
「だったらこの手紙は何だ!」

 たたき付けられる手紙。――見覚えのある白い封筒。
 激昂した表情は似ているのだと、俺は妙に冷静に思った。

「何――コレ」

 俺が聞いても彼は何も答えない。
 地面に投げ捨てられたその手紙を、拾って読めという事なのだろう。
 その白い封筒は、確かに“彼”が宛てた物だと思った。

「……先生からだ」

 封筒に目を落としたまま確信を持ってそう言うと、彼は一層憎悪を深めたような気がした。

「何で分かるんだよ」
「だって……同じ封筒だし」
「同じ? 他にもあったって事か?」

 彼は悔しそうに、悲しそうにそう言い捨てる。

「なのに、あの人は……俺には1つも遺してくれなかったっていうのか……」
「え……? それって、どういう」
「そんなのおかしい」

 彼は先程落としたばかりの封筒を自分で拾い上げると、その場でびりびりと破り棄てた。

「な、」
「あの人を許したと思ってたけど、そうじゃなかった。……俺は、あの人を赦してなんかいなかったんだ」

 彼の瞳は鋭く俺を射抜く。
 そしてそれは、本当に――実に不本意なことであったけれども、そんな彼の目は先生によく似ていた。
 ただの錯覚な筈なのに、俺の胸が苦しくなるほどに。
(だって、俺はそんな表情を知るほど先生と長くは居ない。)

「狡い。あの人は俺から全てを奪った」
「何」
「世界は俺に、何1つ残しやしなかった」

 彼から世界を奪ったのも、また同義。
 この親子は未だに、互いを恨み続けている。
 ……いきなり掴まれた手首に食い込む指が痛い。

「だから俺があの人のものを奪ったってそれは当然であり、必然だ」
「何言って……?」
「敬愛する人が死んでも尚、安楽を得られないのに」
「……!」

 真っ直ぐ見つめられ、閉口。
 ――今彼は、確実に俺のことを責めている。

「俺は産まれた時から様々なものを奪われ続けた」

 大事なもの……大切な人……
 彼にとっての「戦い」は、多分彼が産まれた時から始まっていた。

「俺は芸術家じゃない。そんなエゴなど持ち合わせてはいないが……奪われたものは、奪い返す」
「わ、」
「お前があいつの代わりに責任を取れ」

 人を抱き寄せておいて、随分と無茶苦茶な人だ。初対面だという事を忘れているのだろうか?
 彼に宛てた手紙に、先生が何と綴ったのか、それは俺の知るところではない。
 だからこそ――顎を持ち上げられ、至近距離で彼を見つめた時に思ったのだ。

「――、」

 彼らはやはり親子で、違いようのないくらい似ているのだと。













 運命はいずれの日にか変わる。
 病の進行を覚えなくなった俺は“彼”の息子と出会い、赦してしまった。
 彼が名前を呼んでくれていたならこんな感じだったのかな、なんて。
 戻れない時に重ねる事が多いけれど。



 俺は“彼”と、確かにそう在るように望んでいたのだろう。

















(窓辺に佇む)
(二対の人形)

11-5/25
これにて完結です!
多分あまり「オーギュスト」+「男主」ってないんじゃないかなと思ってます。
ローランサン好きなところがちょっと出てしまったかもしれませんが…
何はともあれ、完結できてよかったというのが大きな感想です。
気が向いたら番外編を書くかもしれませんが…

ありがとうございました!






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