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不意にケータイが鳴った。単調なメロディ。それに合わせる振動。小林は帳簿をつける手を止め探した。普段使わないものだから、どこにあるのか定かでない。送信者も内容も予想がついたが、一応確認しておく。


澤村:迎え。


やっぱり。用件はいつもそれだけ。また「フラれた」のだろう。返信しようとしたが止めた。そんな暇があったら早く店に行けばいい。遅れるともっと不機嫌になるのだ。帳簿をつけるのは後にして、サイフとケータイだけ持って家を出た。







「遅ぇ」


店に着くと思った通り澤村は出来上がっていた。焦点が定まっていない。グラスを傾けるが、口の端から酒がこぼれる。小林は眉間にシワ寄せ、グラスを取り上げた。


「飲みすぎだ」


「慰めろよ、まず」


「いい加減にしろ。帰るぞ」


これで何度目のやり取りなのかも忘れた。苦情を言っても聞き入れてくれないのはわかっている。澤村はいつだってそうだ。身支度を整えてやり、会計を済ませる。もちろん澤村の財布から。小林は慣れた手付きで軟体動物と化した澤村を背負った。


「いつも大変だね、小林君」


「もう慣れました」


マスターの労いに、いつもの仏頂面が少しだけほぐれた。




澤村は小林が上南高校バスケ部に在籍していた頃の後輩である。仲がよかったかといえば、そうでもない。むしろ最悪だった。賭け事大好き、体力はない、そのくせ練習はサボるといった、部活にあまり積極的でなかった澤村とは相性が悪かった。そして澤村も小林が気にくわなかったらしく、事ある事に突っかかってきた。さらに不幸なことにこの体力なしのサボり魔は、小林が尊敬する桜井に勝るとも劣らないPGの素質を備えていて、プレー中に限っては小林と相性がよかった。澤村のフェイクやトリッキーなプレーについていけるのは、仲のいい成瀬と小林ぐらいだった。だから部のために、お互い妥協点を決め、折り合いをつけてやってきた。多少の小競り合いはあったが、まあまあ上手く付き合っていた。だが、卒業した今も交流が続くとは思いもよらなかった。

なぜこんな面倒なことを引き受けてるのかわからない。もしかしたらとっくにわかっているのかもしれない。だが、小林はずっと、わからないふりを続けている。







澤村の部屋は寒々しい印象を受ける。生活に必要な最低限のものしか置いてないせいだ。中学の頃から一人暮らしをしていたというから、削れるとこはとことん削ってきたのだろう。ベッドに家主を横たえ、水を汲みに台所へ向かう。一人用の冷蔵庫にはチラシや安売りのメモがたくさん貼ってある。澤村らしい、と思わず口元がゆるんだ。


「ほら、水」


「いらねぇ…」


「口をこじ開けられたいか」


脅すと渋々飲んだ。まだ酔いが覚めないのか、目がトロンとしている。整った顔立ちの澤村が隙を見せると、色気のようなものを感じる。


「じゃあオレは帰る」


「待て」


「何だ」


「もうちょい、ここにいろ」


居丈高な物言い。しかし小林のシャツの裾をつかむ手は遠慮がちだ。


「…寝たら帰るぞ」


ふ、と返事と思われる音がした。小林は肯定だと解釈した。つくづくどうかしてると思う。握られた手を振り払えない。邪険にできない。相手は澤村なのに。
しばらくすると澤村が不機嫌そうにうなり出した。収まりが悪いのかと腕を肩の下に滑り込ませ、移動させようとした。しかし澤村は寝返りをうって小林の腕を枕にしてしまった。


「おい、」


「高さちょうどいい」


機嫌よく微笑む。いつもの不敵な笑顔より、この表情の方がよっぽど可愛いげがある。文句を言っても聞き入れられないのが常なので抗議はあきらめた。そのまま黙っていれば寝てしまうだろう。しかし小林はあえて話しかけた。


「澤村。いい加減こういうことは止めろ」


「こういうことって」


「好きでもない相手と適当に付き合って別れるなんて不毛なことを止めろと言ってるんだ」


女に興味ない、と言いながら澤村は女子にモテる。バスケ部の時はファンクラブまであった。貴理子の隠し撮り写真の売り上げも澤村の人気によるものが大きい。本人はマージンがこないという点以外興味がないようだったが。

そんな澤村も最近は彼女を持つようになった。相手はいずれも眉目秀麗。品行方正なお嬢様から、はつらつとしたボーイッシュな子まで、いろんなタイプと付き合う。しかし最長で一ヶ月、最短では3日で別れてしまう。「フラれた」と言うが、話を聞くとどう考えても澤村がフったとしか思えない。


「相手を傷つけて、お前も傷ついてる。下手に断るよりタチが悪いし、無意味だ。だから」


「意味はあるよ」


きっぱりとした口調で話を遮った。いつもの不敵な笑顔を貼り付けて。


「手当たり次第当たってけば、いつかあきらめられるかもしれないだろ?」


「何を」


「本命を」


胸に重りをぶら下げた気分。小林はできるだけさりげなく澤村から視線をずらした。


「…酒に溺れるほど傷ついて何になる。そもそも、後始末にオレを呼ぶな。オレは気の利いたことは言えん。成瀬とか楠田さんを呼んだらいい」


「あんたは楠田がオレを持ち上げられると本気で思ってんのか。あいつ胸はデカいけど力ねぇぞ。あと成瀬はパス。あいつお節介だから説教で夜が明ける」


「お前を心配してるからだろう」


「小さな親切大きなお世話、ってな。その点、あんたなら口うるさくない。頼まれると断れないから最後まできちんとやる」


口の端から呼気が漏れる。澤村は笑っていた。貼り付けた笑顔ではない、自然な笑顔で。


「あんたのそういうとこ、オレは好きだぜ?」



どうしてお前は、笑って言える。


オレが口にしようとするたび息苦しくなるその言葉を。



「きっとオレとあんたは似てるんだ。あんたは不本意だろうけどな。だから…つい頼っちまうんだよ」


言葉の最後はフェードアウトしていった。ゆるゆると瞼が閉じられ、深い呼吸音が聞こえ始めた。腕にかかる重さが増す。小林はそっと腕を引き抜いて布団をかけ直した。




さっきの言葉を都合よく解釈しようとする自分に嫌気が差す。



澤村の「本命」は誰か。そんなの考えればすぐわかる。澤村をバスケ部に入れたのは?澤村が口答えしない唯一の人物は?


こっぴどくフラれたらあきらめもつくだろう。それなのに踏み込みもせず、引き下がりもせず、ずっと立ち尽くしている。不毛なのは小林も同じだ。


「ケリをつけるなら早くしろ」


澤村に言ったつもりが、自分に言い聞かせる形になった。







ドアが完全に閉まった音を聞いて、澤村は目を開いた。部屋を見渡し、誰もいないのを確認して天井をにらんだ。



「気づけよ、バーカ…」


それは伝えるべき相手の去った部屋に空しくこだまして消えた。

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