(いなくならずに済んだの?)
唇を噛む。――電車の時間まであと少し。
昨日出立の電車の時間を聞いてきたのはやはり気まぐれで、特に何の意味もなかったんだ。
そう言い聞かせて、俯く。
また、周りには、通勤客が多い事も心を傷付ける原因となった。
幸せな生活を築き、今日も全く変わらない生活を歩むであろう人々の中で、俺は。
……新しい生活を、やり直そうとしている。
「……馬鹿だ」
これだから、普通電車は嫌なんだ。やっぱりどうあっても特急の券を買うべきだった。
これは、言うなれば俺の「新たな旅立ち」だ。少し恥ずかしいけど、そんな感じ。
安く済ませようという気は微塵も無いけど。
「……特急だったら、言い訳もできないのにな」
ホームで待つ、この時間が息苦しい。だんだん、自分が何を待っているのか判らなくなってくる。
俺は、電車を待っている。筈だ。
彼を待っているのなら、そっとこの列を離れればいい。
(――そんなわけない)
来てほしいだなんて、少しも思っちゃいない。そうだ。
手が震えるのは、このスーツケースが通勤客の邪魔にならないか心配だから。
(……俺、馬鹿だろ)
電車の到着を告げるアナウンスが聞こえた。下らない想像は全て瓦解する。
昨夜電話をかけたのは、俺じゃない。……向こうからだ。
俺が無理矢理取り付けた約束じゃないんだから、別に来なくたって怒りはしない。
……心配は、少しだけするけど。
(約束、破らないひとなのに)
携帯を握り締めていた。震えるのを待つように。
でも、鳴らない。そんな淡い期待は裏切られて当然。
電車がなにもかもを消し去る轟音を立てて、いつものようにホームに入ってきた。
(……あとでメールくらい、してあげようかな)
そう思って、気付いた。ドアが開いて、沢山の人が下りてきた瞬間だった。
――もう、彼らのアドレスは全て消してしまっていたのだと。
(アドレス帳に入ってる番号以外鳴らないようにしてるから、鳴るわけない)
着信拒否。慌てて携帯を開く。
並ぶ着信件数。どれも同じ番号で泣きそうになる。
かけ直そうとして、留まった。
(――通話禁止)
こんなに切ない気持ちでも、マナーはやっぱりマナーだから。守らなきゃいけない。
メールアドレスは流石に覚えてない。今すぐ連絡を取りたいのに、その術が無い。
人の波に押されて俺は電車に乗り込む。ドアに張り付いて立った。
「――あ」
あと10秒。――いや、5秒でも早かったら。
俺の声は彼に届いていたかもしれない。のに。
彼は気付かない。俺を捜している。もう乗っている事に、気付いていない。
閉まったドアの向こうに届くなら。俺は大声を上げていただろう。
代わりに、俺は携帯を開いた。
彼が電話を掛けている最中だった。
マナー違反カッコワルイ、でも今だけごめんなさい。
通話ボタンを押し、俺はたった一言だけ声を吹き込む。
「愛してたよ」
この喧騒の中で、彼までちゃんと伝わっているかは甚だ疑問だった。
占いサイトの広告文句「もしふたりが、あと1日と2時間早く出会っていたなら全く違う運命だった」を見て(笑)
インスピがそんなところから来たのでかなり謎でした。