いつか見た風景


「へぇ、あなたも旅行ですか?」
「はい」

 どうしてもドイツで写真が撮りたくて。
 俺がそう言うと、彼も写真に興味があるのか、そうですかと頷いた。

「……という事は、ドイツ以外でも撮っておられるんですか?」
「……まぁ、一応」

 たいしたことのない物ですが見ますか? と。
 控えめに聞けば、彼はいいんですかと食いついてくれた。

「……へぇ、色々な所に行かれてるんですね」

 そう言われてちょっと恥ずかしくなる。
 ――俺が写真を撮り始めたのは、数年前初めてドイツに旅行したのがきっかけだった。
 美しい城に魅せられ、インスタントカメラで撮ったのが始まり。
 以来、写真にすっかりハマってしまった俺は、素人の域を出ない写真を撮り続けているのだ。

「あ、ここ」
「え?」

 突然彼は声をあげる。

「僕も行った事がありますよ、ここ」
「えっ、本当ですか!」
「はい」

 驚いて聞き返したのは失礼だと知りながら、それでも俺は確認せざるを得ない。
 何故なら彼が指していたのは、郊外の蒼い森の中に在る、寂れた村の写真だったからだ。

「驚きました、あんな村に行くのは、余程の物好きだと思ってましたから」

 俺は物好きだ。しかも自覚済みの。わざわざ人の居ない所を捜しに行く。
 だから彼にそう言われても、少しも不満ではなかった。

「俺も物好きですよ……実は今日、その村に行こうと思ってたんです」
「えっ、そうなんですか!」

 懐かしいなぁ、と彼は目を細める。
 その時のことを思い出しているんだろうか、瞳はどこか遠くを見ていた。

「あの……よければ、ご一緒させてもらってもいいですか?」
「えっ」
「僕も是非、あの村をもう一度見ておきたいと思いまして」

 きっともう、彼にとっては、最後の旅行なのだろう。
 それ程高齢なようには見えないが、森の中を歩くのは案外辛い。
 同じ、辺境の村を知っている者として、親近感が湧いたせいかもしれない。
 俺はあっさりと彼の提案を受け入れた。

「じゃあ一緒に行きましょうか。俺も、1人で行くのは寂しいと思っていたところなので」

 俺はレイシと言います。あなたは?
 聞いて手を差し出すと、強く握り返された。

「レイシさんですか……いい名前ですね。僕はハンスといいます」
「ハンスさん、」

 どこかで聞いたことのある名前だと思った。
 ――しかし思い出せないので、気のせいという事にしておく。
 大体、『ハンス』なんてよくある名前じゃないか。彼に失礼だ。
 俺は気付かれないようにかぶりを振って彼と2人歩き出した。






「Thuringian」

 この辺りの事だと、彼は言った。
 ハンスは俺の先に立ち、あの村へと先導する。
 ――昔、住んでいた事もあったのだろうか?
 その慣れた様子に、俺は首を傾げた。

「ところであの写真は、どこから撮ったものなんですか?」
「え?」
「あれですよ、井戸を映した写真」

 ――井戸。あぁ、あれか。
 俺は1度だけ井戸を映した事がある。
 その暗い森に佇む井戸、薔薇の巻き付く井戸。
 随分と長い間誰も使っていなかったのは明らかで、何故だか俺は、その井戸に惹かれてシャッターを切ったのだった。

「近くに家があったんですけどね、本当は井戸を上から撮りたかったんです」

 何故そんな事を思ったのか、今となっては俺にも思い出せない。

「でも人の家に入っちゃマズイだろうって事で。何度ノックしても出なかったのでその近くで撮りました」
「……へぇ」

 その家も十分魅力的な被写体で、一緒に映せるのだったら別にいいかなと思った。
 そこでパチリ。次こそ上から撮りたいと考えている。

「でも、あんな写真に興味が――」
「着きましたよ」

 ハンスさんの言葉に遮られ、俺は顔を上げた。

「……変わってないなぁ」
「えぇ、本当に」

 木の間を抜け、家々を眺める。
 ――あの家は、郊外にあるのだ。何故だろう。
 まるで、何かから隠すように。

「井戸の方、行っても構いませんか?」
「えぇ」

 僕はもう少しこの辺りを見ていますから撮影が終わったら戻ってきて下さいね。
 そう言って背を向けたハンスさんの背中に、はいと言ってから俺は歩き出す。



 その家は前と同じようにそこに在った。
 誰かが住んでいるのならそれは当然なのだが、井戸の荒廃の様子を見る限り、手入れされている様子はない。
 ――もしかして、無人なのか?――
 俺の中にそんな疑問が首をもたげた瞬間俺はドアノブに手をかけていた。

