思い返せば、彼は長くうちを贔屓してくれている。





「いらっしゃいませ」



 暑い夏が終わり、木々が紅葉を始め、秋が深まってくる頃だった。
 その日は少し寒くて、ずっと愛用している麻と毛の混紡でできた薄手のカーディガンを押入れから出して羽織って仕事をしていた。だからか、よく覚えている。



「こちらを直していただけますか」



 男性だった。初めて来る人。聞きやすい低音の声。意思の強そうな切れ長の目。撫で付けた髪。すらっとしていて背が高くて清潔そうな人。無駄のない、引き締まった体。丁寧な物腰。少し下がっている口角。無表情で特徴的なもみあげ。身に着けているものが殆ど黒。着込んでいる服は仕立てがきちんとされている。なおかつ、良い生地使っている。デザインはよくあるテーラードジャケットにスラックス。けれど、この人の体を綺麗に見せている。オーダーメイドの品、だろうか。

 そんな彼は片手にハンガーにカバーが掛かったものを差し出してきた。



「拝見致しますね」


「お願い致します」



 真っ黒なスラックスが掛かっていた。これもまた良い品。愛用しているのか少しくたびれた印象。裾を見れば、解れていた。



「ここの裾をお直しすれば、よろしいのでしょうか」


「はい」



 このくらいの解れなら十分程度でできるけど、多分他の箇所でも何かお直ししないといけないところがあると思う。ぱーっと見ただけでもポケットの口が傷んできているみたいだし、ベルト通しも危なそうな所があるし。

 どうしようか。



「お客様、こちらの解れは直ぐに直せますが、他にもお直しをした方が良い箇所がありますがいかが致しましょうか」



 スラックスをテーブルの上に広げて、見せる。



「どちらの箇所でしょうか」


「まだきちんとはすべてを見ていませんが…ここのベルト通しとポケットが…」


「……ああ、気がつきませんでした…。けれど、これは直ぐに着たいものでして。とりあえず、裾だけ直していただけますか」


「かしこまりました。十分ほど頂ければ直せますが…」


「十分、ですか。助かります」



 ほんの少し、口角が上がった…様に見えた。
 ちょっと話してみて思ったけど、丁寧な言葉遣いをする人だな、と感じた。それと、あんまり表情の起伏がない人だ、とも。



「…あの、できるまでここで待っていてもよろしいでしょうか」



 こちらを伺うように見る。
 まあ、そういうお客様は珍しくない。なので、ちょっとしたテーブルと椅子を置いてある。こげ茶色で、木でできた年代もの。私のお気に入り。



「はい、構いませんよ。こちらでお待ちいただけますか」


「ありがとうございます」



 そのテーブルにご案内する。ちょっとこの人じゃあ、窮屈かな…。申し訳ないけど、我慢していただこう。
 お客様はそこに座れば、手に持っていた黒い本皮の鞄から、これまた黒いカバーの掛かった本を出した。黒が好きなのかな。



「あまりお急ぎでないようでしたら、お茶をお出ししますよ」


「ありがとうございます、お願いできますか」


「はい、かしこまりました」



 これも待つお客様に始めたサービス。裏に行って、お湯を沸かしつつガラスのポットにアッサムの葉っぱを入れて、其々のフチに濃紺のラインが一本入った白いソーサーとカップと、シルバーのティースプーンをセット。お砂糖とミルクが入った小さい木製の籠を用意して、袋に入ったクッキーを一枚、ソーサーに置く。
 お湯が沸いたらポットに入れる。フタをして、葉っぱが開いたら茶漉しで漉しつつ、カップに入れる。完成。
 トレンチに一通りのせてお客様に。



「お待たせしました、こちらを飲みつつ、少々お待ちください」


「はい、ありがとうございます」



 さて、私も作業に移らなければ。







 時間はぴったり十分。うん、綺麗に出来た。表にもひびいてないし、良い感じ。
 お客様は真剣に本を読んでいた。お茶も飲んでくれたみたいだ、ここから見る限りでは全部飲んでくれたみたい。
 ちょっと話しかけづらいけど、待たせるわけにもいかない。



「お客様、お待たせ致しました。ご確認をお願いします」


「はい、ありがとうございます。確認致します」



 お客様の近くに寄って、確認してもらう。お客様はぺろ、と裾の裏を見る。
 いつもこの瞬間が緊張する。手は抜いてないし、きちんとやってるつもり。でも、緊張はする。色々な人がいるから、良し悪しがその人によって違うから。



「はい、ありがとうございます。きちんと仕立ててくださって」



 よかった、お気に召していただけたようだ。



「ありがとうございます、ハンガーに掛けてきますね」


「お願い致します。お代はいくらでしょうか」



 お客様の方を見て、私は微笑んだ。



「うちでは初回の方からは頂いておりません。お気に召して頂けたら、次回もご利用してください。お待ちしております」


「…そうですか。では、次回またこれを直しに伺います」


「ありがとうございます」



 作業台に戻って、ハンガーに掛け、カバーを掛ける。
 代々続くうちのお店。このやり方は先代と同じやり方。これだけは続けていきたい、と思い私の代でもやっている。
 私の技術、直し方を見てもらってから、判断してもらいたいため。さっきも言ったけど、様々な人がいる。気にいってもらえたなら次も来てくれればいいし、気に入らなければ次は来なくて良い。私のやることは変わらない。
 直してもらっても着たいと思える服だから、それくらいしないとお客様が可哀想。



「できました、お待たせ致しました」


「ありがとうございます、また伺います。アッサムもありがとうございました」


「いえ。お待ちしております、ありがとうございました」



 お客様は会釈をして出て行った。無表情だけど、気遣える素敵な方だったな。若いけど、紳士、だった。
 そうだ、カップやら片付けなければ。テーブルの上を見やれば、ゴミをきちんとまとめて置いてあって、カップやら砂糖とかが入った籠やら一箇所に集めてあった。
 できた人だなあ、と感心してしまった。





 それが、彼との出会い。








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