白と黒と焔の悪魔 | ナノ
結局足首はただの捻挫だった。
そして――ただの捻挫だったにも関わらず、俺は街の診療所まで連れて行かれた。
「何ともなくてよかったな」
「は……はい」
全てが終わったあと、ありがとうございます、と消え入りそうな声で礼を言うのが精一杯だった。
「このお礼は必ずさせていただきます」
「いい」
「えっ?」
ごく自然な動作で俺を黒馬の背に乗せ、イスハークは言う。
「お前を怖い目に遭わせた、せめてもの償いだ。礼などされてもこちらが困る」
「……え」
むしろこれでも足りないくらいなのだが、とイスハークは空を仰ぐ。
「でも、私は何もしてません」
「そう言うな。俺としては助かったと思っている。……でも、そうだな」
顎に手を遣り、彼は思案するような素振りを見せた。
やがて、お前がそう言うのならと言って。
「これはただの好意だ。そんなものに礼は要らん……これでいいか?」
「でも……」
「――どうしてもと言うなら、王宮まで来い」
「え」
イスハークの唇には笑みが。
何故か――悪戯を思い付いた子供のような笑みが、そこに載っていた。
「強制ではない。お前がもし、どうしても俺に礼をしたいのなら、の話だ」
「あの……」
「送っていこう。家はどっちだ?」
困惑している俺に、押し切るイスハーク。――どうやらこの人は、根本的に他人の話を聞かない人らしい。
もっと常識がある人かと思っていたのに。
「お気遣いありがたいですが……多分迎えに来ると思います」
「……そうなのか?」
「はい」
イスハークはじっと俺の方を見て少し考えているようだった。
「私は平気です。色々ありがとうございました」
「……こちらこそ、無理に巻き込んですまなかったな」
怖い思いをさせてしまっただろう、と彼は言う。
「大丈夫です。ええと……その、将軍閣下とお話しする日が来るなんて、思ってませんでしたから」
ラミレスの名を出すのは避けておこう。一応。
「別に……俺だって、ただの人間だ。向こうだってそう思っているだろう」
「……そうですかね」
「あぁ」
イスハークは可笑しそうに笑った。
いや、分からないけど――彼らは個人の因縁で争っているわけではない。
あくまで国家のため、神のためなのだ。
「……では、俺は行くがいいか」
「はい」
ところで馬は、と去り際に聞くと、遣ると言われた。
困ったなぁ――俺、馬には乗らないんだけど。シャイターン居るし。
幸い将軍が一番大切にしている馬ではないみたいだから、返すと言ってもそこまで急ぎはしないんだろうけど。
「迎えに来る者に引いてもらえ」
「……はい」
次、足が治ったら。
1人で乗れるようになるまで練習しよう。
そうしてそれから返すんだ。
……なんて考えた。
「ソウカ……オ前ハ、ソウヤッテ……」
「えっ何シャイターン、どうしたの?」
暫く経ってから迎えに来たシャイターンは、何も言わずに俺と馬をいつもの森へ連れてきてくれた。
……すぐに返せと、開口一番そう言ったが。
「遂ニアノイスハークトカイウ奴ニモ気ニ入ラレタノカ」
「いや、言ってる事の半分も理解できないけど……そもそも俺をイスハークにけしかけたのはシャイターンでしょうが」
「ソウイウ問題ジャナイ」
ばっさり切り捨てられた。
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