「…じゃあ、採寸、させてください…」
そんな、ノボリさんの、ぽかんとした顔初めて見ましたよ…そんな顔で、小首を傾げないでくださいますか…。
私が何故そんなことを言ったかというと。
前回ノボリさんが来てから、だいたい一週間経った今日。あの時から少し、寒さも和らいだ。カーディガンをずっと着ているのではなくて、ウールのストールを巻いて、体温調節するのがちょうど良い感じ。ストーブも弱で十分すぎるほど。
もうそろそろ、桜が見れるかな。
桜の木々を見ているだけで、心穏やかになれる。近くで見ると白に近い薄紅色。遠くで見ると、桃色に見える。不思議。
近くの公園に植えてあったはずだから、見頃になったら行こうかな。もちろん、晴れの日に行こう。
なんて考えてお仕事をしていたら、お昼。
シキジカは寒さが和らいできたから、まだ帰ってこない。多分、帰ってくるのはおやつの時間くらいだと思う。お客様も来ていないし、気兼ねなくご飯を食べられる。
今日は何を食べようかな。
適当に野菜とかお肉とかのせた…あ、玉子ものせよう…ロコモコ風適当丼とか。全部ごはんの上にのせちゃうから、お皿も数少なくて洗い物が楽になる。うん、それにしよう、と思って作り始めて。
結構美味しそうに見れるなあ、なんて出来たものを眺めて、いただきますをして。雑誌を見ながらご飯を食べていた。
食べ終わりそうになった時、扉に影が見えた。
あ、お客様だ、と思って、丼を持ち上げて、作業スペースの汚れても構わない場所に置いて、隠して(この時お皿を少なくするようにして良かったと思った)。お水を一杯、注いでおいたから、ごくごく飲んで、口周りをハンカチで拭って扉に向かった。
いつものスーツな出で立ちの、ノボリさんがいた。いつも通りのへの字口。でも、少し目がきょどきょどしていて、不安そうな雰囲気が漂っている。
来てしまいました、ご都合よろしいでしょうか、と丁寧に聞いてくる。
ほんの少しの逡巡。突発的なとこには、弱い。でも、それを取り繕えるくらいできます、私。
あ、そうだ、パウンドケーキ。ちゃんと作っておいてありますよ、ノボリさん。
笑顔を浮かべて、ご案内を始める。
私の笑顔を見て安心したみたいで、ノボリさんの目元が綻ぶ。嬉しそう。私より大きい背丈なのに、ちょっと子供みたいだな、と思ってしまった。だって、素直すぎるもの。
目は口ほどにモノを言う、だな。実感。
中に入ってもらって、テーブルにご案内。ありがとうございます、とおっしゃってくれた。いえ、と微笑む。ノボリさんの目が少し見開かれた。怖い。
今日はどの紅茶の気分かな。
パウンドケーキがあること、紅茶はどうするかと伝えれば、言葉を詰まらせながらもお礼とアッサムと返事を頂く。
なんだろう、変なところで詰まったな、ノボリさん。パウンドケーキのこと覚えてて、驚いたのかな。
紅茶はアッサム、ね。やっぱりこのパウンドケーキにはアッサム。好みが合う。
少々お待ち下さい、と声を掛けて。
さて、紅茶を抽出しないと。あ、ついでにロコモコ食べてきちゃおう。あともう少しだし、時間は掛からないから許して頂きたい。
そう思って裏に行った。
ノボリさんの前に、アッサムの入ったカップ。真向かいに私のも置く。その真ん中にティーポットと温かいミルクと、砂糖の入ったかごと、パウンドケーキ数切れのった、お皿。
ありがとうございます、と不器用に微笑むノボリさん。いえ、と言って、私も微笑む。ほんのちょっと目が見開かれた。この動作は、一体なんだろう…。
あまり気にしないで、流しておく。癖かもしれないし。
お邪魔します、と言って向かい側に座らせて頂く。
私の我が侭に付き合って下さり、ありがとうございます。そうノボリさんは言ってくれた。
誰かと飲むお茶も美味しいですから、お気になさらず、と素直な気持ちを返すと、そうですか、と言いつつ俯いてしまわれた。…紅茶、冷めてしまいますよ。
そんなノボリさんを見ていたら、す、と顔を上げられた。ちょっと眉間にしわが寄っている。何か気になることでもあるのかな。見守っていると。
お礼と言っては…何か貴女様にできる事はありませんでしょうか。
そう、おっしゃった。真っ直ぐ、見られる。切れ長の目で射抜かれる。大真面目で言っている……礼儀正しい人。
…そうはいっても。お客様だし。何も気にすることは無いと思うけど…。
素直に、お気になさらず、と返すと。
いいえ、お直しも無くこうしてお茶を頂くのは申し訳ございません。私自身で何か出来ないか考えましたが、良い案が思いつかず…なので、恥ずかしながらこうして伺ったわけです。
