刻み込まれているのだとしたら


「――あ、」

 どんな事があったって、結局。
 覚えているものなのだ。
 ――身体が、心が。

「お前……えっと、何だっけ……」
「――お前、何者だ?」
「何だっけ……ええと……」

 目の前の男は不審そうに眉根を寄せる。……それもそうか。
 けど、それでもまだ俺は思い出せない。つい最近まで生活を共にしていた、その人の死体を前にして。
 ……名前。

「あー……何て言ったっけ、お前の名前さあ」
「……アメティストス」
「アメ……? いや、違う、違う」

 人違いだったか。『アメティストス』なんて名前だったら、聞いた瞬間に忘れないと思うんだけど。
 ――でも、それにしてはその瞳に、見覚えがありすぎる。
 訝しげにしながらも、結局は答える彼も彼だ。

「もっと、何ていうのかなぁ……そうだ、しっくりくる名前だった」
「はぁ……?」
「俺の捜し人はお前じゃないのかもしれない。似てると思ったのにな――なぁ」
「え?」

 名前? 一瞬で忘れてしまった。
 ……覚えているのは、少なくとも俺が捜していたような名前の人ではないという事だけだ。

「お前って、奴隷を解放する為に各地を回ってるんだろ? だったら、人も沢山目にしてる筈だよな?」
「ん? あぁ……まあな」
「そこで、折り入って頼みがあるんだが」

 男は既に、獲物を下ろしていた。どうやら戦意を失ったらしい。

「そうだな……丁度、お前みたいな髪の色で。メッシュが入ってて、三つ編みがあって、目の色が紫で……って、あれ?」

 あれれれれ?

「……何だよ」
「何で……お前、俺の捜し人に似てるな」
「はぁ……?」
「間違うのも無理ないっつーか、お前そのものな気がする。なぁ、名前教えて?」

 だからアメティストス、と言うのを俺は遮る。

「それじゃない。俺が知りたい名前は、そんなんじゃないよ。確か――あれ、何だっけ……」
「…………エレフセウス」
「おっ、それそれ!」

 にっこりと笑って言うと、すごく苦い表情をされた。
 そうか――俺の捜し人は、こんな所に居たのか。
 どうりで、世界に繋がる情報網をいくら操っても分からないわけだ。

「エレフ……エレフ。うん、それだ、すごくしっくりくる」
「今更でなんだけど……あんたまさか、」
「ん?」

 ……レイシ? と聞かれる。

「あ、覚えててくれたのか」
「そりゃ……変わったな、レイシ」
「ふふ、お前だって大きくなったよ」

 最後に会ったのは、本当に小さな頃。
 馬車に揺られ、強制的に別れさせられたあの夕日を思う。

「いや……それにしても、また会えるとは思ってなかった」
「俺は奴隷解放軍だし……レイシは、王宮に居たもんな」
「あぁ」

 接点がなかった。
 けど、無理矢理作った。
 ……今はそれでよかったと思っている。

「なぁ、よかった、よかった。一緒に暮らさないか、エレフ」
「……え?」

 エレフの声に困惑が滲んでいるのを、俺は知らない。

「いや、いいだろ? 今までの空白の時間を埋めるって事で。もう、他に肉親も居ないし……本当に、寂しいから」
「ちょ、レイシ、」
「いいだろ? なぁ?」

 俺は徐々にエレフに近付く。
 エレフはその分離れていくのだが……勿論俺はその分詰める。
 拮抗していた。

「……っ」
「、うわ!?」

 じっとエレフの瞳を覗き込んでいると、突然抱きしめられる。

「お前……俺が守ってきた一線を、お前はこうもあっさりと……」
「え、何!?」
「何でもないから……少し黙れ」

 何だと。先に話し掛けてきたのは、そっちなのに。
 そう思いながら、拘束が緩んだ隙に少し身体を離すと――キス、された。

「え……えぇぇぇぇぇえ!?」

 うろたえる。
 いや、もはや『うろたえる』のレベルですらないのだが。
 どうやら少し拘束を緩めたのはフェイクのようで、今度はまた強く抱きしめられていた。

「な、ちょ、エレフ、何すん――」
「これが、俺の、お前への想いだよ」
「……え?」

 あの頃はあんなに近かった。
 なのに今は、もう肩の位置すらが違う。
 悔しい、悲しい――いや、何て言ったらいい?

「俺達が一緒に居たのは、本当に小さい頃だけだろ。ずっと会えなかったな……兄弟なのに」
「……あぁ」
「恋をするには遅すぎるって言うなら、俺はこれを“愛”と呼ぶ」

 紫。――赤。なくした光の色。
 時間、光。俺たちは沢山のものをなくした。
 でも――それらの犠牲の上に、俺たちは立ち、生きている。

「俺は……お前を、そういう風に見てる」

 俺にとってお前は、愛を注ぐ対象なんだと。

「それは……お前にとって、不快か?」
「全然……俺は、ずっと焦がれてたんだ。もう何年捜したと思ってる?」
「……レイシ」
「お前に会う為だけに生きてたんだから」

 ……そうか、分かった。この感覚。
 出会った瞬間に判った理由が。

「嬉しいよ……エレフ」

 お前とずっと一緒に居たい、と俺は言葉を添えた。







(閣下、そいつは誰ですか?)
(奴隷には見えないし……)
(あー、落ち着け。王は討ったから、とりあえず戦は終わりだ)
(え……本当ですか!?)
(皆に知らせてこなきゃ!)

(レイシ……間違っても、俺達があの王の弟だとか言うなよ)
(任せとけ)

(……レオンには少し、気の毒な事をしたような気がするけど)
(今なら俺が)
(エレフの事を覚えていた理由が分かる)

(俺の細胞が覚えていたんだ)



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