「……お邪魔します……」

 申し訳程度にそう呟くと、俺は軋む床に足を載せて進む。
 慎重に、慎重に。
 上に長く伸びた階段を上る、きっと先に繋がるのはあそこだ。
 ――井戸を、上から撮る。
 そんなワケの分からない感情に蝕まれ、俺は歩を進めた。

「……此処は……」

 下から見上げても、随分高い建物だと思った。
 上から見下ろすと、随分井戸が小さく見える。

「……何で、井戸を上から撮ろうなんて、思ったんだろう」

 分からない。分からないよ。
 俺はバルコニーの柵から身を乗り出し、カメラを構えた。
 ――手がブレる――
 カメラを落とさない内に、と右手の人差し指を動かした、その瞬間。

「え――」

 身体が浮いたのが分かった。
 正確には、宙に投げ出された、だが。

「……ハンスさん……!?」

 カメラが手から滑り落ちる。
 掴もうとしてもがいた。
 ――手は、届かない。
 何で、何で、何で?
 何で俺が、という思いしか浮かばない俺は、すぐ真下に井戸が迫っている事に気付かなかった。
 俺の背中を押したハンスさんの表情が、不気味に歪んでいる事も――
 そして、井戸の中から、ゆっくりと男が姿を現すのも――



 俺は、落ちた。

















「酷い男だな」

 まるで僕の時と同じだ、と唐突に降ってきた声。
 何が同じか分からなくて、俺は暗闇の中で目を開いた。

「……気が付いた? 大丈夫か、レイシ」
「え――?」
<大丈夫よメルも落ちても平気だったもの、この人も平気よ>
「僕と彼を一緒にしちゃ駄目だろう、エリーゼ」

 ……何、なに何?
 男の声と、可愛い声。きっと俺を助けてくれたのだろう。
 あんな所から落ちても、まだ生きていたという事は。

「……あの、」
「混乱してる? お礼は要らない」
「でも……」
<今はもう少し、休んだ方がいいんじゃないかしら>

 メルと違って、無事みたいだし。
 ふて腐れたように言う方は、どうやらエリーゼというらしい。
 ……見る限り、人形だ。

「……何で俺の名前知ってるんですか?」
「ハンス、彼と話しているのが聞こえたんだよ」
<メル、耳いいわね>

 男の方は、メルというらしい。確かに凄い耳の持ち主だ。
 視界一杯に広がる端正な顔立ちの彼が、メルなのだろう。

「……俺は、」
「彼にあそこから落とされたみたいだ。僕以外にそんな事される人が居るとは思わなかったけど」
<あら私もそうよ!>
「エリーゼは……、別だろう」
<そうね、そうよね私は人形だものね!>

 喚く人形。普通、人形は喋らないと思うけれど。
 けれど初対面の人に殺されそうになったここなら、何が起こってもおかしくない気がした。

<いい加減、『立入禁止』の看板立てておいた方がいいんじゃないの? メル>
「あぁ、そうかもな」
「……でも、冒険心旺盛な子供は入るかもしれない」
「そうか、それは確かに危ない」
<じゃあ、入ろうとする人をメルが片っ端から脅すっていうのは?>
「せめて『おどかす』って言ってくれよ、エリーゼ」
「……心霊スポット……」

 俺はゆっくりと起き上がった。
 ――俺は、この人達を知っている。
 そうだ、知っている。

「――メルツと、エリーザベト」
「……何で、知ってる?」
「読んだ」

 あなたの童話を。
 俺は鞄の中から1冊の本を探し当てると、メルに押し付けた。

「……確かに、これは僕の物語だ」

 でも、何で君が。
 ……聞かれても、俺には分からない。首を傾げるだけだ。
 物心ついた時から、それは俺の傍に在ったから。

「でもこれは、途中で終わっている」
「うん」
「……続きが、聞きたい」

 メルの目を真っ直ぐ見る。
 彼の語る物語が間違いでないのなら、彼は、さっきの俺と同じように高い所から落とされて井戸に落ちた筈だ。
 ……でも、その先の物語が、ない。

「Marz von Ludowingは、井戸に落ちてそれからどうなった?」

 俺が真剣にそう言うと、メルは少しの間ののち、くすと笑った。

「知りたいかい?」
「うん」

 なら教えてあげよう。
 僕の言う物語を、君がその先の頁に書き留めて。

「分かった」

 Marz von Ludowingのその後――。
 彼は井戸から落ちた後、どうなったのだろうか?
 それは、彼自身の口から明かされる……



















10-9/12
(最後の頁には井戸の写真を載せておくれ)
(落ちたその瞬間の、写真を)

出会った2人



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