と、答えられた。きっちりとした方だ。今日日中々こういった人はいないんじゃないだろうか。
これは、きちんとお答えしないと納得されないだろうな…ノボリさん。ほら、今もこうして「何でもおっしゃってください!」と力強く見ておられる。気迫さえ感じられる。
うーん、ノボリさん、かあ…ノボリさん…ノボリさん…… うーん…あ。
「…じゃあ、採寸、させてください…」
と、いうわけで、冒頭の言葉になる。
…ノボリさん、良い体しているから、実は以前から気になっていて。だって、あまりこんな綺麗な体型の人、居ない。
…小首を傾げたまま、ノボリさんは何も言ってこない。
ひかれた、かな。でも、それしか正直思いつかなかったから。どうしよう。沈黙が気まずい。やっぱり止めて、じゃあ、次までに考えておきます、って言ってしまった方が良いのかな。うん、その方が良い。
「受けて立ちましょう」
大真面目な顔で、おっしゃった。
そんなに気合が必要なら、断って良いですよ…。
…まあ、断るはずも無く。私の体でよろしければ、どうぞ、好きに測ってくださいまし、と椅子から立ち上がって、両手を広げて差し出されてしまった。けど、お茶飲んでからにしませんか、と言えば、座って従ってくれた。
どうぞ召し上がってください、とパウンドケーキを指し示す。はい、頂きますと返事。
ノボリさんが受け取ったのを確認して、私もお皿から取る。ノボリさんに倣って、頂きます…うん、美味しく出来た。しっとりとしている。狙い通り。
真向かいの彼を見つめれば、一口一口味わって、ゆっくりと嚥下。アッサムにミルクを注いで、ティースプーンで混ぜて、ごくごく、と飲まれた。喉仏が上下に動いている。
丁寧な所作…ある意味女性的なのに、喉仏がごくごく動いている、男性らしさを見て、その対比にどきりとさせられた。
ノボリさんって、男性なんだな。あ、目が合ってしまった。うーんと。
どうでしょうか、と伺う。
「美味しいです。幸せな気持ちに、なります。アッサムとの相性もやはり良くて、お互いを引き立てておりますね」
「そ、そうですか…ありがとうございます」
ほんの少し目尻が下がって、幸せそうな目をしている。私の作ったパウンドケーキをそう言ってもらえるなんて、なんだか照れる。
気持ちを誤魔化そうと、私もアッサムを飲もうとミルクを入れて、混ぜる。一口。染みる、そんな言葉が浮かぶ。美味しい。
ノボリさんがふふ、と笑った。どうしたのかな。カップから口を離して、見やる。
「貴女様も幸せそうに召し上がるのですね」
「………う、そうで、しょうか」
「ええ」
照れる。そんなことをおっしゃる貴方も十分幸せそうでしたよ。
そんなことは言えず、アッサムに夢中なふりをする。
そういえば、採寸。勢いで言ってしまったけど、一度測ったら終わりだな。三十箇所程度もあるけど、お仕事上手馴れているので時間は掛からない。
今日測り終わってしまったら、ノボリさんはまたお礼させて、と言ってくるだろう。さっきみたいに。
どうしようかな。気にしなくてもいいのに、気にする人だろうし。…そうだ。
「ノボリさん」
「は、い。なんでしょうか」
「採寸ですけど、一度ここにいらっしゃる度に、一箇所づつ測らせてもらうのはどうでしょうか」
「そ、れは。一箇所の採寸に対して、こんな立派なお茶とお茶請けまでもらうのは、忍びありません」
「じゃあ、その代わり。採寸が終わるまで、ここに来て頂けませんか…一人のお茶より、誰かと飲むお茶のほうが美味しいです。あ、それと、お直しもあったらぜひ」
お願い致します、と微笑めば、また少し見開く瞳。解ってきた、この行動は私が笑うとするみたい。何故かは解らないけど。
ノボリさんは一度俯いて、顔を上げた。そして、いつもの不器用な笑顔だけど、ちょっと困ったように言ってくれた。
「かしこまりました」
そんな訳で、今日の採寸は腕丈。細いながらも引き締まった男性らしい腕を見させてもらって、肩の面の切替から肘、小指側にある骨とメジャーを押さえていくと、二十代男性平均寸法よりも十センチほど長い寸法が出た。平均身長よりも結構高いから当たり前だけど、中々いない、こんな寸法の人。
本当に測らせていただいてありがとうございます、とお礼を言うと、ノボリさんは少しだけ頬を赤く染めつつ、照れながらも、いいえ、とおっしゃった。
…腕を見せるの、恥ずかしかったのかな。誇れる良い腕していると、思うけどな。
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