物語を紡ぐ所以


※サランダ(長女)成り代わり





「ライラ」

 少女はもう、大分落ち着きを取り戻していた。
 家のこと……戦争のこと……
 思い当たる事は沢山あるが、何が彼女を、そこまで駆り立てたのだろう。

「具合はどう?」
「大分よくなりました」
「そう」

 それはよかった、と無理矢理に笑みをつくってみせる。

「それよりも、あの……レイシさん」
「ん?」
「そこの方……」

 そこには誰も居ない筈だった。
 少女は視線を動かし俺の背後を指す。
 俺は振り返ることなく、あぁ、と答えた。

「君にも見えるんだっけ」

 傍らの彼は眉を動かす。――ように感じた。
 ライラが気付いていることを訝んでいるのかもしれない。

「彼はシャイターン。つまりは「悪魔」だよ」
「……何デモ結構ダ」
「あ、そう?」

 シャイターンの言い方が可笑しかったので笑うと、シャイターンは拗ねたように横を向いて。
 ライラは楽しそうに笑った。

「悪魔さん? そう。世界にはそんな人も居るのね」
「そうだよ、ライラ。世界は広いのさ。――ところで」

 俺は笑みを崩さないまま問う。

「君はどうしてあの月夜の下、戦場を歩いていたの」






 トゥリンとエーニャは同じように溜息をつく。

「まさかレイシ兄様が……人助けをするなんて……」
「うるさい!」

 噛み付くように叫べば、2人は同じように耳を塞ぐ真似をする。
 俺が彼女らと似ていないことなんて、百も承知なのだ。

「俺だってそういう時もあるの!」
「何だっけ……ねぇ、エーニャ。レイシ兄様、あの、“悪魔”ってやつがついてから、随分変よね」
「うん」
「そ、そんなわけ……」

 ない。
 ――とは、断言できなかった。

「てか! 俺が人助けしてたらおかしいのかよ、2人とも!」

 今にも死にそうな少女。致命傷じゃないにしても。
 戦場の流れ矢をその身に受けて尚、生きたいと願う子なら、俺は助けてやりたい。

「そういうわけじゃないけど……」
「だったら、ほら! この子の面倒見てあげて!」

 俺に出来るのは、少女を運ぶことだけだった。不器用な俺は治療を施してやる事もできない。
 殆ど押し付けに近かったが俺がそう言うと、聡明な妹たちは一瞬顔を見合わせた後、頷いた。



「……シャイターン、俺、余計な事したのかな」
「何故ソウ思ウ?」
「……だって……」

 少女の治療を任せて家を出た俺は、いつも傍に居る悪魔、シャイターンに問う。

「……シャイターンが、」

 これ以上は何も言えなかった。……だって、言ったら本当になる気がしたから。
 それが俺の、ただの思い違いであればいい。そうである事を望む。
 ――でも、少女を見るシャイターンの表情は、あまりにも慈愛に満ちていたから。

「――ライラ」
「え?」
「アノ少女ノ名前ダ」

 戦慄が走る。……そうか、ライラ。
 やっぱり、俺は。

「……そうなんだ」

 多分俺を助けたのと同じように、悪魔は少女の名前を聞いたのだろう。






「随分よくなったみたいだね、ライラ」
「はい、お蔭さまで」
「よかった」

 いつまでも、少女を此処に置いておくわけにはいかない。
 矢を受けた傷は大分よくなっている、とエーニャは言っていた。

「今日は悪魔さんは一緒じゃないんですね」
「ん? うん……」

 いつもあなたの傍に居るのに、今更何を言う。あてつけ?

