「本日はこちらを直していただきたいのです」
そういって、サブウェイマスターさんが出したのは、黒いシルクのデジンで出来た、落ち感がとても綺麗なノースリーブブラウス。大きいフリルカラーが目を惹く。うーん、これはもうフリルカラーというよりピューリタンカラー、というべきかな。
きっとこのカラーは着た時に、バストの膨らみを美しく魅せてくれると思う。右前だから、女性ものだし。
誰のかな。とにかく、ご案内。
「はい、かしこまりました。点検いたしますので、こちらに座ってお待ちください」
「はい」
「それと、お茶、飲みますか」
ちょっと緊張する。お客様にこんなこと言う事は、初めてだから。
顧客様といえる方々はいるけど、こちらからはお話しない。顧客様のお話に対して、必要に応じて答えるだけ。それか、聞いて相槌をうつだけ。自ら、何かを話すことが無かった。
サブウェイマスターさんは、への字口のまま、少し目を見開いた。ちょっと怖い。
「あ、えっと、お時間があれば、ですが」
「…ええ、もちろん。頂きたいです」
眦が、緩んだ。そうして、口角が少し上がる。
この笑顔(と、いっていいのかな)を見るのは二、三回目だけど、私の目にはとても不器用な笑顔に映った。本当に嬉しいのは伝わってくるけど、上手くそれを笑顔に消化できない、というか。そんな印象。
サブウェイマスターさんって社会的地位もあるし、身なりもきちんとしているのに、笑顔は苦手なのかな。
お茶、出すって約束したし。探して見つけた当たりの紅茶を、嬉しそうに飲むのを楽しみにしてくれているわけだし。ちょっと気合入れて作ろう。
「かしこまりました。少々お待ちください」
「はい、お願い致します」
サブウェイマスターさんは、テーブルにつく。そうすれば、ライブキャスターを弄りだした。やっぱり、黒。
私は裏に行って、紅茶の準備。いつも通り抽出して、前回と同じフチに濃紺のラインが入った白いカップとソーサー。そして、今日のお茶請けはいちじくのパウンドケーキをちょっと。案外、こういうのも好きなんじゃないかな、彼は。
「お待たせしました」
「はい、ありがとうございます」
テーブルに紅茶とミルクや砂糖が入った籠を置く。それから、お手拭。正直なところ、ストレートかミルクのみでパウンドケーキを楽しんでほしいものだけど。まあ、好みは人それぞれだし。
サブウェイマスターさんを見れば、イチョウの葉っぱを持っていた。茎の部分をつまんでいて、眺めていたみたい。私の視線に気付いて、肩をほんの少し揺らして、慌てたようだった。
「すみません、勝手に触ってしまって…」
「いえ、お気になさらず。お気に召されましたか」
「ええ。もう秋も終わりですので、少し思い耽ってしまいました。綺麗な葉ですね」
「そうですね…。その葉は私の手持ちのシキジカが、探してくれたものです。お気に召されたようで、良かったです」
「こちらこそ、こういったものを見せて頂き、ありがとうございます」
切れ長の目と、合う。サブウェイマスターさん、整った顔をしている。綺麗な人だと、思う。
「いえ、ありがとうございます。では、点検して参りますので、少々お待ちください」
笑顔で言って、目線を外す。
今更だけど、こんな人がうちを利用してくれて、なんだか変な感じ。いや、有難いのだけどね。うちに来てくれるお客様の中でも、余り居ない人だから。年配の方が多いし。
よし、仕事に集中しよう。
まじまじ見れば、本当に美しいブラウス。お直し箇所は、と。大きなカラーの裾が、解れている。きっとどこかで引っ掛けてしまったのかな。他も見てみる。綺麗に手入れされているみたい。汚れも無いし、解れもない。丁寧に着られている様子。質も良いし、縫製も綺麗だし、長く着られる品。お直しし甲斐があると、勝手ながら感じてしまう。
点検終了。
サブウェイマスターさんを見れば、紅茶を飲みつつ、ライブキャスターを見ている。お仕事か何かで連絡を取っているのかな。
点検は終わったけど、好きな紅茶を飲み終わってないし、ちょっと待っていよう。なんて思っていたら。
外に遊びへ行っていたシキジカが、店の扉の前に立っている。珍しい。こんなに早く帰ってくるなんて。
サブウェイマスターさんに伺いたててみよう。
「すみません、お客様。私の手持ちが帰ってきたので、出迎えさせていただいてもよろしいでしょうか。点検自体は終わったので、もしお急ぎでなければ…」
「ご丁寧に、ありがとうございます。私はアッサムを楽しんでおりますので。急いでおりませんし、お気になさらずどうぞ」
あ、初めて一人称を聞いた。わたくし、って。中々居ないと思う、私って一人称の人。でも、なんだかしっくりくる。
許可も頂いたことだし、扉を開けてあげに行く。
「シキジカ、どうしたの。珍しい…って」
開けてみれば、嬉しそうに尻尾を振って、三枚、イチョウと紅葉の葉を咥えているシキジカがいた。やっぱり、どれも傷が無くて綺麗。
「…おじいさんが喜んでくれたから、また集めてきたの?もう」
頭を撫でる。嬉しそうに目を細めてくれた。
店の中を見て、シキジカはお客様が居ることに気がついたみたい。私の手から離れて、中に入っていく。何をするのかな、と見ていれば、紅茶を飲むサブウェイマスターさんの所にいって、葉っぱを差し出した。
吃驚した。賢い子だから、自分中心に行動しない子なのに。
シキジカはこっちを見て首を傾げた。どうしたの、とも言いたそうに。
サブウェイマスターさんは紅茶を楽しんでいるから、邪魔になる…と思い、駆け寄ろうとしたら。
「ありがとうございます。頂いても?」
彼は受け取ってくれた。わざわざ、椅子から立って、シキジカの目線に合わせて屈んでくれて。
シキジカはこくん、と頷いて葉っぱを渡した。サブウェイマスターさんは受け取った葉っぱを見て、シキジカを撫でてくれた。嬉しそうにしている。
「すみません、お邪魔してしまって…」
「いいえ、頂けて嬉しいですよ。ありがとうございます」
不器用な笑顔を浮かべてくれた。こちらこそありがとうございます、と言えば、いえ、と言って、目を細めて、元々上がっていた口角を少し上げてくれた。
シキジカは、あげて喜んでくれたことが嬉しいのか、私の足に鼻を押し付けてきた。
サブウェイマスターさんは紅茶を飲み終わっていたよう。点検して分かったお直し箇所を伝えて、だいたいの代金を伝える。
お直し自体簡単なものなので、直ぐ出来ますが、と伝えると、また別日に伺います、とおっしゃった。
「アッサム、ありがとうございました。お茶請けとも合っていて、美味しく頂きました。では、また。よろしくお願い致します」
シキジカの頭を撫でて、出て行かれた。
もしかして、時間がなかったのかな。悪いことしてしまったかもしれない。
シキジカを見やれば、まだ嬉しそうにしている。まったく。
片付けと思い、テーブルを見やれば、またまとめられていて。あ、ミルクしか使ってない。パウンドケーキと合わせて、味わってくれたのかな。
次いらっしゃったら、謝らないとね。
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