外から帰ってきたシキジカが、春を持ってきてくれた。

 夕方に見慣れた影が扉に映って、出迎えれば、その背中には体毛ではない薄紅色が所々。桜の花びらだ。五枚くらいのっている。一つ摘まんで、見上げる。
 桜が咲いたんだ。でも、こうしてもう散り始めている。風に吹かれて散ったのかもしれないけど…見に行きたいな。


 シキジカにどうだったと聞けば、こくん、と頷く。顔を見ると楽しかったのか、瞳が輝いている。頭を撫でる。よしよし。
 もうそろそろ暗くなる時間。中に入って、店も閉じて、ゆっくりしよう。
 シキジカにおいで、と声を掛ける。尻尾をぴくぴく震わせて、答えてくれた。
 扉を閉めながら、今日の夕ご飯について考えた。

 少し入ってきた冷たいながらも暖かさを感じる風に、春を感じた。







「桜、ですか」


「はい、ご覧になられましたか」


「職場に行く際、少々見ますが…きちんとは見ておりませんね」


「そうですか…ぜひ、ご覧になってください。四季を感じることができるのは、幸せなことですよ」



 もう三度目だろうか。ノボリさんがお直しなしでここに来るようになったのは。ちなみに今日もあのスーツ。今はおやつの時間。
 お客様だから、と壁を作っていたけど、少しずつ崩れてきたのを実感している。今日はちょっと自分のことをお話させてもらった。季節の話。シキジカが桜の花びらを背負ってきてくれたことをお話して、桜は見たか、という質問。ちょっと押し付けたかな、とは思うけど…平気かな。

 ノボリさんは今日のお茶請けの小さい、旬のストロベリーマフィンを一齧りして、少しミルクを落としたダージリンを一飲みして、私を見据えて、口を開かれた。



「見に行きませんか…一緒に。ええ、と、ご都合がよろしければ、ですけど」


「えっ…お、お仕事は…」


「ああ、私はこれから休みを頂いておりますので時間はございます」


「そうですか…はい…」



 なにがはい、なんだろう。私。突然そんなこと言うから、驚いた。
 ノボリさん、窺うように私を見てくる。ちょっと、不安そうな顔。



「では、ご都合、よろしいでしょうか」


「………三十分くらいなら…」


「十分でございます」



 そんなほんの少し口角を上げて、瞳を輝かせないでほしい。嬉しそう。どうしたらいいか、分からなくなっちゃう。
 えー、とか、いえ、とか唸って俯いていると、シキジカが膝に足をのせてきた。…長年一緒に居る私には分かる。外に行く、と会話の内容は分かっているから、連れて行って、という顔だ。この顔は。
 顔を上げる。ノボリさん、まだ嬉しそうにしている。と、とりあえずお伺い立てなきゃ。



「ノボリ、さん」


「はい」


「お茶飲んで、ちょっと休憩してから、行きましょう。それと…この子も連れて行っても、いいでしょうか」


「ええ、もちろん。それでは、外に行きましたら私のポケモンをお見せしましょう」


「え、ノボリさんの、ですか」


「ええ、ポケモンはお見受けしたところシキジカのみをお持ちですね…ポケモンはお好きでしょう」


「はい、この子のみです。ポケモンはもちろん好きです」


「良かった。見て下さいますか」


「お願い致します」



 不器用な笑顔も、最近心なしか柔らかくなった印象を、受けるようになってきた。





 お茶を頂いて、体を温めたし、気持ちも落ち着いた。
 いつも美味しいお茶請けをありがとうございます、とお言葉をいつも通り頂く。有難いな。この人はお礼を忘れない人だ。
 お店を出て、紙を貼って、鍵をかけて。お待たせしました、とノボリさんに声をかける。長いその足の膝を折って、シキジカに目線を合わせ頭を撫でながら、まったく待っておりませんよ、とおっしゃってくれた。

