白と黒と焔の悪魔 | ナノ
「馬、返せって、どうしたらいいの」
「オ前ガ降リテ引イテ行ケバイイ」
「いや、だから、俺は捻挫してるから馬に乗ってるんだけど!」
イスハークに疑われかねないんだが……。
「どうしても返したいって言うならシャイターンが引いてよ」
「アンナ奴ト顔ヲ合ワセル事ヲ考エタダケデ虫酸ガ走ル」
「そんなに!?」
シャイターンの機嫌は悪い。イスハークが嫌いなんだろうか。
いや、そうとしか考えられない。……理由は分からないけれど。
「ねぇ……シャイターン、何がそんなに嫌なわけ。イスハーク将軍は良い人でしょう、足をくじいた俺を見捨てたシャイターンとは違って」
反省はしているのか、シャイターンの表情が申し訳なさそうなものになる。
「……我ハアイツガ嫌イダ」
「やっぱり?」
「レイシニ気ガアルヨウニ見エテ仕方ナイ」
「……何だって?」
聞き間違い……か? いや、そうとしか考えられない。
シャイターンの事だから、ついうっかり思いもしない事を口走ってしまったのだろう。
多分――
「アイツハ多分オ前ノコトガ好キダ。……イヤ、絶対」
「は!?」
びっくりし過ぎて馬を驚かせてしまった。
「ちょ、ちょっと……何を言ってるのかいまいち理解し難いけど、とりあえず俺を下ろしてくれる?」
「分カッタ」
シャイターンは馬を手早く宥めると、俺に向かって手を広げる。
そうして下ろしてくれたのはいいのだが……、
「……あの、下ろしてくれる?」
切り株がそこに在るのだから、そこに下ろしてくれればいいのに。
シャイターンは黙っている、俺を抱き上げたまま。
ちなみに何を思ったか、俺を姫抱きにしやがっている。
「あの、シャイターン……?」
近くの瞳を覗き込む。燃えるようなそれと目が合った。
思わず心臓が跳ねる。……何でだろう?
「――モウ、ドコニモ行カセナイ」
「え……?」
「オ前ハイスハークダケデハナク、ラミレスニモ好カレテイル。ソンナ奴ノ所ニオ前ヲ行カセタクハナイ」
「いや、何言ってるの」
ラミレスとはたった一瞬出会っただけだ。それなのに、好きも嫌いもあるだろうか?
馬鹿みたいだった。シャイターンが何をそんなに気にしているのか分からない。
「ねぇ、シャイターン、ちょっと申し訳ない事を言っちゃうみたいだけど……」
「何ダ?」
「俺たち、これからもずっと永い時を生きるんだよ。こんな事なんて、きっと沢山あるんじゃないの」
誰かに好かれたり、誰かを好いたり――いや、後者はないか。
シャイターンはきっと分かっているだろう。俺より長く生きているのだ。
「我ハ、歴史ノ表舞台ニ立ツトイウ事トガナカッタ。ダカラ、イウナレバオ前ニ出会エタ事モ偶然ナノダ」
“偶然”?
本当に、そうだろうか。
「……あ、そう」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「ダカラ、我ハ」
「だったらやっぱり、俺が馬を引いて行くよ。今すぐに返してくるから、早く下ろして」
「レイシ?」
シャイターンの肩を押す。それくらいで拘束は解けないと知っていても。
でも、そうせずにはいられなかった。“偶然”――だって?
「何ヲ怒ッテイル、レイシ」
「怒ってなんかないよ」
嘘ダ、とシャイターンは詰る。でもそれは嘘じゃない。
怒っている、わけじゃない。
何だか寂しくて、悲しいのだ。
「……偶然、ナンテ言ッタカラカ」
俺たちの出会いはただの偶然だったのか、果たして。
必然、運命だと信じていたのは所詮俺の願望に過ぎないのか。
「そりゃあ、シャイターンにとっては偶然かもしれないけど! 俺たちが育てた出会いだから――そんな風には思いたくない!」
つい大声を出してしまう。
「イスハークとか、ラミレスが俺を好きとか……そんなの有り得ないし、どうだっていいよ。今、一番傍に居るのは俺で、シャイターンなんだから。……それじゃ駄目なの?」
誰が誰を想う、とか。
人間であった時さえ、俺にそんな経験はなかった。
――今は少しだけ、“人間”への恋慕を覚えているけれど。
「……レイシ」
仕方のない事だ。生きている以上は。
齟齬はあるし、反故もある。解り合えない事の方が多いだろう。
これだけ近くに居ても、言葉にしなきゃ分からない事もある。
「我ガ悪カッタ。レイシ、ダカラソンナニ怒ルナ」
「シャイターン……」
「馬ハ我ガ引イテイコウ。今スグニ返シニ行クンダ」
「えっ、今?」
「アァ」
シャイターンは言うと、俺を馬に乗せて歩き出した。
馬は素直に着いていく。……それは畏怖か意志か。
「……別に、今じゃなくてもいいと思うんだけどな」
でも結局シャイターンには聞こえないので、俺は空を仰いで呟いた。
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