ミシンを踏みながら、布をおくる指先の感覚は鈍い。少し、冷えてしまっている。なんだか、鼻先も冷えている感覚。
ああ、冬だな。
ストーブ、出してもいいかな。このくらいの冷え込みなら。指が悴んで仕事ができないなんていけない。
ストーブを出してこなきゃ。出したら少し掃除して、調子を見なきゃ。
押入れの奥にしまってあったストーブを引っ張り出して、点検。袋を被せていたから、埃はついてないと思うけど、さっと乾拭きで拭きあげる。一応空焚きして、目詰まりしないように。
仕事場に持っていく。本当に重いけど、毎年のことだから慣れっこ。うちのストーブは大きいランプみたいな形をしていて、お気に入り。点けるとオレンジ色の光が、ぼんやりと辺りを包んでくれる。心地がとても良い。
灯油を入れる。蓋を閉めて、スイッチを入れる。
もうちょっと経ったら、暖かくなってくると思う。それまでちょっと、お茶を飲もうかな。ちょうど三時のおやつの時間だ。
寒さに耐えながらお茶を入れた。今日は、アールグレイの気分。ベルガモットの香りが、心を落ち着かせてくれる。
ティーポットに抽出して、保温カバーをかける。カバーはいつかキルティングの生地が余っていたから、適当に作ったもの。
お茶請けは、オレンジピールの入った貝殻型のマドレーヌ。
私の家兼仕事場は、親から譲り受けたもの。なので家賃がない。だから、その分お茶とお菓子にちょっとお金を掛けてしまう。
ここは寒い。もうそろそろ戻ろう。ストーブもきいてくる頃だろうし。
トレンチに一通りのせて、仕事場に。早く飲みたいな、なんて考えて仕事場に着けば、ほんわりとした調度いい暖かさ。
トレンチを、いつもはお客様に座ってもらうテーブルに置く。ちょっと気になって、扉の方を見やれば。
シキジカが店の扉の前に立っている。朝、もう寒いから出ないほうがいいよ、あなた寒いの苦手なんだから、と窘めたけど、聞いてくれなかった。どうしても自分で外の様子を確認したかったみたい。
いつも夕方とか暗くなりかかっている位に帰ってくるから、この時間に帰ってきたということは、我慢したけど耐えられずに戻ってきた、ということかな。
扉を開けてやれば、冷たい冬の風が吹き込んできた。結構寒いな、と考えつつ下を見れば、ちょっと困った顔のシキジカがいた。本当に寒かったらしくて、こげ茶の体がちょっと震えている。
「本当に寒かったでしょ」
シキジカは、こくんと頷く。
「ストーブ出したから、暖まって。風邪引いちゃう」
シキジカは、うんうん何度も頷いた。
あ、ちょっと涙目。反省しているみたい。
部屋に入ったシキジカは、ストーブに気がついて駆け寄った。早いな、なんて私もストーブに当たろうと近づく。暖かい。
シキジカは目を瞑っている。暖かさが染みているみたい。そうだ、押入れにシキジカ用のクッションがあった。出してあげよう。
「…、いらっしゃいませ。申し訳ございません」
「いえ、お気になさらず」
仕事場に戻ると、ストーブの前にサブウェイマスターさんが居た。隣に嬉しそうな顔をしたシキジカ。不意打ちで、ちょっと驚いてしまった。シキジカが案内してくれたのかな。
ノッチドラペルではなく、細めのテーラードカラー、そしてシングルブレストでウエストをやや絞った、太腿くらいまでの裾広がりのシルエットが美しいブラックセミ・チェスター。仕事兼用で使っているのかな。ドレッシーなコートでもあるけど、彼によく似合っている。仕立ても綺麗。インナーはタートルネックのカットソー。パンツは、よく見たらグレンチェックのウール地のストレート。けど、彼自身の足が細いから、スキニーに見えなくもない。グレーに黒の柄だから、ダークグレイに見える。
今日はお休みなのかな。あのスーツを中に着ている訳ではなさそうだし。
でも、いつもながらきちっとしている格好。
「本日は受け渡しでよろしいでしょうか」
「ええ。お願い致します」
「はい、かしこまりました。お時間ございましたら、紅茶、お入れいたしますけど…」
「そちらもお願い致します」
「かしこまりました。では、こちらに…」
と、言ってテーブルを見て気付いた。お茶、自分用に作って置いておいたんだっけ。
うーん、どう言おうか。
「すみません、片付けますので…」
なんて言っている間にサブウェイマスターさんはテーブルに近づいていって、ティーポットの保温カバーを外した。
そんな行動に出るとは思わなかったから、びっくり。
次は何をするのかな、と見守っていると。
「アールグレイですか」
香りで分かったみたいだけど…。いつものアッサムじゃないけど、飲みたいのかな。
「はい、そうです…」
なんて、気の利かない返事をしてしまったんだ、私。お飲みになりますか、とか聞けることはあったでしょう。
ちょっと拱いていると、サブウェイマスターさんは口を開けた。
「一緒に飲みませんか」
あの不器用な笑顔を浮かべて、言った。
…どういうこと?そのままの意味?
「え、っと。一緒にお茶を飲むっていうことですよね?」
阿呆なことを聞いてしまった。サブウェイマスターさんの言ったこと、そのまま繰り返しただけだ。
「ええ。お時間がございましたら如何でしょうか」
時間はありますけど…。お客様にこんなこと、言われたことがないから、どう返していいのかが分からない。
…うーん。
どうしよう。 …うん。
「…はい。お邪魔、しないのなら」
「邪魔など。そんなことは毛頭ございません。お気になさらず、共にアールグレイを楽しみましょう」
また不器用な笑顔。
…やっぱり紳士だな、サブウェイマスターさん。
シキジカを見れば、嬉しそうな顔に、尻尾まで振っていた。
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