帰って下さい(1)


「もう。あんまりこっち来ないで」
「あれ、瀬梨ちゃん、幸運の女神がついてるんじゃなかったの?」
「うるさいな」

 つまりそれは、何でそんなに簡単に俺にやり込められてるの、という事だろう。
 ――仕方ないのだ。
 今はきっと、女神様の機嫌が悪いのだろうから。

「女神様も俺には勝てないって事なのかな」
「そんな訳ないから、早く、そこどけてよ」
「嫌だね」

 肩を押さえ付けられれば、俺にはもうどうしようもない。
 ――だからそれは愛しの女神様にさえ、どうしようもない事なのだと分からないのだろうか。
 こちらに多少でも勝算がある時、彼女は微笑んでくれるものだというのに。

「ていうかだって、寝室に連れてきたのは瀬梨ちゃんでしょ?」
「――それは」

 連れてきた、と言うのは少し語弊がある。誤解されかねない。
 俺はただ単に寝ようと思って寝室に来たわけで、彼をいざなった訳ではない。断じて。

「だったら何してもいいでしょ」

 首の辺りを、冷たい手で撫でられる。
 まずい――その先に進むには、まだ早過ぎる。
 ついこないだ出会ったばかりなのに。

「ちょ――っと、折原、ストップ! まだ早いってば!」

 下から服を捲ろうとしていた手が止まる。

「何なの!? 俺達会ったばっかじゃん! もうそんな事するんだったら、こっちにだって考えがあるんだからにゃあ!」
「……へぇ。それは一体、どんな考え?」
「――ッ」

 瞬間的に、赤い瞳が細められ、値踏みするかのように俺を見つめる。
 肩を押さえていた手は今は俺の両手をまとめて押さえ付けている――拘束は緩まないし、良案は思い付きそうにない。

「……えっと」

 ここで頼りになりそうなものといえば、一体何だろうか。

 しず――とか?

 駄目だそれは、いつものパターンだし、彼はきっと此処には来ない。

「……目からビーム出して、その腕を焼き切る」

 出そう。出せそう。俺ならやれそう。
 要はやる気と勇気と思いきりが大事。

「……ぶっ」

 ――そうして爆笑した折原を、俺は解放された左手で殴ってやったんだけど。

「何がそんなに面白いんだよ! 俺結構本気だったのに!」
「うん、それはそれで、まずいっていうか……」

 俺はこんな子を好きになったんだと言われ。
 それまでの罵声も全て忘れ、俺はぽかんと折原を見つめてしまった。

「……何? 俺の顔に何かついてる?」
「ん? うん……目とか耳とか鼻とか口とかは」
「じゃあみとれてるんだ?」
「違――そういう訳じゃ、なくて」

 ――今言ったのは?
 しかし言った張本人がこれだけあっさりとしているのだから、やはり聞き違いだろうか。
 この距離で聞き取れないとか……やっぱり、ヘッドフォンの音量を下げるべきかな。
 耳鼻科に行くべきかとか、真剣に悩んだ。

「好きだよ」

 突然。暗転。
 鈍器で頭を撲られたような衝撃。
 耳たぶを食まれ、くすぐったいと思いながら。
 2度目は確かに興奮と高ぶりと、少しの不安を覚える。
 しかし囁かれる言葉は、何故かどこか甘やかだ。

「……何言ってんの、折原」
「まさか君が『池袋のラッキーキャット』だとは思わなかったけどね。何回か君の事は見てたけど、全然結び付かなかった」

 少し笑んで、折原は言った。

「……キャットって呼ばれてるのは、身のこなしが軽くて、まるで猫みたいだから」
「うん」
「ラッキーってのは幸運の女神様がついてるからだよ、知ってた?」

 誰かが付けた名前だった。
 確かに俺は外にはあまり出ない。
 外出すると、女神から賜った幸運を無駄にばらまいてしまいそうで。

「……最近ね」

 嗚呼またネットで話題になってしまう。俺は頭を抱えた。

「ラッキーキャット、捕まえるのに苦労したよ? 本当、猫みたいなんだから」
「それはありがとう。だから帰って」









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