 外の天気は晴れ。春は小雨があったりするけど、今日は青空が広がっている。雲は殆ど見られない。日差しもぽかぽかしている。良かった。シキジカは先頭を行く。この子は外によく遊びに行っているから、綺麗な桜がある所を知っているのだろう。案内してくれるみたい。
 少し離れて隣に居るノボリさんに、シキジカが案内してくれますよ、と見上げて言う。やっぱり、背が高いな。目線を落としつつ、ノボリさんは頼もしいことですね、と優しく言う。ええ、任せてあげてください、と笑顔で返す。それを見たノボリさんは、一瞬固まって、ちょっと息を吐いて、はい、と不器用な笑顔と共にお返事頂く。

 目を見開かなくなったけど、今度は一瞬固まるようになってきた。平気かな。自分と向き合って、癖を直そうとしているのかな。だったら、見守ってあげなきゃ。うん。

 シキジカが目指すところまでついて行く。春の暖かい日差しが心地良い。
 私達の間に会話はあまりなかった。けれど、それが自然の流れのように思えた。苦痛では、なかった。



「…あ」



 シキジカが案内してくれたのは、店の近くの公園。正直、あれ、ここなんだ、と拍子抜けしてしまったけど、見渡せば納得。木々すべてが桜の木。色が色だからか、其々の木々がぼんやりと明るく感じる。
 出入り口に立ってきょろきょろしていると、ぶわ、と風が吹いて。薄紅色の花吹雪に包まれる。



「きれい」


「…本当ですね」


「はい。ノボリさん、たまにはこうして、自然に目を傾けることをしてくださいね。荒れた心が穏やかになりますよ」


「…はい。そう致します」



 目線を合わせないまま、話した。だって、桜がきれいだから、そっちに目を奪われてしまっていて。けれど、目を合わせなくても、隣に立つノボリさんがきっとほんの少し目尻を下げて、穏やかな顔をしているのかな、と想像はできた。

 シキジカはこちらを見ている。こっちに来て、だな。
 ノボリさんに目を向ける。あ、やっぱり優しい顔だ。和んでいたのかな。目線がかち合う。少し目を開いて驚いている。なんだか悪さをしていて見つかった子供みたいだ。こういっては申し訳ないけれど、可愛らしい。破顔してしまう。



「ノボリさん、シキジカが呼んでいますよ」


「っ、は、はい…ま、参りましょう…」



 最近のノボリさんは、会うたびに一度は少し頬を赤くしてどもる。こうなったら次に目を合わすまで時間が掛かる。うーん。今回は何が原因だろう。ちょっと桜を見て惚けていた所を見てしまったからだろうか。そんなに気にすることないのにな。





 シキジカが案内してくれた所には、この公園内で一番古い大きな桜の木があった。美しいけど、威風堂々。立派。時間の重みを感じる。一言じゃ言い表せないものがあった。
 ノボリさんはそれを見て、モンスターボールを投げた。見せてくれるのかな。出てきたのは…確か、シャンデラ、というポケモン。聞けば、そうですよ、と答えてくれた。
 薄紫の炎がゆらゆら。丸い体も、蔦のような手も左右にゆらゆら。黄色い目が桜を見て、嬉しそうに細くなる。可愛い。
 シキジカはシャンデラを見て固まっていた。初めて見るみたい。屈んで頭を撫でてあげる。
 そんなことをしていたら、シャンデラが目の前までやってきた。シキジカは匂いを嗅いでいる。シャンデラは十センチくらい真ん前まで近づいて、私の髪の毛の匂いを…嗅いでいるのかな。嗅ぐことができるのかな。されるがままにされていると、デラッシャン!と鳴いた。驚いた。
 シャンデラは私の頬に擦り寄ってくれた。可愛い。丸い体を撫でてあげる。つるつる。シキジカも私の様子を見て嬉しそうにしている。

 印象深かったのは、ノボリさん。目を見開いて、固まっていた。
 シャンデラを取られた気分になっちゃったのかな。








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