後追い心中
あと‐おい〔‐おひ〕【跡追い/後追い】
[名](スル)
1 後ろから追うこと。
2 人の行為や作品などをまねること。「―企画」
あとおいしんじゅう【跡追い心中】
死んだ恋人や夫または妻を慕って自殺すること。
あいつが死んだ。口喧嘩の末に、「お前なんて死んでしまえ」と言って部屋から追い出したその晩のことだった。
元は、あいつが約束を破ったのが悪いんだ。僕の言うことはちっとも聞かない癖して、自分のわがままを貫き通すあいつは本当にどうしようもない。その日は僕もあいつも疲れていて、苛立っていた。それで、僕があいつに文句を言って、そこから口喧嘩になった。
こんなたわいない口喧嘩は、ありふれた日常の一コマだったはずなんだ。それなのに。殺しても到底死ななそうだったあいつはあっさりと、僕を置いていってしまったのだった。飄々としたあいつには不釣り合いな、自殺という形で、この世に別れを告げて。
最初の一カ月は、後悔の毎日だった。もしも僕があの時追い出さなければ。死んでしまえなんて言わなければ。あいつは、とずっと考えていた。
三カ月もたつと、何かをするたびにあいつを思い出して、耐えがたいほどの空虚さが僕を襲った。
日常の何でもない、ふとした瞬間に「もうあいつは居ないんだ」と思い出して、死にたいほど死にたくなった。言葉は変だが、まさにそれなのだ。僕はもう二度と、あいつと小さな幸せだとか、どうでもいい不満だとか、そんなものを共有できない。そんな感情が、僕を支配してしまうのだ。そうなったらもう、何も手につかない。廃人のように毎日を過ごした。
そして、四カ月が経とうとした頃。『自殺した人はあの世に行けなくて、ずっと死んだ瞬間を繰り返すんだって』といった噂を小耳にはさんだ。
その瞬間、僕は『あぁ、これだ』と思った。それからは生きるのが楽になった。毎日、あいつが死んだ場所に足を運んだ。一人で飛び降りるあいつのそばに寄り添えている気がして、毎日、毎日。だけど、きっとそれは気のせいなんだろう。だって、僕には飛び降りるあいつの姿なんか見れなかったから。それでも、僕は信じたかった。あいつは今もここから飛び降り続けてる。僕は最後の瞬間に寄り添い続けている。そんな風に。
待ちに待った今日。あいつが死んでから一年経った。
何度も死に続けるあいつと心中するために、僕は今日もここに立っている。もしかしたら、同じ日の同じ時間、同じ場所で死ねば、僕はあいつと心中したことになるのではないか?と思ってのことだった。
そうだ、これは僕にとっては紛れもなく心中なのだ。ただの後追い自殺に相違ないが、僕にとっては少し遅れたあいつとの心中。これが僕のあいつへの気持ちに対する答えだ。
ほら、もう時間になる。あの時、あいつが死んだ時間。そして、僕が死ぬ時間。思い残すことはない。幸せだ。
同じ場所から飛び降りて、同じ景色を見る。あいつと一緒に死ぬんだ。僕の死は幸福な死だ。きっと、この先ありえるだろう死に方なんかより、ずっと。だって、僕の死の瞬間は一人じゃない。あいつと一緒に死ねるなら、行き先が地獄であろうが、この場で何度も死を繰り返そうが、僕は幸福なのだ。
「迎えに来たよ、」
飛び降りるのって怖いんだな。地面につくまで考える時間がある。あいつはこの瞬間、何を考えたのかな。僕のこと、思い出してくれたのかな。
今までの思い出が浮かんでいく。これが走馬燈か。思い浮かぶのはあいつの顔ばかりで、あいつの記憶と共に死ねるのならこれ以上ない幸福だと思った。
そして、地面と接触するその間際、共に落ちていく、あいつの安心したように笑った姿が見えた気がした。
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