七分の、薄手のカットソー一枚で十分な気候になってきた。雨が降ってくれば、一枚上に綿のニットと羽織るくらい、ちょっと寒くなるけど。
季節は梅雨。
湿気が多くて、洗濯物も乾きにくくなってしまう。それに、肌に纏わりつくじっとりとした空気も、作業を行なう上で煩わしく感じてしまう。
けれど梅雨が過ぎれば、からっとした夏になる。
そう考えれば、梅雨も嫌ではない、な。
外を見やれば、小雨が降っている。
今日はあんまりお客様来ないかも。雨の中、お洋服を持ってあんまりうろうろしたくないと思うし。
時刻は…三時。
ノボリさん、今日は来ないかな。良いニルギリを買えたのだけど。お茶請けには生チョコ。カカオが濃くて、甘すぎない。ニルギリに合うと思う。
…ノボリさんと飲むお茶は美味しくて、楽しい。お茶請けを作るのも、以前より楽しくて。元々待ってくださるお客様用に作っていたけど、今はノボリさんが来るかもしれないから、という思いが強い。
…思い出し笑いをしてしまう。先日のノボリさん、可愛かったな…。とても必死なのが伝わった。私の名前を聞くだけなのに。教えた後、私の名前を言ってくれて、優しい笑顔をくれた。
でも、私も悪かったかも。ノボリさんが名乗った時に私、名乗らなかったから。
考えてみれば、結構長い間名前を教えないでお茶していた。申し訳ない。
次のお茶請け、ちょっと豪華にしようかな…。
お直しも無いし、お茶を入れようかな。
シキジカを見やれば、クッションに座って寝ている。朝、雨が降るから外出ちゃだめ、と言ったら大人しくこうしてくれている。
「ナマエ、様」
…あ、私のことか。そしてこの声は。扉を見やれば、やっぱり。
「ノボリさん」
「お邪魔します」
今日はスーツじゃない。私服だ。ビニール袋を持っている。お直しあるのかな。
ノボリさんも七分の黒い、ラウンドネックのカットソー。チェストより十センチくらい上に、両袖、見頃と横に一直線、濃紺の切替が入っている。丁寧にパターンを操作しているのかな、本当に一直線。なかなかこんな綺麗に出来ない。裾は、ヒップを隠すくらいの丈。
パンツは八分丈くらいのダークグレイ。薄手のデニムかな。よく見ると綾織。
靴は黒いスリッポン。撥水加工が施してあるみたいで、つやがあって、水がはじかれている。
ちょっとラフで落ち着いた格好。お似合いだな。
…ノボリさん、雨の中来てくれたのか。
あ、タオル。靴濡れているし、お渡ししようか。
「ノボリさん、ちょっと待ってください」
「…はい?」
小首を傾げる。ギャップ、だな。
シキジカが起きた。ノボリさんに気付いて、近付いていく。ノボリさんは屈んでシキジカに目線を合わせて、挨拶している。ノボリさんのそういうとこ、素敵、だと思う。
「はい、どうぞ。拭いてください。靴も拭いてくださって構いませんよ」
「わざわざ…。ありがとうございます」
受け取って、腕と足、靴と丁寧に拭いていく。シキジカはそばに寄り添って、ノボリさんを見上げている。尻尾を震わせて、顔も嬉しそう。シキジカは、ノボリさんのどこが気に入ったのかな。雰囲気、なのかな。
拭き終わったタオルをお礼と共に受け取る。ちゃんと畳んで返してくれる。出来た人だ。
「ノボリさん、今日は雨の中わざわざお越し頂き、ありがとうございます。お茶はニルギリと生チョコがあります。飲まれますか」
「いいえ、お気になさらず。私が好きで伺っているのですから。時間はありますので、頂きます。いつもありがとうございます」
「は、い。かしこまりました。じゃあ、こちらにお座りください。あと、今日はお直しも…」
「はい。お願い致します」
「じゃあ、お預かりします。お茶を用意してきますので、お待ちください。ポケモンを出して頂いても、構いませんよ」
「はい、お言葉に甘えますね」
にこりと、あの優しい笑顔。
…好きで伺っているって。
それはそうなのだけど。笑顔と相まって、なにか、勘違いしてしまうじゃないか。…そんな想像してしまう、自分自身が恥ずかしい…。
ううん、とりあえず、お茶を用意してこなければ。
「お待たせ致しました…」
用意してトレンチにのせて持って行けば、シャンデラと…ええと、ドリュウズ、だっけ。もったりした体が可愛い。ちょっと目つきの悪さがノボリさんに似ている。
シキジカもまざって、三匹で遊んでいる。ドリュウズの爪に興味を持ってじっと見つめていたり、ドリュウズがそれを受けて、その爪でシキジカの頭をぽんぽんと優しく撫でて、シキジカは驚いてシャンデラの方に逃げていたり。
あ、ドリュウズが困っている。
トレンチをテーブルに置く。ノボリさん、三匹の方を見ていて気付いてないみたい。
私も再び三匹の方を見る。和む。シキジカにもいい刺激になりそう。
「ありがとうございます。申し訳ございません、二匹も出してしまって…」
「いえ。シキジカと遊んでくださって、ありがとうございます」
あ、気付いたみたい。ほんの少し眉間に皺を寄せて、すまなそうにしている。
心から、笑顔になってノボリさんを見つめる。あ、少し固まって、ちょっと頬を赤くしたけど、目線を外さず持ち直した。おお、直ってきた。良かったですね、ノボリさん。
ちょっと忘れていた。お茶、冷めちゃうから、飲んでもらわないと。
「お茶、飲みますか」
「は、い、頂きます」
お茶を勧めれば、応じてくれたけど…うーん。まだちょっと頬が赤い。
お茶とお茶請け、ティーポット、ミルクと砂糖、それらをノボリさんの前に並べる。お口に合えば良いけど。
私は点検しなきゃだから、後で楽しもう。そう思って作業台に向かおうとすれば、呼び止められた。
「ナマエ様は、飲まれないのですか」
「持ってこられたお洋服を点検しようと思ったのですが…」
「…ナマエ様が迷惑でなく、ご都合が悪くなければ、一緒にお茶を、飲んでくださいませんか。その服のお直しは、あまり急いでおりませんので…」
真っ直ぐ見られた。切れ長な目が、縋るように見てくる…。
う。そんな目で見ないで頂きたいな…。そんなに私と飲みたいんですか、ノボリさん…。
…でも。お客様は、雨だしあまり来られないと思うから…。ノボリさんも急がなくていいって、言っているし。
…一人で飲むお茶より、誰かと飲むお茶のほうが、美味しい。
教えてくれたのは、ノボリさんだ。
「ノボリさんが、そうおっしゃるなら…はい、ご一緒して良いですか」
「もちろんでございます」
ポケモン達が和気藹々と遊んでいるなか、二人でお茶を楽しんだ。
シャンデラがやってきて、カップを覗く。それを見たノボリさんが、シャンデラにティーポットの蓋を開けて、呼びかける。そうすれば、デラッシャン!と言ってくるくる宙に浮いたまま回りだした。どういうこと、とノボリさんを窺えば、シャンデラは紅茶の匂いが好きなのだと教えてくれた。だから、先日私の匂いを嗅いで喜んでいたのか。納得。
採寸もした。
もう、五回も採寸をしている。六分の一、終わってしまった。
…あの時、採寸が終わるまできてください、と勢いで言ってしまったけど、終わったらノボリさん、来てくれなくなるのかな。
そう思ったら、胸が痛んだ…気がした。
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