「……そろそろ君は、自分の帰る場所に帰るべきだよ」
「!」

 ライラの表情が強張る。

「私……」
「うん、君に帰る場所がないのは分かってる。じゃないと家出なんてしないでしょ、裸足で」

 だったら何で、と言いたげに表情が歪む。

「俺――ごめんね。君のこと、嫌いなんだよ」

 ライラの表情は、確かに一瞬驚いた。
 しかしすぐに変わる。それも仕方がないのだと、諦めのような表情に。

「……レイシさん」
「解るでしょう? ライラ、君は聡明だから。俺が君を嫌いと言う理由が」
「……何となくなら」
「だったら、それでいい。俺が君を嫌いになる理由は君に遣るから、傷が治ったら早々に出て行ってくれないかな」
「――レイシ!」
「あ、やっぱり居た、シャイターン」

 俺の死角になる場所、ベッドを挟んで向こう側にシャイターンはやっぱり潜んでいた。
 朝から姿が見えなかったのだと言うつもりはない。彼は最近よくライラの傍に居る。
 ――という事は、やっぱり、それなのだ。

「馬鹿みたいじゃんね、俺。君を助けた意味は何だったんだろう? もういっそ、君を助けない方がよかったかもね」
「レイシ……ソレ以上言ウト、怒ルゾ」
「勝手にすれば? ……あ、話があるんだよシャイターン、今後のね」

 部屋の外で話そう、と手招きするとシャイターンは渋々立ち上がる。
 そう、ライラには聞かせられない話だ。例えあそこまで感情を吐露してしまっていても。
 部屋を出ると、少し歩きつつ俺は口を開く。

「俺は……シャイターンがどこに行こうと引き止めるつもりはないよ。元々俺はただの人間だし」
「彼女ハ違ウカラ、我ニ行ケト言ウノダロウ?」
「そんな、今でも俺のこと好きですみたいな言い方しないでよ」

 くつくつと喉の奥で笑う。だって、可笑しいじゃないか。
 俺と彼は、確かに一時期好き合った時期もある。しかしそれは過去の話だ。
 今はまた、別で。

「俺が紡いできた物語は、そっくり彼女に遣ってしまって構わない。物語を傍観する人だって、主人公は女の子の方が楽しいに決まってる」
「ソンナコトモナイダロウ」
「いいから。……あのね、でも、1つだけお願いがあるんだ」

 背伸びをして、頭一つ分高い悪魔の肩を掴む。

「俺がシャイターンを好きだった事……それに関連することは、ライラにはあげない。俺はシャイターンを好きだった、でも、ライラがシャイターンを好きだった事にはしないでほしい」
「……我ハ」
「俺はシャイターンの気持ちまでは縛れないよ。今だってシャイターンが行くのを俺は止められない」

 ――そうだ。
 人間は所詮、無力だから。

「この物語を彼女の名前で紡いでも、この感情だけは、俺のものだから」

 そう言った瞬間引き寄せられ、唇に熱いものが押し当てられる。
 それは紛れも無くシャイターンの唇だった――こんな気持ち、いつ以来だろう。
 互いに愛し合っていた頃がひどく懐かしいけれど、このキスは、悲しい気持ちにさせる。

「ん……ん、ふ、」

 舌を絡めて初めて、この人を愛しいと思った。
 放したくない、離れたくない、一度だってそう思った事はなかった。
 だからこそ今。

「……そんな事したら……俺、」
「レイシ、我ハ……」
「物語は俺には紡げないよ。……さぁ行って、シャイターン」

 歴史を正しく刻む為には、ここで俺たちは別れなければいけない。
 そうだ、また会えるなんて、思ってはいない。思っちゃいけない。
 ――期待は、しない。

「レイシ」
「行ってよ、シャイターン!」

 俺は拘束を解き、1歩、2歩、3歩と距離を取る。
 これは、簡単には埋められない差だ。きっともう戻らない。

「……愛シテル、レイシ」

 シャイターンは顔を大きく歪めてそう言った。まるで何か答えを待っているようだった。
 ――そんな事、言うなよ。せめて過去形なら。
 俺は何も言わなかった。――否、言えなかった。
 シャイターンが漸く俺に背を向けるまで。

「……愛してたよ、シャイターン」

 涙が落ちるのは堪えた。









 流浪の兄妹は今日もさすらう。
 闇の歴史を葬らず、戦禍の叙事詩を歌った。
 彼らが二度と会う事はないであろう、悪魔の名は、心に深く刻み込んで。
 彼らは見届けた。
 “聖戦”が終結してゆくのを。



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