マツバってジムリーダーだったの…。驚いた。本当に驚いた。
私が知っているエンジュのジムリーダーは渋いイケメンなおじさまだったはず。と、いっても十数年前だけど。
私は一応エンジュの孤児院出身。物心ついた頃、両親はもういなくてすでに孤児院で生活していた。食べるものに困ることなく成長していって、スクールも通わせてもらった。
この世界でポケモンとヒトは生活に密着していて切っても切れないもので、孤児院でもブーバーがいた。彼は手先が器用で火も吹けた。孤児院の先生は有り難いわあ、と言っていたのを覚えている。まあ、私はそんな彼とよく遊んでいて、ポケモンを身近に感じていた。
普通の家庭の子供は十歳になったらポケモンをパートナーとして旅に出るのだけど、孤児院だし、一般家庭とは違う。ポケモンを持つことさえ禁止されていた。そりゃそうだ。食い扶持増えるからなあ。
でも、私はブーバーと触れ合って、スクールの友達の話を聞いて、ポケモンは沢山いるんだって知って、他のポケモンに会いたくなった。
抑えきれない好奇心を抱えて、友達に譲ってもらった一つのモンスターボールを持って四十二番道路に駆けた。けれど、スリバチ山入り口前で怖くて戸惑ってしまって、近くにある水道の水面を見ていた。
そうしたら、シェルダーが流れてきた。子供の私でも分かるくらい弱っていた。ポケモンに詳しい友達が四十二番道路に生息しているポケモンを教えてくれたけど、シェルダーは生息していなかったはずだ。
右手にはモンスターボール。私は咄嗟にボールを投げた。この日のために練習してきたから、コントロールは完璧だった。なので、見事ゲットできた。
私は猛ダッシュでポケモンセンターに走った。トレーナーカードがないと利用できないけど、シェルダーの様子を見たジョーイさんは、そんなことも確認せずに治療にあたってくれた。
シェルダーは誰かに捨てられたみたいだった。捨てた人はせめてもの、と思って水道に捨てたみたいだけど、そこに生息していたポケモンと折り合いが悪かったみたいで喧嘩したらしく、怪我して気を失って流されてしまったらしい。と、ジョーイさんがいっていた。
完治するまでポケモンセンターで預かってくれるらしい。お願いします、と言って私は孤児院に帰った。
絶対一緒にこの子と旅に出るんだ、と決意した時だった。孤児院にはお世話になった、という気持ちももちろんあったけど、それより私は旅に出たいという気持ちが強かったのだ。
これが八歳の時。まあ、そういった訳で、十歳でスクールを卒業した時、孤児院の人と話し合って旅に出る許可をなんとか毟り取って、旅立ったのだ。
シェルダーはずっと隠し持っていて、人目につかないよう鍛えてきた。
私には旅をするということが希望でしかなかった。
それから、旅をして今日に至るまでエンジュシティに帰ってこなかった。
思い返してみると…そうだった、モンスターボールをくれて、ポケモンの知識を教えてくれた友達っていうのはマツバだったんだ。
頭の中で思い出が繋がっていく。
高速船で会ったときはきちんと思い出してなかったけど、スズネの小道でよくマツバに色々教えてもらっていた。学校も一緒だった。
お礼、ちゃんと言えてなかったなあ。
「僕の仕事、分かったでしょ」
仕事帰り、桟橋を歩いているとヤミラミとマツバが水面を見ていた。
私が話しかける前にこちらに気付いて手を振ってにこり、とマツバが笑いかけてきた。初めて見る笑顔だった。いつもはとろん、と笑うのに。
…何か、意地の悪い笑顔のような気がするかな…。
引きつった笑顔で私は返事を返す。
「うん、ジムリーダーだったんだね…びっくりしたなあ…」
「でしょ。逆にシュスが知らなくて驚いたよ」
今度はとろん、とした笑顔。ああ、マツバの笑顔小さい時から好きだったなあ。
「…もう、意地悪じゃないかな」
「そんなことないよ」
「…まあ、いいけど。それより、また水面見に来てたの?」
「うん。ヤミラミのお気に入りみたい、ここの水面」
ヤミラミは微動だにしない。大丈夫かな?人形とかじゃないかな、と思わせるくらい微動だにしない。
そんなヤミラミを見つつ、マツバに問う。
「マツバ、私きちんと思い出した。よくスズネの小道でポケモンについて教えてくれたよね」
「ああ、そうだったね…懐かしい。モンスターボールもあげたね」
「そう!おかげでシェルターをゲットできたよ…あのね、お礼言ってなかったよね」
マツバの瞳を見て。お礼を言う時は相手の目を見て言わなくちゃいけない、と教えてくれたのは誰だったかなあ。
「ありがとう」
マツバの瞳は、深い紫。この辺じゃあんまり見ない色。きれいな色。幼い頃、憧れていたなあ。あ、少し瞳が揺れた。…動揺?
一回、ゆっくりと瞬きをしてから目線が外れた。ヤミラミを見る。
「…シュス、なんで旅に出ちゃったんだい?」
再会してから初めて聞く声だった。…ううん、出会ってから初めて聞く声。自信がない、というか…怖いのかな…。今まで話してきて、マツバは常に芯が通っていて、揺らぎなかったように感じていた。飄々としているようだけど。そんなマツバがこんな声を出すなんて、驚いた。
言葉をちゃんと選んで話さないと、と思わせた。
「…私の生まれは覚えている?」
「…ううん、そういうこと話したことなかったね」
「そうだっけ…私はね、孤児院育ちなんだ。親の顔は知らない。孤児院はきちんと私が生きていけるためにスクールも通わせてくれたし、食べるものと寝るところも与えてくれた。けど、早くここを抜け出して自由になりたいって思っていたんだ。当時の私の第一優先事項はそれだった。何よりもね。だから、旅に出たの」
「……そう」
マツバの目線はまだヤミラミのままだった。だから、表情を見ての心情を察することは出来ない。ちゃんと、マツバが分かってくれるように私は話せたかな。誤解がない様に話せたかな。
「僕、君が卒業と同時くらいに旅に出たって噂で聞いて悲しくなったよ。何かしたのかな、とかネガティブになったりしたんだよ」
「…ごめん」
「…でも、その話聞けて良かったよ。話してくれて、ありがとう」
やっと目線を合わせてくれた。マツバの表情は柔らかくて晴れ晴れしているようだった。良かった。私はちゃんと話せたのかな。
…でも、私、記憶の中ではちゃんと、マツバに育ちのこと話しているんだけど・・・違ったっけなあ。
←