(ハヤマツ)
※ミナ←マツ前提



「ハヤト、帰りこいつ乗っけてってやって」

その声に振り向くと同時、イブキさんに突き飛ばされたマツバが倒れかかってきたから、慌てて体を受け止めた。痩せ型とはいえ、自分より大きい男だ。正直、受け止めた衝撃は半端ではなく、膝が折れそうだったが、皆の手前、根性で耐えた。泥酔しているのか、おれに全体重を預けている。話を聞くと、どうやらシジマさんの隣に座ってしまったらしい。床に頃がって爆睡しているシジマさんを一瞥して、ため息をついた。他の参加者は、面倒事は御免だと言わんばかりにばらばらと帰り始めて、あっという間に三人になってしまった。残されたおれは完全にダウンしている二人を眺めて途方に暮れた。とりあえず、シジマさんの奥さんに電話をしてから、酔っ払いを背負い店を出た。疲れた顔をしていたのか、ボールから出したピジョットがおれを見て小さく鳴いた。



それから悲惨だった。飛んでいる最中にマツバが「気持ち悪い、吐く」とか言い出して、慌ててその場で降りて、さあいいぞ好きなだけ出せ!と背中をさすってやったら、「むり、吐くのやだ」って結局吐かないから、ずっとぜえぜえ苦しそうにしてて、指突っ込んででも吐けよ、って言ったら「こわいからやだ」の一点張りで、とにかく悲惨だった。おかげでエンジュへの距離がやたら長く感じられた。着いたはいいが一人で歩けるのか、心配したら案の定千鳥足で、最終的に自分の右足に左足を引っ掛けて転んだ。しかも起き上がる気配が微塵も感じられず、おれは仕方なくマツバの腕を取った。密着した体が熱い。それだけで、こんなムードも何もない状況なのにいちいち緊張した。そんな心臓に悪い状態でありながら、おれは家までの道のりをどうにか歩き、部屋に敷きっぱなしだった布団にマツバを転がすことに成功した。急に疲労を感じて、おれも畳に身を投げ出す。マツバの荒い息遣いは止まない。心配になって、上から覗き込む。蒼白、という表現が正しいと思う。とにかく、ただでさえ良くない顔色が更に悪化している。おれは慌てて台所へ駆け、適当な湯呑みを棚から取り、勢い余って注ぎ過ぎた水を零さないよう慎重に持って帰ったら、

「マツバ、水持ってきたけど…起きれるか?」
「……無理……飲ませて」

敷布に頭を擦るように首を横に振って頼まれた。飲ませるってどうやって、と悩んでいたおれを決断させたのはマツバだった。

「……ミナキ、くん……」

コップから水滴が落ちて、畳を濡らした。おれはマツバに想いを告げてもいないのに、勝手に嫉妬した。悔しくなって、傾けてしまったグラスを震えた手で握って、水を勢いよく口に含んだ。そのまま苛立ちに任せ、酔っ払いの顔の横に手をついて、薄く開いた口に押し付けた。初めて触れたマツバの唇はかさかさしていた。注いだ水がそこを濡らしていく。組み敷いたマツバの喉が上下する音を聞いて、歓喜がおれを満たした。水を移し終わって、顔を離たし瞬間に、吐き出された吐息が混ざる。くらくらするくらい熱い。もう一回くらいしても許されるだろうか、と期待したおれの首が、突然ずしりと重くなった。マツバの腕がおれの頭を抱いたのだ。先程までの喜びが急に冷めた。いい加減にしろ、いつまでおれをあいつと間違える気だ。嬉しいといえば嬉しいが、呆れが遥かに勝る。

「おい、マツ……」
「ねえ……また、行くの……?」

おれはマツバを引き剥がそうと伸ばした手を止めた。震えた声と鼻を啜る音が耳元で響いたのだ。

「行かないでよ、お願い」

とうとうマツバはおれに抱きついたまま、肩を震わせ始めた。寂しさと悲しさを隠そうともしないその姿はいっそ痛々しく、一瞬でも彼に呆れた自分を恥じた。おれはあいつが憎かった。ここまで思われておいて、あいつはマツバを置いていく。マツバが居てほしいと思うときにあいつはいない。おれには、どうしてマツバがそんなあいつを好きなのかわからない。おれなら、おれだったら、どこにも行かないというのに。おれの方が、マツバを大事にするのに。それでもマツバはあいつを好きだという事実がおれに突き刺さる。抱きしめられたまま、おれはどうすべきか悩み、結果、マツバを抱き返して、なるべく低い音で告げた。

「……大丈夫。どこにも行かないよ、マツバ」

もしここで、おれなら寂しい思いはさせない、と言えば何か変わったのだろうか。しかし、おれはここにいないあいつの代わりにマツバを安心させることを優先した。マツバにとってはこれが一番良いだろうと思ったのだ。マツバはおれの台詞にほっとしたように微笑んで、安らかに寝入った。ゆっくりと布団に体を沈めて、深い呼吸を繰り返す寝顔を見つめる。無防備な姿に口元が緩んだ。彼の笑顔はおれに向けられたものではなかったのだと痛いほどにわかっているけれど、おれは今、幸せだった。



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