急ぎの用事 「おはよー」 「……あ、瀬梨ちゃん」 「こんな朝から何してんの?」 新聞配達の為にマンションを回っていると、あまり出会いたくない人に出会ってしまった。 ……って、この人ここに住んでるんだから仕方ないか。 とりあえず朝、と言うには少々早い時間のような気がしたが、4時である。 「俺は、お腹空いたからなんか買おうと思って出てきたんだけど……それより、瀬梨ちゃんの方こそ何してんの?」 「え?」 郵便受けに新聞を詰め込みながら言う。 「あぁ……あのさ、俺、仕事だけじゃやってけないんだよね……恥ずかしいんだけど。だから新聞配達とかアルバイトやって生きてるんだ」 「……へぇ……」 「……な、何?」 折原の口元が歪む。 まだ明けきらない陽の光でも分かる程に。 「それは、大変だね。毎日忙しいでしょ?」 「え? うん……それは、まぁ」 「好きな事もできないでしょ」 にやにや。にやにや。 確か、困った人に絡まれた時なんていうマニュアルはなかったな、と考える。 「……つまり、何が言いたいの?」 「……聞きたい?」 「……………………いや」 嫌だ。嫌な予感しかしないから。 よし、もうここには配達し終わったから、次の場所―― 「俺と結婚しよう、瀬梨ちゃん」 ――転んだ。 「な……に言ってんのあんた! 本当正気!?」 「俺はいつでも真剣だけど」 「普通こんな場所でプロポーズなんかする!?」 何かもう、突っ込みたいところは沢山あるけれども。 順番を間違ったら、死に至る可能性もあるけれども。 「何考えてんの……もう……俺が承諾するとでも思ってんの?」 「……え?」 「…………何?」 泣きそうなまま顔を上げると、折原は明らかに困惑の表情を浮かべていた。 「……何?」 「いや……結婚してくれるよね?」 「……馬鹿じゃないの?」 何で。何で何で何で? 意味が分からない。この人頭大丈夫? 俺こんな人に好かれてるの? もう自分を嫌いになりそう。 「何で結婚しなきゃいけないの? この国って確か同性の結婚無理じゃなかったっけ」 「そんなの、外国に飛べばいーじゃん」 「そんな事の為にわざわざ向こうに住まなきゃなんないの!?」 そんな事って何、と睨まれた。しかし黙殺。 「俺、いつ折原と結婚するなんて言った? そもそも苗字呼びしてる人と結婚なんかして楽しいと思う?」 「ま、一時の退屈しのぎにはなるかもね」 「あんた本当死んだらいいよ」 ……馬鹿だった。こんな奴に付き合っている暇はない。次行こう。 本当はこんな事今すぐ投げ出して帰ってしまいたいのだが、生憎とこれは仕事なわけで、投げ出すわけにはいかない。 俺は溜息をついて立ち上がろうとした。 「ちょっと待って。瀬梨ちゃんどこ行く気?」 「……は?」 ぐいと手を引っ張られ、またもや立つ事が叶わない。 「何。俺、急いでるんだけど」 「それは俺も同じ。お腹空いたから早く買いに行きたいんだよね」 「だったら――」 頭の後ろに手を添えられた。 いや、添えられたというか、寧ろガッチリ掴まれ――え、ちょっと待って、これ何フラグ? まさか、と思った瞬間、今度は何故か突き飛ばされた。 「痛……っ、何、何なの!?」 「……残念ながら、邪魔が入っちゃったね。折角俺達が結ばれるところだったんだから、邪魔しないでくれない?」 「……朝からあんなモン見せられたら、誰でも邪魔したくなるだろ」 「じゃあ見なきゃいいじゃん」 「……え?」 コンクリートに強かに頭をぶつけてしまった。相当痛いんだが。 漸く身体を起こすと――そこでは既に、『悪夢』が始まっていた。 「な……何でしずが居るわけ……」 半分は外。半分は中。頼むからマンションの外でやってくれ。 この中で標識なんて振り回したら――建物が危ない。 「それに、第一……」 このマンション、俺の所有物だしね! ← |